第21話 『紅蓮の剣』の空回り
第1ダンジョン、第25階層『嘆きの岩穴』。
薄暗い岩肌に、激しい金属音と爆炎が何度も反響していた。
普段ならこの階層の主である『オーガ・キング』を討伐する程度、Aランクパーティ『紅蓮の剣』にとっては朝飯前のウォーミングアップに過ぎない。彼らの連携と圧倒的な火力をもってすれば、数分で決着がつくはずの相手だった。
だが、現在の彼らの状況は、泥沼という言葉が相応しかった。
「クソッ! なんで当たらないんだよ!」
レオが血走った目で咆哮し、炎を纏わせた大剣を無造作に振り下ろす。
しかし、オーガ・キングは鈍重な見た目に反して半歩だけ身を引き、その一撃を容易く躱した。空を切った剣が岩盤を叩き割り、無駄な火花と煙、そして強烈な熱波だけが周囲に舞い上がる。
「キャアッ!?」
後方で杖を構えていたマリアが、レオの魔法剣の余波である熱風と飛散した岩の破片を浴びて悲鳴を上げた。純白の神官服は土埃で薄汚れ、額には脂汗が浮かんでいる。
体勢が崩れたレオの死角を突き、オーガ・キングの丸太のような棍棒が横薙ぎに迫る。
「マリア! シールド!」
「張ってます! あなたが勝手に私の射程から飛び出していくんでしょ! それに、さっきからあなたの攻撃の余波がこっちに飛んできてるのよ!」
ギリギリで展開された光の盾が棍棒を弾いたが、その衝撃でレオは数メートル後方へと吹き飛ばされ、無様に岩肌を転がった。
「ガハッ……! お前、タイミングが遅いんだよ! 俺を殺す気か!」
「理不尽なこと言わないでください! そもそも、あなたがヘイト管理もせずに突っ込むから……ッ!」
二人の間に、かつてないほど刺々しい声が飛び交う。
新しく雇ったCランクの荷物持ちは、戦闘開始からわずか数分でオーガ・キングの咆哮とレオの無軌道な攻撃の余波に恐怖し、「こんなの聞いてない!」と叫んで荷物を放り出し、すでに逃亡してしまっている。足元には、散乱したポーションの瓶が虚しく転がっていた。
レオは荒い息を吐きながら立ち上がり、宙に浮く自分たちの配信ドローンを睨みつけた。
同接数、3万5千。
かつては常に30万人を下らなかった彼らのチャンネルの数字は、見る影もなく落ち込んでいた。コメント欄の流れも遅く、その内容も彼らの虚栄心をズタズタにするものばかりだ。
【なんか今日のレオ、動きモッサリしてない?】
【いつも魔法剣が大振りすぎなんだよ。前はなぜか後衛に被害行ってなかったけど】
【ワンパンおじさんの配信がオフだからこっち来たけど、地味だな】
【あのFランクのおっさんの方がオーラあったわ】
【マリアもヒステリックになってて清楚感ゼロで草】
「黙れ……黙れッ! 俺はAランクだぞ! 次期Sランカーのこの俺が、あんな底辺のゴミと比較される筋合いはねえ!」
レオは完全に冷静さを失い、手当たり次第に魔力を暴走させてオーガ・キングへと突撃していった。
その無様な空回りは、彼らが過去の栄光にしがみつくほどに、無慈悲な形で全世界へと晒され続けていた。
★★★★★★★★★★★
「……よし。これで、どんなに暴れても破れやしないよ」
八王子駅前の探索者特区。
油と金属の匂いが染み付いた『飯田魔道具製作所』の作業場で、美沙は満足げに息を吐いた。
彼女の目の前には、上半身のツナギを脱ぎ、黒いタンクトップ一枚になったドクが立っている。
美沙が数日徹夜して組み上げた、飛竜の革と高純度ミスリル繊維のハイブリッド・ツナギ。ドクから無意識に漏れ出す膨大なエネルギーと、それに伴う物理的な負荷に耐えうるよう、分子レベルで魔力を編み込んだ美沙の最高傑作だ。
