第31話 トップ探索者たちの共闘
鼓膜を突き破るような轟音が、八王子の空気を物理的に震わせた。
地響きと共に、特設ステージの巨大なモニターが飴細工のようにひしゃげ、火花を散らして崩落する。数十メートル先でアスファルトが捲れ上がり、地下から吹き出したマグマが屋台のテントを瞬時に灰へと変えた。
熱風が吹き荒れ、焦げたビニールと食材の匂いが混ざり合った異臭が立ち込める。
「きゃあああああっ!」
「逃げろ! 潰されるぞ!!」
母親とはぐれた子供の泣き声、スマートフォンを落として踏みつけられる音。安全だったはずのイベント会場は、たった数秒で生存本能だけが支配する原始の狩り場へと変貌していた。
数万人の群衆が、完全なパニックに陥り逃げ惑う。悲鳴と怒号が交錯し、将棋倒しになりかけた人々の頭上を、鋼鉄の百足が重機のような駆動音を立てて這い回る。
巨大な足がアスファルトを砕き、逃げ遅れた車を空き缶のように踏み潰していく。その背後には、それぞれが独立した意志で獲物を物色する六頭の蛇が長い首をうねらせ、さらに奥からは、全身から溶岩を滴らせる巨大な獣が、世界を焼き尽くさんばかりの咆哮を上げていた。
ギルド関係者用の待機テントも、無事では済まなかった。
飛来した数トンクラスの瓦礫が、テントの骨組みごと押し潰そうと直撃する。
「ドクさん、伏せて!」
瞳が悲鳴を上げ、手にしたタブレットを盾にするように身を屈めた。
ドクは咄嗟に片手で瞳の小さな頭を庇い、もう片方の手で火を止めたばかりの土鍋をしっかりと抱え込む。美沙が三日三晩徹夜して打ち上げてくれた『ハイブリッド・ツナギ』の背中を、落ちてくる瓦礫に向けて壁にするように。
直後、テントの分厚い防音生地が引き裂かれた。
だが、瞳の身体を押し潰すはずだった瓦礫の質量は、ドクの背中――巨大なバックパックに触れる数ミリ手前で、何の音も立てずに虚空へと『吸い込まれ』て消えた。
風圧だけがテント内を吹き荒れ、二人の髪を乱す。
「……怪我はないか、瞳ちゃん」
「えっ……はい。瓦礫が、どこかに逸れて……?」
ドクは土鍋の無事を確認すると、小さく安堵の息をついた。
(ツナギも汚れてないな。美沙さんに怒られずに済む)
ドクは瞳の手を引いて、崩れかけたテントから外へ出た。
足元では、コロが全身の毛を逆立て、「ヴルルルル……!」と低い唸り声を上げている。
外は、文字通りの地獄絵図だった。
逃げ惑う群衆の背後に、理不尽な死の権化たちが立ち塞がっている。
だが。その絶望的な光景の中、パニックの波に逆行して、迷いなく前へ歩み出る者たちがいた。
「『聖域』展開。……前衛、各個撃破に移行しなさい」
凛とした冷たい声が、喧騒を切り裂いて響き渡った。
ドイツの聖騎士、エレナ・ヴェーバー。
彼女は手にした杖の先端に展開された複雑な魔力陣を冷静な瞳で見つめながら、瞬時に崩落地点の重量と建材の耐久値を計算していた。
彼女の杖の先から放たれた青緑色の魔力波が、崩落しかけていた南口ゲートの構造物を物理的な障壁となって支え、逃げ遅れた人々の頭上に半透明の天蓋を展開する。通常なら複数人の術師で分担すべき広域かつ高密度の並行処理を、彼女は涼しい顔でただ一人維持し続けていた。
「チッ、どいつもこいつもデカすぎんだよ。的が絞りやすいのは助かるがな!」
先陣を切ったのは、ベルギーの獣闘士クロエだ。
彼女は自身の巨体の数倍はある鋼鉄の百足の正面に立ち、獰猛な笑みを浮かべて低く沈み込んだ。アスファルトに両足のブーツが深く食い込み、コンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れる。
百足が、無数の刃のような足で地面を砕きながら突進してくる。数千トンの質量による、純粋な物理的轢殺。逃げ遅れた者が悲鳴を上げる中、クロエは一歩も引かない。
極限まで圧縮した闘気を右の拳に集中させ、真っ向からその突進を迎え撃った。
「シィッ!!」
鋭い呼気と共に放たれた右ストレートが、百足の頭部装甲に激突する。
ドォォォォンッ!!
