第28話 大規模コラボイベント開幕
八王子第1ダンジョン南口ゲート前に特設された巨大な屋外ステージは、朝から異様な熱気に包まれていた。
巨大動画配信プラットフォーム『D-Tube』が社運を賭けて主催する、前代未聞の『大規模コラボイベント』。世界中から集められたトップエクスプローラーたちが、日本のダンジョンを舞台に合同で探索を行うという、まさにドリームチームの競演である。
空を覆うほどの数が飛び交う高画質公式ドローンは、幾重にも重なるスポンサー企業のロゴを鮮やかに映し出している。ステージの周囲には各国の主要メディアが陣取り、押し寄せた数万人のファンたちの歓声が、分厚いコンクリートの地面を物理的に震わせていた。
「さあマリア、行くぞ。今日こそ俺たちが世界に名乗りを上げる日だ」
レッドカーペットが敷かれた参加者待機エリアの中央で、Aランクパーティ『紅蓮の剣』のリーダー、レオが自信に満ちた笑みを浮かべていた。借金をしてまで最新の魔法金属で打ち直した大剣を背負い、カメラのフラッシュを浴びる自分を想像して白い歯を見せる。
未踏エリアでの醜態や、先日のオーガ・キング戦での泥沼の戦いにより、国内における彼らの評価は暴落している。だが、レオの心の中では「あれは不運な事故であり、本来の俺たちの実力ではない」という強固な自己正当化が完了していた。
世界的なイベントである今日、海外のトップ連中を差し置いて目立つ活躍を見せれば、すべてをひっくり返せる。彼はそう本気で信じていた。
「ええ、レオ。私の支援魔法で、あなたを誰よりも輝かせてみせるわ」
純白の神官服に身を包んだマリアが、レオの腕にそっと寄り添う。彼女もまた、自分たちこそがこのステージの主役であると微塵も疑っていなかった。
彼らは、今か今かと自分たちに向けられるはずの熱狂的な視線を待ち構えていた。
しかし、現実は彼らの思惑とは全く異なる方向へ狂い始めていた。
★★★★★★★★★★★
「皆さん、本当に……本当にお願いですから、定位置に戻ってください……ッ!」
ステージから少し離れた、サポーターや荷物持ちが裏方として待機する薄暗い後方エリア。
そこに、悲痛な声を上げる小柄な少女――渡部瞳の姿があった。彼女はマネージャーとしてのスケジュールが記されたタブレットを胸に抱きしめ、半泣きになりながら目の前の光景を睨みつけていた。
彼女の視線の先には、美沙特製の『飛竜の革とミスリルのハイブリッド・ツナギ』に身を包み、自重を優に超える巨大なバックパックを背負ったドクがいる。
そしてそのドクの周囲を、世界最高峰のSランク探索者たちが完全に包囲していたのだ。
「いいじゃない、小鳥ちゃん。開会式なんて堅苦しい挨拶ばかりで退屈だもの。私はドクのそばにいたいの」
ブラジルの魔法剣士ルシアが、豊かな赤い髪を揺らしながらドクの左腕に滑らかに絡みつく。彼女から漂う高級な香水の匂いと硝煙の香りが、ドクの鼻腔をくすぐった。
「ちょ、ルシアさん、歩きにくいですって……」
「あら、私のエスコートが不満?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「ルシア、離れなさい。ドクさんの肉体にかかる負荷は、私が最適なバフで管理します。不必要な密着は重心を狂わせ、万が一の際の回避行動にコンマ数秒の遅れを生じさせるだけです」
ドイツの聖騎士エレナが、極めて真面目な、しかしどこか熱を帯びたブルーグリーンの瞳でルシアを牽制しながら、ドクの右側にぴったりと寄り添う。彼女の白いスプリングコートからは、緻密に計算された魔力の波長が静かに漏れ出していた。
