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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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第12話 マイ・ヒーロー

「ちょっと! 離れてください! ドクさんは私の専属です!」


 瞳の悲痛な抗議の声が、薄暗いダンジョンの岩壁に虚しく反響する。しかし、その声はルシアの耳には全く届いていないようだった。


 ルシアの情熱を宿した瞳は、目の前の無骨な男だけを熱を帯びた視線で捉えて離さない。彼女から無意識に発せられるSランク特有の濃密な魔力は、ただ呼吸をしているだけでも周囲の空気を震わせ、岩肌の発光苔の光を明滅させていた。並の探索者であれば、その場に立っていることすら困難なほどの強烈なプレッシャーだ。


「ドク……いい名前ね。短くて、覚えやすいわ」

「あ、えっと。フルネームは田中ドクって言うんですけど……」

「タナーカ・ドク……ふふ、素敵な響きね。よろしく、ドク。ねえ、もっと近くで顔を見せて?」


 ルシアがさらに距離を詰め、その豊満な胸元がドクの分厚い胸板に触れそうになる。高級な香水と、戦いを経てきた微かな硝煙のような匂いが混ざり合い、ドクの鼻腔をくすぐった。


 ドクは長年底辺で蔑まれるだけの環境にいたため、こんなグラマラスな美女に好意的な態度で至近距離まで迫られた経験など皆無だった。ましてや、これほど強烈な色香を放つ女性など、これまでの人生で関わり合いになるはずもなかった。彼は露骨に視線を泳がせ、困り果てたように後ずさろうとする。


 その足元で、小さな黒い毛玉が一生懸命に自己主張を始めていた。


「ワゥ、ワフッ!」


 コロだ。コロはドクの頑丈なブーツと、ルシアの真紅のヒール付きブーツの間を行ったり来たりしながら、短い前足でルシアの脛をペチペチと叩いている。「ご主人様に近づくな」とでも言いたいようだが、本能的にルシアの規格外の強さを察知しているため、決して牙は立てず、へっぴり腰で威嚇のポーズをとっている。その涙ぐましいほど愛らしい姿に、ドクの緊張が少しだけ解けた。


 ドクはルシアの放つ圧倒的なプレッシャーよりも、足元で健気にオロオロしているコロの方に気を取られた。


「ごめんな、ルシアさん。この子、まだ俺に懐いたばかりで、見知らぬ人に警戒してるみたいなんだ」


 ドクはルシアからそっと半歩距離を取ると、しゃがみ込んでコロの首筋を撫でた。


「大丈夫だぞ、コロ。この人は敵じゃないからな。ただ道に迷って、ちょっと距離感が近いだけだ」


 ごわごわとした親指で耳の裏を優しく掻いてやると、コロは「クゥン……」と情けない声を出し、ドクの大きな掌に頭をすり寄せて目を細めた。警戒で逆立っていた毛並みがペタンと寝て、短い尻尾をパタパタと振り始める。ドクの温厚な声と手つきが、神狼の幼体の本能的な恐怖すらも和らげていた。


(……この状況で、犬を撫でる?)


 ルシアは、自身の誘惑を無造作に躱し、あろうことか足元の子犬の機嫌取りを始めた男を、呆然と見下ろした。

 これまでの人生、彼女がその気になれば、各国の要人だろうがSランクのトップ探索者だろうが、皆一様に彼女の美貌と力にひれ伏してきた。男たちは彼女の歓心を買おうと必死になり、誰もが彼女の行動一つ一つに一喜一憂した。それが、こんなにあっさりと「犬の世話」を優先されたのだ。


 だが、ルシアの胸に湧き上がったのは、怒りや屈辱ではなかった。


(余裕、なのね。私の魔力を目の当たりにしても、毛ほども脅威に感じていない)


