23話 「それぞれの想い」(第1編 恋の始まり)
三月最後の日曜日。
池巣自動車営業所は、休日らしい穏やかな空気に包まれていた。
春休み期間ということもあり、路線バスを利用するお客様は多い。
運転士たちは、それぞれの担当路線へ向かい、安全運行を続けていた。
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その日の夕方。
川村健吾は、待ち合わせ場所へ向かっていた。
「……。」
珍しく少し緊張している。
普段は落ち着いていて、誰に対しても優しい川村。
しかし今日は違った。
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「食事に行くだけですよね。」
そう自分に言い聞かせる。
それでも。
いつもより少しだけ服装を気にした。
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待ち合わせ場所。
先に来ていたのは桜井七海だった。
「川村さん。」
川村に気付くと、笑顔になる。
「すみません、待ちましたか?」
「いえ。」
桜井は首を横に振る。
「私も今来たところです。」
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二人は近くのレストランへ向かった。
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「こうして二人で話すのは初めてですね。」
桜井が笑う。
「そうですね。」
川村も微笑む。
「営業所では仕事の話ばかりですから。」
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二人は食事をしながら、様々な話をした。
仕事のこと。
休日の過ごし方。
これからの目標。
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「川村さんは、どうして運転士になったんですか?」
桜井が聞く。
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川村は少し考えてから答えた。
「人の役に立つ仕事がしたかったからです。」
「バスって、ただ移動するだけじゃないと思うんです。」
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「通勤する人。」
「学校へ行く人。」
「病院へ向かう人。」
「それぞれの大切な時間を預かっていると思っています。」
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桜井はその言葉を聞いていた。
やっぱり。
この人は優しい。
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「川村さんらしいですね。」
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「桜井さんも同じだと思います。」
「え?」
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「営業所に来たばかりなのに、皆さんのことを一生懸命考えています。」
「そういうところ、すごいと思います。」
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桜井は少し驚いた。
まだ自信があるわけではない。
でも。
ちゃんと見てくれている人がいる。
それが嬉しかった。
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食事が終わり。
二人は店の外へ出た。
春の夜風が優しく吹いている。
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「今日は楽しかったです。」
川村が言う。
「僕もです。」
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少しの沈黙。
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桜井は覚悟を決めた。
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「川村さん。」
「はい。」
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「私。」
「川村さんのことが好きです。」
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川村は驚いた。
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でも。
嫌な気持ちはなかった。
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初めて会った日のこと。
営業所で話した時間。
少しずつ知った桜井という人。
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「ありがとうございます。」
川村はゆっくり言った。
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「僕も。」
「桜井さんといる時間は楽しいです。」
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「これからも。」
「一緒にいられたら嬉しいです。」
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桜井の表情が明るくなる。
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「はい。」
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二人は笑った。
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翌日。
池巣自動車営業所。
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「おはようございます!」
川村が出勤してくる。
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いつも通りの挨拶。
いつも通りの笑顔。
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しかし。
山下恒一はすぐに気付いた。
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「……。」
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「川村。」
「何かいいことあっただろ。」
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「え?」
川村が首を傾げる。
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「顔に出てる。」
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「山下さん。」
細野が笑う。
「分かるんですか?」
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「分かるよ。」
山下は胸を張る。
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「俺も結婚して長いからな。」
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「人の幸せそうな顔くらい分かる。」
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大森恒一も頷く。
「確かに。」
「川村さん、いつもより表情が柔らかいです。」
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「大森さんまで……。」
川村が照れる。
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「何かあったんですか?」
細野が聞く。
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川村は少し迷った。
でも。
同期には伝えたかった。
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「実は。」
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「桜井さんと、お付き合いすることになりました。」
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一瞬。
静かな時間が流れる。
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「そうか。」
山下が笑う。
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「おめでとう。」
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「ありがとうございます。」
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「大切にしろよ。」
山下は優しく言った。
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「仕事も大事だ。」
「でもな。」
「帰った時に待っていてくれる人がいるっていうのは、人生で大きいからな。」
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既婚者である山下だからこその言葉だった。
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大森も微笑む。
「おめでとうございます。」
「仕事との両立は大変ですが、支え合える相手がいるのは素晴らしいことです。」
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細野も笑う。
「良かったな、川村。」
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「ありがとうございます。」
川村は嬉しそうに頭を下げた。
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その様子を少し離れた場所から見ていた藤崎彩と西園寺美月。
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「良かったですね。」
藤崎が言う。
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「はい。」
西園寺も微笑む。
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「川村さんには、幸せになってほしいです。」
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二人は静かに笑った。
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誰かの恋が始まった春。
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しかし。
まだ答えを待っている想いもある。
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細野孝太郎。
藤崎彩。
西園寺美月。
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それぞれの気持ちは、まだ胸の中に残っていた。
(第23話・第2編へ続く)