美沙は、最終調整としてドクの広い背中から腰にかけて、自身の両手を這わせた。
厚い革越しでもはっきりと伝わってくる、尋常ではない熱量。長年の酷使で鋼のように引き締まった筋肉と、そこに刻まれた無数の傷跡の感触が、指先から彼女の脳髄を直接揺さぶる。ゴツゴツとした岩山のような背中は、彼がこれまでどれだけの理不尽に耐え、どれだけの重荷を背負ってきたかを雄弁に物語っていた。
(……やばいね。アタシの最高傑作が、ただの普段着に見えるくらい、この男の器は底知れない)
職人としての純粋な探求心と、一人の女としての本能。それが完全に混線し、美沙の心臓は自分でも呆れるほど大きな音を立てていた。
顔が熱い。それを悟られないよう、彼女はわざとぶっきらぼうな声を出した。
「ほら、腕回してみな。引っかかりはないかい」
「うん、すごく動きやすいよ。前のジャージより全然軽いみたいだ。通気性もいいし、これならどれだけ荷物を背負っても平気そうだ。ありがとう、美沙さん」
ドクは屈託のない笑みを浮かべ、腕をぐるぐると回した。
その顔には、自分が世界中を震撼させている規格外のバケモノであるという自覚など欠片もない。ただ、仕事着を新調してもらって喜ぶ、人のいい小市民の顔だ。
「アンタねぇ……そのツナギ、素材費だけでも都内にマンションが建つくらいかかってんだよ。そこらで売ってるジャージと一緒にすんじゃないよ」
「えっ!? そ、そんな高いの!? 俺、一生かかっても払えないよ……」
ドクは真っ青になり、慌ててツナギを脱ごうとする。
「馬鹿っ、脱ぐな! 金はいらないって言っただろうが。アタシは、自分の打った武具が本物の強者に着られるのを見たいだけだ。……それに」
美沙はウエスで手の油を拭き取りながら、少しだけ視線を逸らした。
「アンタの専属エンジニアになるって、言っただろ。アタシの作品の面倒は、アタシが一生見てやるよ」
「……美沙さん」
ドクが真剣な顔になる。そして、深く頭を下げた。
「ありがとう。俺、荷物持ちの仕事、もっと頑張って、いつか恩返しするよ」
「……はぁ。どこまで行ってもアンタはそれだね。まあいい。ほら、服着な。終わったからメシ行くぞ」
美沙は照れ隠しのようにドクの背中をバンッと叩き、工房の奥へと歩き出した。
★★★★★★★★★★★
特区の裏路地にある、赤提灯が揺れる大衆ホルモン焼き『煙』。
名前の通り、店内は七輪から立ち昇る煙で視界が白く濁り、あちこちで探索者たちがジョッキを傾けて騒いでいる。高級なレストランなどではなく、その日を生き抜いた荒くれ者たちが脂とアルコールを腹に詰め込むための場所だ。
美沙に連れられて暖簾をくぐったドクは、少しだけ居心地が悪そうに肩をすくめていた。
「美沙さん、俺、こういう店あまり慣れてなくて。いつもはオリジン弁当か立ち食い蕎麦だから……」
「いいから座りな。ここのシマチョウとハラミは絶品なんだよ。おばちゃん! 生二つと、シマチョウ、ハラミ、あとカシラを塩で!」
美沙が慣れた様子で注文を通す。
丸椅子の置かれた小さなテーブルを挟んで、二人は向かい合った。
運ばれてきた冷えた生ビールで乾杯する。ドクは半分ほど飲み、ふぅ、と息をついた。
「美味い。仕事の後のビールはやっぱり最高だな」
「だろ? アンタも今日、ギルドで面倒な登録手続きして疲れたろうからね。ほら、肉が来た。焼くよ」
「あ、俺がやるよ」
ドクはトングを手に取ると、手際よく七輪の網の上に肉を並べ始めた。
