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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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38/52

第38話 証拠の提示

 イベントの全面中止から数時間が経過した、探索者協会八王子支部の最上階。


 外界の喧騒を完全に遮断する分厚いマホガニーの扉の奥、特別VIPラウンジには、奇妙なほど穏やかな時間が流れていた。


 毛足の長いペルシャ絨毯の上では、黒い毛玉のようなフェンリル・パピーのコロが、ドクのごつい指先にじゃれついて甘噛みを繰り返している。避難後に出前で取った寿司やピザですっかりお腹を満たしたドクは、最高級のイタリア製黒革ソファに深く腰を沈め、まるで休日のお父さんのように相好を崩していた。


 その平和すぎる光景の対面で。


「……本当に、救いようのない人ですね」


 瞳は、冷え切った声で呟いた。

 彼女の膝の上には、分厚いプロテクトがかかった特注のタブレット端末がある。その画面上で、幾つものプログレスバーが急速に100パーセントへと達していく。


「おじさんの底無しの優しさに胡座をかいてる馬鹿には、ちょっとお灸が必要だね」


 瞳の背後から画面を覗き込んでいたアリサラが、赤い唇に酷薄な笑みを浮かべて囁いた。

 アジア随一の『幻影の盗賊』である彼女にとって、一流ギルドのセキュリティなど紙細工に等しい。彼女がここ数日で裏から回収し、復元に成功した『紅蓮の剣』の未公開データ。それを今、瞳がマネージャーとしての権限と、アリサラの非合法なハッキング技術をフル活用し、D-Tubeの公式メインサーバーへと強引に割り込ませていた。


「瞳ちゃん、準備は?」

「上書き、完了しました。全世界のD-Tube公式メインチャンネル、及び……現在一階の事情聴取室にいる『彼』の目の前にあるモニターへ出力します」


 瞳が迷いなくエンターキーを叩いた。


 直後。

 VIPラウンジの壁面に設置された大型モニターの画面が、一斉にノイズと共に切り替わった。


 映し出されたのは、薄暗い地下迷宮の岩肌。

 かつての第1ダンジョン、第30階層の未踏エリアだった。


『――おいドク、水が足りねえぞ。俺の水筒を満タンにしとけ』


 画面から流れてきたのは、レオの傲慢な声。

 そして、その理不尽な要求に対し、『……はい』とだけ短く答え、黙々と膝をついて自身の水筒から水を移し替えるドクの姿だった。

 ドクの背中には、自重を優に超える巨大なバックパックが食い込んでいる。


 映像は残酷なほど鮮明に、その後の絶望的な状況を再生していく。

 未踏エリアの黒曜石のような回廊。極度の疲労に耐えるため、頭の中を空っぽにして無言ですり足の歩法に集中するドクの荒い息遣いだけが、不気味な静寂の中に響く。

 そして、闇の中から現れた深層モンスターの群れ。


『レオ! 後ろからもです!』


 悲鳴のようなマリアの警告。圧倒的な戦力差を前に、顔を引きつらせて後ずさるレオとマリア。

 パニックに陥った彼らが取った行動は、あまりにも醜悪だった。


『俺たちを逃がすための盾になれ』

『違う。「盾になること」だ。底辺のゴミが、俺たち選ばれた人間のために命を懸けるのは当然のことだろうが』


 ゴッ、という鈍い音。

 画面の中で、レオのブーツが、無言で荷物の重さに耐え這いつくばっていたドクの右膝を無慈悲に蹴り砕く瞬間が、大音量でラウンジに響き渡った。


『ドローンは置いていく! 視聴者どもに、お前が立派に殿を務めて死ぬところを見せてやれ!』


 激痛に顔を歪めるドクの前にドローンが投げ捨てられ、レオたちが逃亡していく背中。そこからドローンがひっくり返りながら、ドクが放った裏拳の風圧でモンスターを消し去る直前まで。

