第22話 D-Tube公式大規模コラボイベント発表
探索者協会、八王子支部の最上階にあるプレミアム会議室。
防音設備が完備され、重厚なマホガニーのテーブルが置かれたその一室に、「ヴゥゥゥ……ッ!」という、いっちょ前な猛獣の唸り声が響き渡っていた。
声の主は、テーブルの端でドクの太ももの上に陣取っている小さな黒い毛玉――フェンリル・パピーのコロだった。
コロの狙いは、瞳がわざわざペットショップで奮発して買ってきた、Aランク魔獣『ブラッド・ホーン』の特製乾燥肉だ。
ドクがその硬いジャーキーの端をごつい指でつまんで差し出すと、コロは短い後ろ足で立ち上がり、両方の前足でドクの太い手首をガッチリとホールドした。そして、小さな鋭い牙をジャーキーの端に食い込ませ、絶対に手放すものかとばかりに、ブルドッグのように首を激しく左右に振って引きちぎろうとしている。
「こらこら、コロ。そんなに慌てなくても誰も取らないよ。ゆっくり食べな」
ドクが苦笑いしながらジャーキーを持つ指の力を少しだけ緩めると、コロは「クンッ!」と満足げに鼻を鳴らし、奪い取った肉をドクの太ももの間に隠し込むようにして、伏せの姿勢でハミハミと噛み始めた。長年の重労働でタコだらけになったドクの手のひらに、小さなピンク色の肉球が押し付けられている。
「あら、美味しそうね。ちょっとお姉さんにも一口くれるかしら?」
隣に座っていたルシアが、面白がって赤い爪の伸びた指をそっと伸ばす。
するとコロは、ジャーキーを両方の前足で抱え込んだまま、「ワゥッ! ヴルルル……!」と全身の毛を逆立てて威嚇した。しかし、口の端から半分はみ出したジャーキーに気を取られて上手く凄めず、その様子は神狼の威厳など微塵も感じさせない、ただただ愛らしいだけの毛玉だった。
「あははっ、めっちゃ必死じゃん。タナカ、その犬アタシにも触らせろよ!」
クロエが豪快に笑いながら、力加減もせずにコロの頭を撫で回そうと手を伸ばす。コロはジャーキーをくわえたまま、ドクの着ている黒いテーラードジャケットの隙間へと器用に潜り込み、安全圏から「ワフッ」と短い抗議の声を上げた。
「お前、本当にダンジョンの外だとただの犬だな……」
ドクはジャケットの内側でもぞもぞと動くコロの柔らかい体温を感じながら、目尻を下げて優しく撫でた。
「皆さん、遊んでいる場合ではありません。今日は大事な打ち合わせがあるんですから」
部屋の正面、巨大なモニターの前に立った瞳が、パンッと手を叩いて会議室の空気を引き締めた。
Sランクが三人、Aランクが一人。そしてFランクの荷物持ち。世界最強にして最も歪なパーティ『荷物持ちとゆかいな仲間たち』の、これが初めての公式ミーティングだった。
「先ほど、D-Tubeの運営と探索者協会の本部から、世界同時生中継の公式発表がありました」
瞳が手元のタブレットを操作すると、背後の巨大モニターにプロモーション映像が流れ始めた。
重厚なオーケストラの音楽と共に、世界各国のトップエクスプローラーたちの戦闘シーンが短いカットインで次々と映し出される。最新のドローンが捉えた高画質の映像には、各国のギルドが誇るエースたちの洗練された魔法や剣技が収められていた。そして、映像の最後には、日本の富士の樹海深くに最近ポップしたとされる、巨大なダンジョンの入り口が映し出された。
「『D-Tube・グローバル・ダンジョン・フェス』。来月、日本の第3ダンジョンに新しく出現した広域未踏エリア『巨神の箱庭』を舞台に、全世界合同の攻略イベントが開催されます」
瞳の言葉に、会議室の空気が微かに変わった。
「参加条件は、チャンネル登録者数100万人以上の配信者、もしくはAランク以上の探索者を含むパーティであること。世界中からトップパーティが集結し、期間内のエリア踏破率、ボス討伐ポイント、そして配信の同時接続数などを総合して競う、史上最大規模のイベントです」
「へえ」
ルシアが脚を組み替え、つまらなそうに顎を乗せた。
「お祭り騒ぎね。まあ、私たちが出れば優勝なんて息をするより簡単でしょうけど。わざわざ人混みに出向くような面倒な真似、する必要あるのかしら?」
「世界中の強い奴が集まるんだろ!? 最高じゃねえか! アタシより腕っぷしの立つ奴がいんなら、片っ端から殴り倒してやるぜ!」
クロエは両拳を打ち合わせ、戦意を剥き出しにして立ち上がった。
「面白そうじゃん。各国のエース級が、おじさんの規格外っぷりを見てどんな顔をするか、最前列で観察できるなんて最高のスリルだね」
アリサラも、長い脚を伸ばしながらアーモンドアイを細めて妖しく笑う。
彼女たちSランカーにとって、世界規模のイベントなど、少し規模の大きな娯楽程度の認識でしかない。賞金や名誉など、とうの昔に手に入れている彼女たちを動かすのは、純粋な闘争心や好奇心だけだ。
しかし、ドクだけは一人、本気で戸惑っていた。