空気が爆発し、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばした。
人間の拳と、規格外の巨大魔獣の激突。結果は、百足の頭部装甲が深く陥没し、その巨体が進行方向から真横へ大きく弾き飛ばされるという、物理法則を完全に無視した光景だった。クロエの拳からは、微かな蒸気が立ち上っている。
「クロエ! 射線被ってる、少し退きな!」
「あぁ!?」
背後からの怒声にクロエが「チッ、邪魔すんな!」と舌打ちして身を沈めた瞬間、彼女の頭上を極太の魔力光線が通り抜けた。
美沙が肩に担いだ、黒い大型の魔導砲から放たれた一撃だ。
砲身には冷却用の魔力回路が幾重にも走っており、限界まで高められたエネルギーが青白いスパークを散らしている。
光線は、クロエの打撃で生じた百足の装甲の亀裂に寸分の狂いもなく着弾し、内部で爆発を起こす。関節部分の駆動系を正確に焼き切られた百足が、不快な金属音を上げて悶え苦しみ、大量の体液を撒き散らした。
「暴れないで。計算が狂うでしょ」
一方、六頭の蛇の足元では、アリサラが虚空を縫うように跳躍していた。
タイトな漆黒の特殊装備に身を包んだ彼女は、瓦礫から瓦礫へと音もなく飛び移り、標的の周囲に不可視の檻を構築していく。
六つの首がそれぞれ独立した意志でアリサラを噛み砕こうと襲いかかるが、彼女の身体はまるで影のように実体を掴ませない。ギリギリで牙を躱し、アリサラが空中で指を弾く。
プツ、プツン、と、空間に仕掛けられていた『不可視の断糸』が連鎖的に起動した。
特殊な魔獣の腱を極限まで引き延ばして編み上げられた透明な鋼糸が、月光を反射して一瞬だけきらめく。蛇の首が動くたびに、自らの運動エネルギーでワイヤーが鱗に深く食い込み、自身の首同士を複雑に縛り上げていく。数秒後には、六頭の蛇は自らの首が絡まり合い、身動きが取れなくなって地面に倒れ伏していた。
「恐れることはありません。光はここにあります」
パニックで転倒し、人波に踏み潰されかけていた一般客たちの中心で、ヴィットーリアが両手を組んで祈りを捧げていた。
彼女の神官服が夜風に揺れ、深みのあるヘーゼルアイが慈愛に満ちた光を帯びる。
淡い金色の光が波紋のように広がり、触れた者の打撲や擦り傷、骨折を瞬時に癒やしていく。それだけでなく、恐怖で恐慌状態にあった人々の精神を強制的に鎮静化し、誘導をスムーズにするための『精神安定の領域』をも同時に展開していた。
人々は彼女の光に触れた瞬間、取り憑かれていたようなパニックから解放され、落ち着いて避難経路へと向かい始めた。
美しい赤髪を揺らし、ルシア・カルヴァーリョが炎の熱波を正面から受けながら歩みを進める。
周囲を火の海に変えながら咆哮する『溶岩の獣』。三体のボスの中で最も厄介なそれが、ルシアを外敵と認識し、口の奥で超高熱のエネルギーを圧縮し始めた。
放たれたのは、触れたものを一瞬でプラズマ化させる巨大な熱線。
ルシアは避けない。
愛用の魔剣の柄を握り、ゆっくりと抜刀する。
刀身に、彼女自身の持つ膨大な魔力が『紅蓮の炎』となって高密度に纏いつく。
「『紅蓮刃』」
静かな呟きと共に、ルシアは魔剣を縦に一閃した。
彼女の放った炎の斬撃が、獣の熱線を真っ向から『斬り裂いた』。
熱線はルシアの身体を避けるように左右に割れ、背後の無人のビルを飴のようにドロドロに溶かし落とす。
「グルルルゥゥゥッ!!」