脂の多いシマチョウは網の端でじっくりと火を通し、ハラミは中央の強火で表面をサッと焼き固めて肉汁を閉じ込める。肉の部位によって焼き方を変え、焦がさず、最も美味しい瞬間を見極めるその手つきは、完全に熟練のそれだった。
「アンタ、ほんとに何でもできるね」
美沙は頬杖をつき、肉を裏返すドクの顔をぼんやりと見つめた。
薄暗い店内と七輪の赤い火が、彼の深く彫りのある顔立ちに陰影を作り、ハッとするほどの色気を放っている。それなのに、本人はただ「肉を焦がさないように」と真剣な顔でトングを握っているだけだ。
「荷物持ちは、野営の時に肉を焼くのも仕事だからね。レオさんたち、焼き加減にうるさかったから。少しでも焦がすと、機嫌を損ねて晩飯抜きになっちゃうし」
ドクはシマチョウを美沙の取り皿に置き、自分もハラミを口に運んだ。
「ん、美味い。タレのニンニクが効いてて、ご飯が欲しくなるな」
「レオって、あの『紅蓮の剣』のか。……アンタさ、あいつらのこと、恨んでないのかい? ネットの特定班が、アンタがどんだけ酷い扱い受けてたか、未踏エリアでの置き去りも含めて次々と暴いてるけどさ」
美沙がジョッキを傾けながら、少しだけ声を落として尋ねた。
ドクは網の上のカシラをひっくり返し、困ったように少しだけ眉を下げた。
「恨むとかは、ないよ。俺は本当に才能がなかったし、あの中では一番下っ端だったから。彼らがイライラするのも仕方なかったと思うんだ」
「……あのねぇ。アンタが才能ないなら、世界中の探索者は全員ミジンコだよ」
「それに」
ドクはトングを置き、まっすぐに美沙を見た。
「あの人たちがいなかったら、俺、瞳ちゃんや、ルシアさん、クロエさん、アリサラさん……それに、美沙さんにも会えなかった。だから、これでよかったんだと思う」
「……っ」
美沙は、ドクの真っ直ぐで嘘のない瞳に見つめられ、言葉に詰まった。
心臓が再び、大きく跳ねる。
この男は、本当に底なしだ。力だけでなく、その優しさも。
自分がどれほど理不尽な目に遭っても、今手のひらにある小さな幸福を純粋に喜べる。その精神の在り方が、美沙にはひどく眩しく、愛おしく思えた。
「……バカヤロウ。アンタはホントに、欲がないねぇ」
美沙は照れ隠しにジョッキの残りを一気に煽り、「おばちゃん、生おかわり!」と大声を上げた。
「新しいパーティで、俺、ちゃんと荷物持ちできるか不安なんだ。みんなすごい人たちばかりだから、俺が足手まといにならないか……」
「心配すんな」
美沙はテーブルに身を乗り出し、ドクの分厚い手に、自身の手を重ねた。
「アンタは、ただそこにいりゃいいんだよ。アタシらが、アンタの背中を守ってやる。だから……安心して、アタシの打った服を着てな」
美沙の言葉に、ドクは目を丸くし、やがて顔を綻ばせて柔らかく笑った。
「ありがとう。……なんだか、すごく安心したよ」
煙と喧騒に包まれた大衆居酒屋の片隅で、二人の間には、誰にも邪魔されない穏やかで甘い時間が流れていた。
――その頭上で、ギルドのドローンが静かにホバリングしていることなど、二人とも完全に忘れていた。
【おい、いい雰囲気じゃねえか】
【美沙さん、完全に恋する乙女の顔になってるぞ】
【腕利きの職人落とすとか、ワンパンおじさんマジでタラシだな】
【焼肉デート配信で同接1000万超えwwww】
【瞳マネージャーが血涙流してこの配信見てると思うと草】
世界中の1000万人が見守る中、ドクは「ハラミ、もう焼けたよ」と、呑気に美沙の皿に肉を取り分けていた。




