第4話「仲間だからこそ」(前編)
朝6時。
池巣自動車営業所。
いつもなら、新人4人の声が響いている時間だった。
「おはようございます!」
細野孝太郎、川村健吾、大森恒一。
いつもの3人は揃っていた。
しかし。
「……。」
山下恒一だけは、いつもの笑顔がなかった。
「山下。」
細野が声をかける。
「大丈夫か?」
「……大丈夫。」
そう答えるものの、目はどこか遠かった。
昨日。
山下は独り立ち後、初めての単独乗務で事故を起こした。
狭い道路。
慎重になりすぎたハンドル操作。
そして、タクシーのドアミラーにバスの車体を接触させてしまった。
幸い、けが人はいない。
しかし。
運転士にとって事故とは、車両の傷だけではない。
自分自身の心にも大きな傷を残す。
午前6時30分。
乗務前点呼。
運転士たちが整列する。
前に立った男性が口を開いた。
「おはようございます。」
「安全推進担当、矢野誠です。」
矢野誠。
52歳。
事故担当も兼任する池巣営業所の安全の要。
見た目は30代にしか見えないほど若々しく、爽やかな雰囲気を持っている。
しかし、安全に関する話になると表情が変わる。
「昨日、接触事故がありました。」
営業所内が静かになる。
山下は下を向いた。
「幸いにも、けが人はありませんでした。」
「ですが、事故は事故です。」
矢野は続ける。
「皆さんにお願いがあります。」
「事故を起こした人間を責めるだけでは、安全は作れません。」
「原因を共有し、次に起こさないこと。」
「それが大切です。」
山下は顔を上げた。
「報告する勇気。」
「向き合う勇気。」
「それも運転士に必要な力です。」
「本日も安全運行をお願いします。」
「はい!」
営業所全員の返事が響いた。
点呼が終わった後。
寺島主任が新人4人を呼んだ。
「紹介する。」
「指導担当助役の金城さんだ。」
そこに立っていた男性。
白髪が少し混じった髪。
落ち着いた雰囲気。
だが、どこか親しみやすい笑顔。
「金城恒一です。」
59歳。
指導担当助役。
運転士歴約40年。
無事故・無違反を長年続け、その功績から国土交通大臣表彰を受賞した、池巣営業所が誇るベテランだった。
「すごい人なんですね……。」
川村が小声で言う。
すると金城は笑う。
「いやいや。」
「ただ長く運転していただけだよ。」
そう言った直後。
「ちなみに昨日は靴下を左右逆に履いてきたけどね。」
沈黙。
「……。」
大森が眼鏡を直す。
「今の発言は必要でしたか?」
「必要だよ。」
「人間らしさだから。」
営業所に笑いが起きる。
細野は思った。
(本当に表彰された人なのか……?)
しかし。
午後。
事故検証の時間。
金城の雰囲気は変わった。
「山下。」
「はい。」
「ここで何が起きた?」
道路を見ながら聞く。
「左側を意識しすぎました。」
「右側の確認が遅れました。」
金城はうなずく。
「そうだな。」
「でも、一番の原因はそれだけじゃない。」
山下を見る。
「焦りだ。」
「遅れたらどうしよう。」
「迷惑をかけたらどうしよう。」
「その気持ちが、確認を雑にする。」
山下は黙って聞いていた。
「運転士はな。」
「時間を守る仕事だ。」
「でも、安全を犠牲にして守る時間なんてない。」
矢野も記録を確認する。
「今回の事故は、誰にでも起こる可能性があります。」
「だからこそ、経験に変えましょう。」
山下は深く頭を下げた。
「はい。」
帰り道。
細野は金城を見る。
さっきまで冗談ばかり言っていた人。
でも今は、誰よりも真剣に後輩と向き合っている。
「金城さんって……すごいですね。」
藤崎が答える。
「そうですよ。」
「普段はあんな感じですけど。」
「安全に関しては、営業所で一番厳しい人です。」
細野はバスを見る。
(いつか……)
(俺も、あんな運転士になりたい。)
夕方。
終業点呼。
「本日の運行、お疲れさまでした。」
矢野が言う。
「ヒヤリハットがあった方は報告してください。」
「小さな気づきが、大きな事故を防ぎます。」
今日も一日。
池巣営業所のバスは無事に戻ってきた。
営業所を出る時。
山下が言った。
「俺、もう一回頑張る。」
細野は笑う。
「当然だろ。」
「同期なんだから。」
4人が歩き出す。
その後ろから声が響く。
「おーい!」
金城だった。
「明日寝坊したら、運転以前の問題だからな!」
山下が笑う。
「金城さんが言います!?」
営業所に笑い声が響いた。
事故の苦しさ。
仲間の温かさ。
そして、安全を守る責任。
新人4人は少しずつ、本当の運転士へ近づいていく。
(第4話・前編 完)