 背筋がゾクゾクするような歓喜が、彼女の全身を駆け巡った。

 自身の全力をぶつけても、この男なら――いや、この男でなければ受け止めきれない。戦闘狂としての野生の本能がそう叫んでいた。


「……ねえ、ドク」


 ルシアは艶やかな赤い唇を舐め、一歩退いた。


「あなた、私が道に迷った観光客に見える?」

「え? 違うのか? だって、こんなダンジョンの奥底に、そんな薄着で……それに、ブラジルから来たって……」


 ドクが不思議そうに見上げる中、ルシアは腰に提げていた豪奢な剣の柄に手をかけた。


 チャキッ、と硬質な音が岩洞に響く。

 抜かれた刀身は、血のように赤い、極限まで圧縮された魔力を帯びていた。周囲の温度が急激に跳ね上がり、空気が陽炎のように揺らめき始める。


「ッ! ドクさん、避けて!!」


 瞳が悲鳴のような声を上げた。彼女の『詳細鑑定』の眼が、ルシアの剣に凝縮されていく致死量の魔力を正確に読み取っていた。

 かつてAランクのレオが放った魔法剣など、児戯に等しい。圧縮された熱量と斬撃のエネルギーは、この岩洞ごと二人を蒸発させるほどの威力を持っていた。しかも、一切の詠唱なし。Sランクのトップエクスプローラーによる、問答無用にして回避不能の初撃。