「あらあら、若い子は元気ね。でも、あまりドクさんを困らせてはいけないわ。……少しお疲れかしら? 喉が渇いたなら、私が特製の聖水をお出しするわよ」
イタリアの聖女ヴィットーリアが、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、ドクの額の汗を最高級のシルクのハンカチでそっと拭おうとする。彼女の周囲だけ、荒々しいダンジョンの空気が完全に浄化され、清らかな空間が形成されていた。
「おじさーん、あの辺りの機材ケーブル、足引っ掛けやすいから気をつけてね。私が全部よけといてあげるから」
タイの幻影の盗賊アリサラが、いつの間にかドクの背負っている巨大なバックパックの上に軽々と飛び乗り、足をブラブラと揺らしている。彼女の体重すらも、ドクの『収納』の前ではただの無に等しかった。
五大国を代表するトップエクスプローラーたちが、ステージ中央の華やかなレッドカーペットを完全に無視し、薄暗い後方待機エリアの「ただの荷物持ち」の周囲に密集している。
彼女たちが無意識に放つSランク特有の覇気と魔力の余波が複雑に混ざり合い、ドクの周囲だけ空間が不自然に歪み、陽炎が立ち昇っていた。並の探索者なら、数十メートル以内に近づくだけで息が詰まり、気絶してしまうほどの濃密なプレッシャーである。
だが、その中心にいるドクは、額に少し困ったようなシワを寄せながらも、平然と立っていた。
「みんな、気持ちは嬉しいんだけど……俺はただの荷物持ちだから。そんなに集まられたら、他のパーティの邪魔になっちゃうよ」
ドクは足元で「クンクンッ」とルシアのブーツの匂いを嗅いでいるフェンリル・パピーのコロを、太い指先で優しく撫でた。
その異常すぎる光景を、上空を飛んでいたD-Tubeの公式メインドローンが見逃すはずがなかった。
『えー、現在、各国の代表選手たちの姿が……あ、あれ? 皆さん、なぜか後方の機材エリアに集まっていらっしゃいますね?』
会場の巨大モニターに、ルシアやエレナたちに囲まれ、困り果てているドクの姿が大写しになった。
瞬間、世界中で視聴されている公式配信のコメント欄が、滝のような勢いで流れ始めた。
【は??? なんでSランクの女神たちが機材エリアに?】
【おい、真ん中にいるあのおっさん誰だ!?】
【ルシア様が腕組んでるぞ!? 嘘だろ!?】
【氷の女王エレナが、あんなデレた顔してるの初めて見たんだが……】
【ヴィットーリア様まで!? 宗教戦争起きるぞこれ】
【っていうか、あのメンツの殺人的なプレッシャーの中心で普通に立ってるあの荷物持ち、何者だよ!?】
【あ、あれ……あのおっさん、もしかして最近バズってる『謎のワンパンおじさん』じゃね……?】
レッドカーペットで渾身のポーズを決めていたレオとマリアは、誰一人として自分たちにカメラを向けていないことに気づき、引き攣った笑顔のまま完全に背景と化していた。
★★★★★★★★★★★
「あー、もう! どいつもこいつもピーチクパーチクうるせえな!」
五方向からのプレッシャーが入り乱れる中、それまで腕を組んで黙っていたベルギーの獣闘士、クロエ・ヴァンデレールが、苛立たしげに自身の短い金髪を掻き回した。
彼女はドカドカとドクの正面に歩み寄ると、分厚いツナギの胸ぐらをガシッと掴んだ。
「おいタナカ! こんなところで突っ立ってても腹が減るだけだろ! どうせイベントの開始までまだ時間があるんだ、アタシに付き合え!」
「えっ、でもクロエさん、荷物の見張りが……」
「アタシらがここにいるのに、誰が盗めるってんだよ! 行くぞ!」
クロエはドクの返事を待つことなく、強引に彼の腕を引いて歩き出した。
