閑話 海の底の話⑤
世界はどこまでも広がっていた。
いつもとは違う海、いつもとは違う魚たち。そして、海とは違った生き物の住む陸地。
ママは陸地は怖い所だってたっぷり脅かしていたけど、ママだっていつもお出かけしている。怖い事なんてあるもんか。陸地の奥まで行ける川ってものをずっと進んでいく。
海の水と違って塩っぽくなくなる。代わりにちょっと嫌な匂いがする。何だろう、生き物の匂いとは違う嫌な感じ。それでも我慢してどんどん流れてくる反対に向かっていくと川を上がった所に変な生き物がいた。
「ねえ、そこの君! 泳ぎは得意かい!?」
「うわっ!」
ビックリした! 同じ言葉で話しかけてくる! あれも人魚? でも脚の形が違う。あれはもしかして……
「お前、人間か?」
もっと近づいて確かめてみよう。少しだけ川から出て……大丈夫、怖くなんかないっ!
「え? ちょっと待って……君は人魚かい?」
ホラ! 全然怖くない! 人間なんかへっちゃらだ! こんなに近づいてもなんて事ない!そして私は大事な事に気付いた。
「いかにも私は海の眷族、名をシャオエンと言う! これが噂に聞いた人間の足……これでは自由に泳げないだろ? 人間とは不便なものだな!」
だって、脚が二つもあったら、どっちで泳いでいいか分からなくなっちゃう。
「ねえ、君。シャオエンって呼んでいいかな? シャオエンは泳ぎは得意かい? 良かったら川で魚を取って欲しい。勿論お礼はする」
ホラ、上手く泳げない。魚を取れなきゃご飯も食べられない。……あれ?
……今私の名前を呼んだか? シャオエンって。
「うむ! そこで待っているがよい!」
私に任せろ! すぐにご飯を取って来てあげる!
……川の中で嬉しさが抑えられない。
私は人間と話をした! 後でたっぷり皆んなに自慢するんだ! 人間なんて全然怖くなかった! 人間が自分の名前を呼んでくれたって!
「取って来たぞ!」
頼まれた魚を持っていくと人間は火を起こしていた。取って来た魚を棒に刺すと、その火に近づけている。
「ありがとう! 焼けたら一緒に食べよう!」
火。海には存在し得ないもの。キラキラと揺らめく海辺の太陽の様なもの。近付いて眺めればどんどんと顔が熱くなる。
「あんまり近づくと危ないよ」
しまった! 火に夢中になって人間に捕まった! これじゃ川に逃げられない!
「うわっ! こらっ! 放せっ!」
「大丈夫、安心おし。火は近づくと危ないからね。ホラ、ここで焼けるのをじっと待っていよう」
……逃げられないから、大人しく捕まっていよう。だって、その手はママと同じ位優しくて、ママと同じ位暖かかったんだ。
「……うん」
それから少し私の話をした。海の事、人魚の事。ここに来た訳。私を抱える人間は驚いたり笑ったり私の話を楽しそうに聞いてくれる。
「さ、焼けたよ。熱いから少し冷ましたらね」
そして、初めて焼いた魚と言うものを食べた。
「!!……んー!……焼いた魚と言うのはこんなにも美味しいものなのか! 私はこれから毎日魚を獲るぞ! だからお前は毎日私を抱っこして魚を焼いてくれないか?」
これが毎日食べられるなら、私は暫くここにいてもいい。ママもその位大目に見てくれるだろう。
「お前じゃなくてステリオン。僕の名前はステリオン・フォレストだ」
名前を教えてくれたステリオンが私の頭を撫でてくれる。私はステリオンと一緒にいられるなら暫くここにいてもいい。
「ステリオン! 私は毎日魚を獲るからステリオンは毎日私を抱っこして頭を撫でて魚を焼いてくれ!」
でも、ステリオンは「うん」とは言わない。代わりに不思議な事を言う。
「君が魚を獲ってくれるなら、僕は代わりに僕の歌を教えよう。歌いながら一緒にご飯を食べよう。それでどうだい?」
「……うた? うたとはなんだ?」
「歌を知らないのかい?」
「知らない。それはいいものか?」
「うん、じゃあ、そのまま聞いておくれ。いいものかどうかは君が判断するといい」
そしてステリオンは川に向かって歌と言うものを歌い始めた。
「〜♪〜♪」
……
……
……なんだこれ?
……なんだこれ!
「どう? 一緒に歌うかい?」
……凄い! こんなの初めて知った! こんなのママも教えてくれなかった!
「これ! 私にも歌えるのか!?」
私はこれを知りたい! 私は歌と言うものを知りたい!
「勿論。歌は誰にでも歌えるんだよ」
そしてステリオンは一枚の紙を広げ私に歌を教えてくれる。最初は全体的になんとなく。イメージを掴んだら一音一音丁寧に。私には分からないけど、目の前の紙に書かれた小魚みたいなのを順に追っているみたいだ。
「そう、そんな感じ」
「〜♪〜♪」
少しずつコツが分かってくる。
紙に書かれた沢山の小魚は一匹でもいなくなったらダメな事。そう、この小さな紙に書かれた沢山の魚たちが一つの『歌』なんだ。
私は小魚たちの集まった素敵な『歌』を作り出す。
「〜♪〜♪」
小さなお魚たちはなんでも出来る。
例えばホラ、私が泳いで来た川は汚かったけど、紙の中の小さなお魚たちで、とても綺麗な川の『歌』なら作れる。
そして、私は紙の上の小さなお魚さんたちと一緒に『歌』を歌う。
せめて、歌の中だけでも綺麗な川を!
「〜♪〜♪」
ホンの少し、世界とひとつになる感じがした。
歌を終え、川を見るとあんなに嫌な匂いがしていた川が綺麗になっている。
「うわああああ!」
これは私がやったのか? 歌は思った事がなんでも出来る。人間はこんな凄い物を持っている。
「これが歌か! 歌とは凄いな!」
「いやいや、歌が凄いんじゃない、君が凄いんだ。僕もビックリだよ。人魚はみんなこんな事が出来るのかい?」
「出来ない! こんなの初めて見た!」
そして、その次にステリオンが言った事を私は忘れない。
「ならば、君は特別な人魚かも知れないね」
胸が熱くなる。川が綺麗になった以上にステリオンの言葉が嬉しくてたまらない。
「特別な人魚……えへへ……ねえ、ステリオン」
今日初めて会ったばかりなのに、私はまだ全然小さいのに。
「私はいつか人間の足を手に入れて、ステリオンに会いに行く!」
私はステリオンが好きでたまらない。
私に歌を教えてくれた。私を特別な人魚と言ってくれた。
そして、笑って私にこう言ってくれた。
「ああ、いつか大きくなったらおいで」
私は何日かステリオンに歌を教わり、そしてもう一度会う約束をして別れた。
何日も留守にしたから多分ママには怒られる。でも構うもんか。
皆んなにこの歌を教えよう。歌は凄いんだって。
私はいつか必ず人間の足を手に入れる。
人間の足を手に入れてステリオンに会いに行くんだ。
行こう。
行こう。
いつか人間の足を手に入れて、ステリオンに会いに行こう。