「私の本気、見せてあげるわ」


 ルシアは情熱的な笑みを浮かべたまま、一切の容赦なく、しゃがみ込んでいるドクの脳天めがけてその魔剣を振り下ろした。


『紅蓮刃・プロミネンス』。


 太陽の表面温度に匹敵する超高熱の斬撃が、空気をプラズマ化させ、凄まじい轟音と共にドクに迫る。


「うわっ!」


 ドクは咄嗟に、顔と足元のコロを庇うように両腕を交差させた。

 回避する素振りすらない。完全に素人の防御姿勢。


 ルシアの魔剣が、ドクの腕に激突した。

 その瞬間、ドクの背後に控えていたドローンのカメラレンズが、凄まじい光量で白飛びした。

 鼓膜を破る轟音が響き渡り、坑道の岩盤がドロドロに溶け落ちる――はずだった。


「……え?」


 ルシアの口から、間の抜けた声が漏れた。

 彼女の手にある魔剣は、ドクの着ている黒いタクティカルシャツの袖に触れた状態で、完全に停止していた。


 熱がない。衝撃もない。

 剣に込めたはずの莫大な魔力と運動エネルギーが、ドクの身体に触れた瞬間、まるで底なしの深淵に吸い込まれるように、音もなく『消滅』したのだ。

 ドクの足元の地面すら、1ミリも陥没していない。周囲の空気の温度すら、通常通りに下がっている。

 物理法則を完全に無視した現象だった。


「あー……びっくりした。今、何か光ったよな?」


 ドクは交差していた腕をゆっくりと下ろし、キョトンとした顔でルシアを見た。


「なんか、花火みたいなのが……。もしかして、ブラジルの手品? すごいな、全然熱くなかったし。でも、危ないからダンジョンの中で火薬は使わない方がいいぞ」

「てじ、な……?」


 ルシアは自身の剣と、全くの無傷で立っているドクの顔を交互に見比べた。

 彼女の全力を込めた必殺の斬撃。数々の巨大ボスを炭化させ、山をも切り裂いてきた一撃が、「手品」の一言で片付けられた。

 しかも、彼は魔力障壁を展開したわけでも、特別な防御スキルを使ったわけでもない。文字通り、ただの『服の袖』でSランクの攻撃を受け止めたのだ。


 ルシアの剣を持つ手が、微かに震え始めた。

 恐怖ではない。

 限界まで引き絞られた弦が放たれたような、純粋な歓喜と興奮の震えだった。


 チャキッ、と剣を鞘に収める。

 そして。


「ああ……っ! マイ・ヒーロー!!」


 ルシアは歓喜の声を上げ、ドクの首に両腕を回して、そのまま思い切り抱きついた。


「うおっ!? ちょ、ルシアさん!?」


 突然の情熱的なハグに、ドクはバランスを崩しそうになる。自身の体重を超えるバックパックの重さなど全く気にならないほどの、力強い抱擁だった。

 ルシアのグラマラスな身体がドクに押し付けられ、彼女の甘い香りと体温がドクの思考をショートさせる。


「素晴らしいわ、ドク! 私の全力をノーガードで受け止めるなんて! あなたこそ、私がずっと探していた本物の男よ!」


 ルシアはドクの肩に顔を埋め、彼の首筋にその赤い唇を擦り寄せる。


「ねえ、もっと私に見せて? あなたの深淵を、あなたの暴力を。私が全部、この身で味わってあげるから……!」

「いやいやいや! 暴力とか深淵とか、俺ただの荷物持ちだから! っていうか近い! 近いです!」


 ドクは真っ赤になりながら、ルシアの肩を押し返そうとするが、Sランク魔法剣士の基礎筋力は伊達ではない。びくともしなかった。


「ちょっと! 離れなさいよこの泥棒猫!!」


 ついに限界を迎えた瞳が、ショートスピアを放り出し、ルシアとドクの間に物理的に割り込もうと突撃してきた。


「ドクさんから離れてください! 突然現れて、攻撃したかと思えば抱きつくなんて、非常識にも程があります!」


 瞳は小さな両手でルシアの腰を押し退けようとするが、ルシアは余裕の笑みを浮かべたまま、瞳の頭をポンポンと撫でた。


「あら、可愛い小鳥ちゃん。怒った顔もキュートね。でも、この極上の獲物は譲れないわ。早い者勝ちでしょ?」

「獲物じゃありません! ドクさんは人間です! ほら、ドクさんも嫌がってるじゃないですか!」

「嫌がってる? 照れてるだけよ。ねえ、ドク?」

「えっと、あの……俺、仕事中なんですけど……」


 完全に蚊帳の外に置かれたドクは、二人の女性の間に挟まれ、オロオロと視線を彷徨わせていた。


 その足元では、コロが「ワゥワゥ!」と吠えながら、再びルシアのブーツに突撃を試みていた。

 ルシアは抱きついた体勢のまま、片足を器用に動かしてコロの腹をそっと撫で上げた。


「クゥン……」


 コロはあっさりと陥落し、ルシアのブーツの甲に顎を乗せて目を細めてしまった。

「裏切り者……!」と瞳が恨めしそうな声を上げる。


 この、Sランク美女の唐突な乱入、必殺の斬撃の無効化、それに続く熱烈なアプローチという、情報量が多すぎる一連の光景。

 ドローンの赤いランプは、その一部始終を無慈悲なほど克明に、全世界へと配信し続けていた。


【…………】

【えっと、俺の目がおかしいのかな?】

【ブラジルの太陽神、Sランカーのルシア・カルヴァーリョが、日本のおっさんに抱きついてるんだが?】

【ていうか、今の『紅蓮刃』だろ!? 山一つ吹き飛ばす威力のやつ!!】

【なんでおっさん、無傷なの!? 服すら焦げてないぞ!?】

【おっさん「ブラジルの手品?(すっとぼけ)」】

【手品で山が吹き飛ぶかボケェェェェ!!】

【おい、このおっさん、素顔イケメンすぎないか? 泥落としただけでハリウッドスターじゃん】

【ルシアがガチ惚れしてる……あの男嫌いで有名なルシアが……】

【隣のロリ巨乳マネージャーも顔真っ赤にして怒ってるし、なんだこのハーレム配信】

【コロが秒で手懐けられてるの草】

【もうダメだ、このおっさんの規格外っぷりに脳の処理が追いつかない】

【同接850万超えたぞ! D-Tubeのサーバーが死ぬ!】


 コメント欄は、完全に言語の限界を超えた阿鼻叫喚の嵐と化していた。


 各国のギルド本部でも、この映像を見ていた幹部たちが一斉に頭を抱えていた。


「ルシアの奴、勝手に日本へ飛びやがって……!」

「しかし、あの男の防御力はどうなっている? ルシアの全力魔法剣を、魔力障壁すら張らずに無効化したぞ」

「物理法則を無視している。あれはもはや『概念』の操作だ。日本のギルドは何を隠し持っているんだ……!」


 世界中の権力者たちが頭を抱え、ネットの海が前代未聞の熱狂に包まれる中。

 第1ダンジョン第19階層の片隅では。


「瞳ちゃん、ルシアさん、とりあえず落ち着いて。このままだと、俺の今日のノルマの石運びが終わらなくて、日当が……」


 二人の女性に挟まれたFランク荷物持ちの、果てしなく小市民的な哀願だけが、岩洞の中に虚しく響き渡っていた。

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