第二話 牛の国① アンコウの人魚
歌を歌っていた。
なにもない空間。
海も地上も、過去も未来も、光も闇もなにもない空間。
そこで私は大好きな歌を歌っていた。
「私の事を呼んだかい?」
扉の様なものが開き、その老婆はゆっくりと入ってくる。海の中の筈なのにその老婆は事もなげに歩き、暗闇の筈なのにその姿ははっきりと見える。
「お前はなんだ?」
「そうさね、私の事は魔女―『ハーキュリアの魔女』とでもお呼び」
「その魔女が、私になんの用だ」
「単刀直入に言うよ。お前は人間の足が欲しいのかい?」
魔女はなんでも知っている。魔女はなんでも欲しいものをくれる。でも、それは決してタダじゃない。
「欲しいと言ったらどうするつもりだ」
魔女はなんでもお見通しだと言う様に言葉を続ける。
「ああ、お前の歌は美しいね。人魚や、どうだい? お前がどうしても地上を望むのなら、その歌声と引き換えに、人間の足をくれてやろうじゃないか」
ああ、これは過去の夢だ。あの日以来何度も夢に見るあの日の決断。
だから私はこう答える。
「私にはどうしても会いたい人間がいる」
「本当にいいかい? もう二度と歌を歌えなくなるよ?」
「構わない。魔女よ、どうかわひゃひぃに……ふひゃひゃひゃひゃ」
お腹が重たい。顔がムズムズする。体中がくすぐったい、
やがて騒がしい声が聞こえる。
「―エン! シャオエン! 起きて!」
そこで私の夢は途切れた。
貨物室を充てがった私の部屋。寝ている私の上にまたがり、サンフラワーがほっぺたをぐにぐにして身体中をまさぐっている。
「起きて、人魚注意報だよ!」
「おはよう、サンフラワー。朝から騒がしいな」
「乗組員が何人か行方不明になって、それで調べたら海の中でチカチカ光ってて」
「分かった、すぐに行ってくる」
海の中で光るのは大概ヤバい奴だ。私は眠る時も付けたままの髪留めに手を当て、
「姿を成せ、『神の三叉』」
槍の形に変えると、そのまま真っ直ぐ、甲板から海の中に飛び込んだ。
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海の中。
目の前には丸くて大きな塊。
大きさはシャチ一匹分と言った所だろうか、とにかくデカい。
その巨体のあちこちに手や足が生える様に刺さっている。恐らくは行方不明になった船員達だろう。
刺さってる間は死ぬ事はないだろうが、一体化されたらもうお終いだ。
そうなったら残念だが、そいつは、あの巨体の「夫」として生きるしかない。
その前に助け出さなければ。
私は槍を構え、その大きな固まりに話しかける。
「そいつらを返して貰うぞ」
すると巨体から伸び出た擬似餌がチカチカと光る。その姿は儚げな聖女の様で、要はまあ、みんなコイツに騙されて海の中に引き摺り込まれたんだろうなと思える容姿で私に話しかけてくる。
「誤解です! 海に転落した皆さんを救助しただけです!」
「ドバー! みんな騙してくっつけたぁ!」
おい、下の本体から本音が漏れているぞ?
「必死で介護したら、皆さん私にプロポーズしてくださって……」
「ドバー! 泣き叫ぼうが離さない! 船の男は全部この『アンコウの人魚』様のものー!」
要はツガイを攫うために船に近づいた訳だ。
「どうか見逃して頂けますか?」
「ドバー! 見逃すものかよ!」
だが、それもここまでだ。
「かき混ぜろ、『神の三叉』」
槍の穂先が回り、凄まじい水流が『アンコウの人魚』に直撃する。
「キャー!」
「ドバー!」
こうして『アンコウの人魚』は錐揉み状にくるくる回り、水面を突き破り空の彼方に消えて行った。
くっついていた船員達も遠心力で全て外れた様だ。
「ふうーっ」
仕事を終え、水面から顔をだし地上の空気を吸い込む。
「シャオエーン! 終わったー?」
船の上ではサンフラワーが手を振っている。
「ああ、投げ出された奴らの救助を頼む」
「もう向かってるー!」
複数の救命ボートがプカプカ浮かんでいる船乗員達を収容していく。フェンやシゲミも一緒だ。そろそろ私も船に戻ろう。
空を見上げれば雲一つない青空と照りつける太陽。
うむ、海の中から眺める景色と違ってこれもまた悪くない。




