ハンカチに刺繍を
「おや?どなたかに差し上げるのですか?」
昨日購入した布に、さっそく守護の魔法陣を刺繍をしていると、筆頭待女のナタリーが興味深そうに私の手元を覗いてきた。ナタリーは私が六歳のころからお世話になっている待女である。もう、四十を過ぎ、二人の子どもの子育ても既に終えている女性だ。私の魔法のことを唯一知っている女性でもある。
私よりも何倍も人生経験のある彼女は、とても頼りになる人だった。呪いのことは打ち明けていないが、私は彼女のことを信用している。胸にある印のことも、私が話すまでは聞かないでくれている。だから、私が身体を触らせるのは彼女だけだった。他にも待女は何人かいるが、そちらは入れ替わりが激しいので信用していない。基本的に大抵の待女は、私より他の王子や王女の待女になりたがるのだ。
だから、常に私の側にいることを許しているのはこのナタリーだけである。ナタリーに全ての仕事を任せては彼女の負担が大きいので、信用が必要ない仕事は全て他の待女に任せ、私にとって重要な事柄に関してはナタリーに全て任せていた。
「ええ、ミカエルとリカルドに贈ろうと思って。いつも私を守ってくれていますから。少しでも彼らが危険な目に合わないようにと思って…」
私は今、自分専用の作業部屋にいる。ここには私とナタリーしか入れない場所だ。部屋の鍵は私が持っていて、鍵は特殊な加工が施された物でピッキングができないようになっている。私はこの部屋に重要なものを全て隠していた。
「そうでしたか。随分と刺繍がお上手になられましたね。それにしても、不思議な糸ですね。光の角度によって色が違って見えます」
「不思議でしょう?詳しくは言えないのだけど、これで刺繍をするとお守りの効果が強まるのですって」
「まぁ!とても素敵でございますね」
この糸はルリンネという蚕から採った糸だ。ルリンネは魔物の一種で、その糸は市場ではあまり出回っていない。これも、以前私が偶々知り合った商人からお礼にともらった物だった。一般的に、お守りと言われているハンカチの刺繍は、一回きりの効果で、お守りと言ってもかすり傷を守るくらいの効果しかない。しかも、持ち主の魔力に反応するので持ち主が魔力を持っていなかったり、魔力をきらしていれば効果を発揮しない。しかし、この糸は魔力を取り込むことができる。だから、この糸に魔力を込めて刺繍をすれば、その縫い手がこめた魔力で、守護の魔法が発動するのだ。光によって色が変わり、虹色に見えるのは私の魔力の色がそれだからである。
「これは守護の魔法陣ですか?それにしては見たことがありませんけれど」
「ええ。一般的なものより強力な魔法陣なのです。本で読んだの」
これは、古代から伝わる守護の魔法陣だ。現在一般的に使われている魔法陣は、簡略化され、威力が弱まったものだ。これを刺繍できる人はもう殆どいないだろう。何故なら、これは失われた魔法陣なのだから。
「流石はアウレイリア様でございますね。私は魔法については詳しく存じませんが、これなら守ってくれそうだと直感的に感じます」
「ふふふ、そうですね。魔法陣の細かさが尋常じゃないもの。間違えないように集中しないと」
魔法陣は少しでも間違えると、その効果を発揮しない。間違えによって予期せぬ副作用をもたらすこともあるので、慎重に書く必要がある。
「では、静かに自分の仕事でもしておくことにします。用がおありでしたらいつでもお呼びください」
「分かったわ。ありがとう、ナタリー」
私は手元に集中し、線一本狂いがないように刺繍を施していく。ハンカチ一つ分に刺繍が終わった頃には、既に日が変わっていた。マントの刺繍はこれの倍以上の大きさで、しかもこれ以外の魔法陣を付与する予定だ。他の仕事のことも考えると、完成はぎりぎりになりそうである。
窓から見える月を眺めながら、私は昼間のナタリーとの会話を思い出す。
「ねぇ、ナタリー。ハンカチを贈るって何か特別な意味があるのですか?」
「そうですね…ハンカチを贈る状況や立場によって違いますが、一般的に貴方をお慕いしていますという意味合いが強いと思います」
「…え、そうなの?」
知らなかった。ハンカチにそんな意味があったなんて…。あれ?それなら二人にハンカチを贈るのは色々と不味い?でも、別にそう意味じゃないって分かっているからいいのかな?
「はい。ハンカチは普段から身につけている物ですから。それを贈るということは貴方の側に居たいということの表れなのです。ただ、アウレイリア様の場合、王女という立場にありますから、少々意味が変わってきます」
「と言うと…?」
「主が自らの手で作り上げた物を賜るというのは、主からの信頼を得、側に仕えることを許された証になるのですよ。特に、剣やマントなんかは贈り物として最上級のものになりますね。剣は貴方に私の心臓を預ける。マントは貴方が無事に帰還し、私の側に戻ることを願う。そのような意味を持ちます」
「そうなんだ…」
そっか。それなら、贈っても問題ないね。遠慮なく二人分のハンカチとマントを作ろう。
「お二人もきっと喜ばれると思いますよ。なにせ、アウレイリア様がこうして手ずからお作りになった物ですからね」
「…そうだと嬉しいです」
私は机から箱を取り出すと、その中に入っていた石を手に取った。そしてそれを月にかざした。月の光に照らされて、それは蒼く輝く。
「どうか彼をお守りください…」
私の小さな呟きは、夜の闇に静かに溶け込んでいくのだった。。