自身の攻撃が通じなかったことに激昂した溶岩の獣が、大地を揺らしてルシアへと突進してくる。
その圧倒的な質量と熱量を前にしても、ルシアの唇には余裕の笑みが浮かんでいた。
彼女は、突進してくる獣からスッと視線を外し、背後を振り返った。
その視線の先には、逃げ遅れた一般客を誘導し終え、巨大なバックパックを背負ったまま心配そうにこちらを見つめているドクの姿があった。
ルシアは、自身の命を狙う獣に完全に背を向けたまま、ヒールの音を響かせてドクの元へ歩き出す。
数十メートル背後では、溶岩の獣が今まさに跳躍し、ルシアを圧殺しようと上空から迫っていた。
「ルシアさん! 後ろ!」
ドクが声を張り上げる。
彼が咄嗟に『収納』の準備をしようと右腕を動かしかけた、その瞬間。
ルシアはドクの目の前まで歩み寄ると、ドレスの裾を翻すような優雅な動作でターンし、見えない背後へ向かって魔剣を横薙ぎに振り抜いた。
振り抜かれた剣閃から爆発的な炎の波が放たれ、空中にいた溶岩の獣を叩き落とし、後方へ大きく吹き飛ばす。
熱風と爆炎を背負いながら、ルシアは真っ直ぐにドクの目を見た。
「ねえ、ドク」
戦場のど真ん中。死の匂いと硝煙が立ち込める中で、彼女の声は信じられないほど甘く、熱を帯びていた。
「この退屈な余興が終わったら。私と、二人きりで抜け出さない?」
ドクは面食らい、ぱちぱちと瞬きをした。
背後では、吹き飛ばされた溶岩の獣が立ち上がり、再び怒りの咆哮を上げている。地面が揺れ、遠くではクロエが百足を殴り飛ばす爆音が鳴り響いている。
そんな世界が終わるような状況下で、目の前の美女は、ただ彼からの返事だけを待っていた。
「……抜け出すって。俺、この後も荷物持ちの仕事で汗だくになる予定だし、それに……ルシアさん、さっきの攻撃で少し髪が焦げてる。火傷はないか?」
ドクは、ルシアの提案の突飛さよりも、彼女の身を案じる言葉を先に口にした。
太くゴツゴツとした、長年の重労働で無数のタコが刻まれた指先。それが、ルシアの赤い髪の毛先にほんの少しだけ触れる。
戦いにおける強さや、富や権力を持つ者の手ではない。ただ他人の荷物を背負い続け、不器用に生きてきた男の、飾らない手だった。
その無骨だが心底優しい気遣いに、ルシアの瞳の奥で、カチリと何かが熱く燃え上がる音がした。
「……ええ。大丈夫よ、心配してくれてありがとう」
ルシアは、とろけるような笑顔を浮かべた。
彼女にとって、ドクからのその一言は、世界最強のヒーラーの回復魔法よりも、大付与術師の極大バフよりも、遥かに価値のある力だった。
「待ってて。私たちの邪魔をする野蛮な獣、すぐに片付けてくるから」
ルシアはもう一度ドクに微笑むと、背中を向けた。
その瞬間、彼女から放たれる魔力の質が、先ほどとは比べ物にならないほど濃密で凶悪なものへと変貌した。
周囲の空気が、彼女の放つ圧倒的な熱量に当てられ、チリチリと焦げるような音を立てた。アスファルトの表面が、彼女が立っているというだけでドロドロに溶け始めている。
ドクの背後で、事の顛末を見ていた瞳が、呆れたように小さくため息をついた。
(ドクさん、無自覚にSランクのやる気スイッチを限界突破させましたね……。あの溶岩の獣、ちょっとだけ同情します)
「さあ、第二ラウンドよ」
ルシアが魔剣を構え直す。
彼女の眼差しは、もはやただの獲物を見る捕食者のそれに変わっていた。