 映像はそこでプツリと途切れた。


「…………」


 VIPラウンジを、重く冷たい静寂が包み込んだ。

 直後、画面は分割され、一階の事情聴取室の監視カメラ映像が映し出された。

 そこには、今流れた映像を目の当たりにし、顔面を蒼白にしながら立ち尽くすレオの姿があった。


『あ、ちが……違う! これは、フェイクだ! 悪意のある編集で……!!』


 監視カメラのスピーカーから、裏返ったような絶叫が響く。だが、彼を取り囲むギルドの調査員たちは、虫けらを見るような冷ややかな視線を向けるだけだった。

 全世界のコメント欄は、爆発的な怒りの言葉で完全に埋め尽くされていた。

 トップエクスプローラーにあるまじき卑劣な行為。他者の命を囮にし、あまつさえその事実を隠蔽して今日まで英雄を気取っていた男に対する、完膚なきまでの断罪。


『紅蓮の剣』の社会的な死が、客観的な証拠をもって完全に確定した瞬間だった。


 ルシアが、画面越しのレオをゴミでも見るように一瞥する。クロエは拳を鳴らしながら軽蔑の鼻を鳴らし、エレナに至ってはすでに彼を視界にすら入れていない。ヴィットーリアは冷ややかな微笑みを浮かべ、ただ静かに首を振った。


「……瞳ちゃん、アリサラさん。あんまりイジメてやるなよ。もう終わったことだ」


 ドクは、ソファに座ってコロの柔らかいお腹を撫でながら、困ったように眉を下げて言った。

 自分の膝が砕かれた凄惨な映像を見ても、彼の中には怒りも恨みも湧いていないようだった。ただ、画面の向こうで惨めに喚き散らすレオを気の毒そうに見つめている。


「ドクさん。あなたは優しすぎます。あれは、相応の報いを受けただけです」

「そうそう。因果応報ってやつ。おじさんは、もっと自分を大事にした方がいいよ」


 瞳とアリサラが呆れたように息を吐く。

 コロは「ワフッ」と同意するように短く吠え、ドクのごつい指をあむあむと噛んだ。


 瞳は毒気を抜かれたように笑い、タブレットの電源を落とした。


★★★★★★★★★★★


 騒乱から数日後の夜。


 駅から少し離れた路地裏にある、飯田美沙の工房。

 シャッターが下ろされた室内には、重機のような換気扇の低い唸り音と、金属を削る甲高いグラインダーの音が響いていた。

 壁一面には様々な魔具の残骸が並び、鼻を突く機械油と焦げたフラックスの匂いが、ここが彼女の神聖な領域であることを示している。

 美沙は作業台の上に広げた巨大な方眼紙に覆い被さるようにして、シャーペンを走らせていた。アッシュ系のショートヘアは油で少し汚れ、目元にはうっすらと隈が浮かんでいるが、その瞳は研ぎ澄まされた刃のようにギラギラと輝いている。


「美沙さん、入るよ。夜食、持ってきた」


 重い防音扉が開き、ドクが顔を出した。

 彼の手には、使い込まれた大きなお盆が乗せられている。


「……あ? ドクか。悪いね、今ちょっと手が離せ……」


 美沙が顔を上げた瞬間、彼女の鼻腔を暴力的なまでの香ばしい匂いが直撃した。

 お盆の上には、大ぶりのフライパンのままドーンと乗せられた『豚バラ肉のスタミナ炒め』と、山盛りの白飯、そして湯気を立てるワカメと豆腐の味噌汁があった。

 ニンニクと生姜がガツンと効いた特製ダレが、豚肉の脂と絡み合って焦げた匂い。徹夜で酷使された美沙の脳と胃袋が、理性を吹き飛ばして激しく自己主張を始める。


「……アンタってやつは、本当に最高のタイミングで毒を持ってくるね」


 美沙はグラインダーの電源を落とし、ウエスで乱暴に手の油を拭き取ると、作業台の端を強引に片付けてスペースを作った。

 ドクは「腹が減っては良いものは作れないからな」と屈託なく笑い、お盆を置く。麦茶の入ったコップを添えると、美沙は待ってましたとばかりに箸を割り、豚肉で白飯を巻くようにして豪快に掻き込んだ。