「あ、ちょっとクロエ! 抜け駆けはずるいわよ!」というルシアの抗議の声も、クロエは「うるせえ! アタシが先に見つけたんだよ!」と一蹴し、ドクを引きずりながらスポンサーの屋台が立ち並ぶフードエリアへと突き進んでいった。
瞳は「ああっ、ドクさーん!」と手を伸ばしたが、あまりの展開の早さに追いつけず、その場に取り残されてしまった。
★★★★★★★★★★★
イベント会場の端に設けられたフードエリアは、様々な言語と料理の匂いが交差し、探索者や一般客でごった返していた。
クロエは、母国ベルギーの郷土料理をアレンジした屋台の前に陣取ると、周囲の視線などお構いなしに次々と大量の食べ物を買い込んだ。
彼女の両手には、抱えきれないほどの食料が積まれている。ベルギー発祥のフリッツが山盛りにされた特大の紙コップ、肉汁が滴る極太のソーセージ、さらにはデザート用の大きなリエージュワッフルまで。
「ほらタナカ、遠慮すんな! アタシの奢りだ。このフリッツ、故郷の味には少し劣るが、マヨネーズがたっぷりで悪くねえぞ!」
クロエは、もう一つの紙コップに入った山盛りのフリッツをドクの胸元に押し付けた。
「ありがとう。マヨネーズが濃厚で美味いな。でも、すごい量だ……」
ドクは背中の巨大なバックパックを下ろすこともなく、片手でコップを受け取った。そして、少し熱めのポテトを口に運ぶ。
「だろ!? 日本の飯も繊細でいいが、イベントの前はこういう高カロリーなジャンクフードを胃袋にぶち込むに限る!」
クロエは極太のソーセージを豪快に噛みちぎり、さらにフリッツを鷲掴みにして口に放り込む。彼女の引き締まった腹筋とグラマラスなプロポーションが動くたびに、周囲の一般探索者たちが顔を赤くして道を空けていく。しかし、本人はそんなことなど全く気にする素振りも見せない。
ドクはフリッツを食べながら、時折ツナギの袖にマヨネーズが落ちないように器用に顎を引いていた。
「汚さないようにしないとな。美沙さんが徹夜で作ってくれた大事な服だから」
そのマイペースで生活感溢れる呟きに、クロエは思わず吹き出した。
「アハハハッ! アンタ、ほんっとにブレねえな!」
クロエは腹を抱えて笑った。
世界有数のSランクである自分が隣でジャンクフードを食らい、周囲がプレッシャーで怯えているというのに、この男は「服を汚さないこと」に全神経を集中させている。
自分がどれだけ荒っぽく振る舞おうが、彼はただのそよ風でも受けるかのように、ニコニコと笑って受け止めてしまう。
その底知れない「器」の広さが、クロエにはたまらなく心地よかった。
「なあ、タナカ。前に約束したアタシの最高のサンドバッグの件だけどよ。この退屈なお祭り騒ぎが終わったら、一発、アタシの全力のパンチ受けてみろよ!」
クロエは残りのポテトを飲み込み、好戦的で熱を帯びた笑みを浮かべてドクを見上げた。
ドクは口元を紙ナプキンで拭き、呑気に頷いた。
「ああ、あの時の約束だね。いいよ。俺なんかでいいなら、しっかり受け止めるよ」
「……ッ、ハハハ! 言ったな! 絶対に後悔させてやるからな!」
クロエは心底楽しそうに笑うと、自身の固く握った右拳を、ドクの分厚い胸板にトン、と軽く当てた。
「その言葉、忘れるなよ」
ドクは、衝撃を逃がすまでもないその軽い接触に苦笑しつつ、「忘れないよ」と頷いた。
二人の周囲だけ、殺伐としたダンジョンの空気とは無縁の、奇妙に穏やかで熱を帯びた時間が流れていた。
その様子を、物陰からこっそりと追尾してきた公式ドローンが、世界中へと配信し続けていることなど、ドクは知る由もなかった。