「えっ……と。俺たちみたいな、できたばかりのパーティが参加するのか? 俺、ただのFランクの荷物持ちだし、そんな世界的なイベントに出たら、絶対みんなの足手まといになるよ」
ドクの小市民的な発言に、瞳は冷徹な笑みを浮かべて首を振った。
「いいえ、ドクさん。私たちは参加します。いや、参加しなければならないんです」
瞳はタブレットを操作し、モニターの画面を切り替えた。そこには、すでに出場を表明している有名パーティのリストが並んでいる。その上位に、見覚えのある名前があった。
【Aランクパーティ『紅蓮の剣』・日本代表として参加決定】
「『紅蓮の剣』は、最近の配信の不調と世間からの批判を払拭するために、このイベントを起死回生のチャンスと捉えています。運営側も、彼らの既存の知名度を利用したいのでしょう」
瞳の声には、隠しきれない軽蔑の響きがあった。
「私たちは、彼らと同じ舞台に立ちます。そして、彼らがどれほど無力か、逆にドクさんがどれほど規格外の存在であるかを、世界中に知らしめるんです」
「いやいや、俺は別に彼らを見返したいとか、そんな大層な気持ちは……。それに、あっちにはあっちの事情があるんだろうし」
ドクが慌てて否定しようとするのを、瞳がピシャリと遮る。
「表向きは、ドクさんはあくまで『Fランクの荷物持ち枠』としてエントリーします。メンバーにSランクが三人いる異常な編成ですから、運営も私たちの参加を拒否できません。何より、今の私たちのチャンネルの同接数は世界トップです。運営側からすれば、一番の目玉になります。ここで断る理由は一つもありません」
瞳はドクに歩み寄り、その顔をまっすぐに見つめた。
「ドクさんは、今まで通り、ただ皆さんの荷物を持って後ろを歩いていればいいです。危険な戦闘は、ルシアさんたちが勝手に片付けますから。……それでも、隠しきれないあなたの『器』を、世界が勝手に目撃することになります」
「荷物持ちの仕事があるなら、俺は頑張るけど……。みんなの装備や食糧を持つとなると、いつもの倍くらい気合いを入れて背負わないとな。美沙さんの作ってくれたツナギがあって助かったよ」
ドクは、世界中が注目するイベントを「ただの少し荷物の多い出張」程度にしか認識していなかった。彼にとって重要なのは、世界的な名声よりも、確実に入ってくるイベントの参加報酬と、来月の家賃が余裕で払えそうだという現実的な安心感だけだ。
「おい、おっさん」
壁際に寄りかかって黙って聞いていた美沙が、腕を組んだままドクを指差した。
「アタシが三日三晩徹夜して打った飛竜の革とミスリルのハイブリッド・ツナギだ。世界のトップ連中が束になっても、糸のほつれ一つ作れやしないよ。アタシの最高傑作の性能テストには、ちょうどいい舞台だね。派手に暴れてきな」
「ありがとう、美沙さん。絶対に汚さないように気をつけるよ」
ドクは屈託なく笑い、ジャケットの下で丸まっているコロの頭をもう一度撫でた。
「よし。方針は決まりましたね。イベント開始は二週間後。それまでに、私たちは……」
瞳が細かなスケジュールをモニターに映し出し、プロデューサーとしての熱弁を振るい始める。
ドクは「荷物持ちの準備リスト」を頭の中で組み立てながら、配られたペットボトルの茶をのんびりとすすっていた。
★★★★★★★★★★★
その頃。
日本から直線距離で約9000キロ離れた、ドイツのフランクフルト国際空港。
VIP専用ラウンジの片隅で、間接照明の柔らかな光が一人の女性を照らし出していた。
光を受けて黄金色に輝く艶やかなブロンドのカーリーヘア。健康的に日焼けした肌と、手元の端末の光を反射する理知的なブルーグリーンの瞳。仕立ての良い純白のコートを肩に掛け、ゆったりと足を組んで座るその優雅な佇まいは、ラウンジ内の喧騒からそこだけを切り離したかのように静謐だった。
ヨーロッパ圏を代表するトップエクスプローラー。
Sランク聖騎士兼、大付与術師。
エレナ・ヴェーバー。
彼女は周囲の視線など全く意に介さず、手元のタブレット端末を食い入るように見つめていた。
画面に映っているのは、低画質でノイズの混じった短い動画クリップ。
薄汚れた作業着を着た男が、ただ右腕を振っただけで、アビス・ナイトの群れと深層の空間そのものを消し飛ばす映像だ。彼女はそれを、すでに数百回はループ再生で確認していた。
「……信じられない。魔力の予備動作も、術式の展開も一切ない。純粋な『概念の放出』だけで、これほどの事象を引き起こすなんて」
エレナの美しい唇から、純粋な感嘆の吐息が漏れる。
既存の魔法体系の常識を完全に破壊するその一撃は、魔法の深淵を探求する彼女の知的好奇心を激しく揺さぶっていた。画面の中で無造作に立つ男の姿に、彼女は瞬きすら忘れて見入っている。
「日本の、田中ドク……」
エレナはタブレットの電源を落とし、静かに立ち上がった。
ラウンジに、東京行きのファーストクラス搭乗を知らせるアナウンスが、ドイツ語と英語で流れる。
彼女は純白のコートの裾を翻し、迷いのない足取りで搭乗ゲートへと歩き出した。