「……ッ! んん〜〜〜っ! 悪魔的に美味い!」

「徹夜仕事みたいだったから、少し味を濃いめにしておいたよ」


 ドクは丸椅子を引き寄せ、美沙の向かいに腰を下ろした。

 彼の視線の先には、粉々に砕け散り、黒く焼け焦げた特製ナックルの残骸が置かれていた。あのイベントで、ドクの規格外の出力に数秒だけ耐え抜き、限界を迎えて弾け飛んだ美沙の最高傑作。


「ごめん。やっぱり俺の使い方が荒かったのかな。すごい手に馴染んで、いい武具だったのに」


 ドクが申し訳なさそうに太い指で頭を掻く。

 美沙は味噌汁で口の中をリセットし、鼻で笑った。


「馬鹿言いな。謝るんじゃないよ。あんなバケモノみたいなエネルギーの奔流に耐えきれる素材なんて、この世にあるわけないだろ。むしろ、アンタのあの出力に、コンマ数秒でも耐えきったアタシの腕を褒めてほしいくらいさ」


 美沙は箸先で、ナックルの残骸をツンと突いた。


「魔力伝導率の計算は完璧だった。あのナックルがなかったら、アンタの右腕の骨ごと、あの場で弾け飛んでたかもしれないよ」

「……そうか。じゃあ、美沙さんが俺の右腕を守ってくれたんだな。ありがとう」


 ドクは心底感謝しているというように、真っ直ぐに美沙の目を見て言った。

 一切の虚飾がない、ただの事実としての感謝。

 美沙はほんの少しだけ顔を熱くし、それを隠すように再び豚肉を口に放り込んだ。


「……たく。天然のタラシめ。ルシアや、あのドイツの堅物女まで群がるわけだよ」


 美沙はサバサバとしたヤンチャな口調で毒づきながら、ドクの分厚い胸板をチラリと見た。

 普段のくたびれたジャージではなく、今日は以前瞳が見立てた着心地の良さそうなヘンリーネックのシャツを着ている。その下にある無数の傷跡と、底知れない器の深さ。

 職人としての探求心と、一人の女としての興味が、彼女の中で心地よく混ざり合っていた。


「ねえ、ドク」

「ん?」

「アンタ、これからどうする気だい? もう、ただの荷物持ちに戻れるような状況じゃない。世界中がアンタの力を知っちまったんだ。ギルドだって放っておかない。Sランク認定どころか、国家レベルの戦力として囲い込まれるかもしれないよ」


 ドクは麦茶のコップを両手で包み込み、少しだけ視線を落とした。

 彼の太い指先には、長年の肉体労働で染み付いたタコがいくつもある。


「どうするって言われてもな……。俺はFランクで、難しい魔法も使えないし、頭も良くない。瞳ちゃんがマネージャーだなんて言って色々仕事を取ってきてくれてるけど、俺自身は何も変わってないんだ」


 ドクは顔を上げ、屈託なく笑った。


「明日も、明後日も、ちゃんとご飯が食べられて、大家さんに家賃が払えれば、それでいい。もし、俺の『収納』の力が誰かの役に立つなら、それはそれで嬉しいけどね」


 相変わらずの、スケールの小さい野望。

 世界を滅ぼせる力を持っていながら、ただの日常を愛する男。

 美沙は小さくため息をつき、そして、本当に楽しそうに笑った。


「アンタらしいや。まあ、せいぜいその平和な日常が壊れないように、アタシも手伝ってやるよ」


 美沙は箸を置き、作業台の方眼紙を指先でトントンと叩いた。そこには、素人には理解不能な複雑な魔力回路と、装甲の展開図が描かれている。


「次は、飛竜の骨とオリハルコンを複合させてみる。あの光の奔流にも三秒は耐えられる、イカれた武具を打ってやるよ。だから……アタシの最高傑作のテストには、ずっと付き合いな」

「三秒か。それはすごいな。俺で力になれるなら、いつでも呼んでくれ」

「言ったね? 逃がさないよ。アンタの武具は、アタシが一生面倒見てやる」


 美沙はニヤリと笑い、再び図面へと向き直った。


「ああ。明日も、何か美味いものを作っていくよ」


 ドクは空になった食器を手際よくお盆にまとめながら、穏やかな顔で頷いた。

 グラインダーのモーター音が再び唸りを上げ、火花が散る。工房の中に満ちる金属と機械油の匂いだけが、静かに流れていった。

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