21話 「ありがとう、先輩」(後編)
三月最後の金曜日。
池巣自動車営業所には、いつもとは少し違う空気が流れていた。
今日は、三名のベテラン運転士にとって最後の乗務の日だった。
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朝の点呼。
所長が静かに口を開く。
「今日で定年を迎える三名には、長年にわたり池巣営業所を支えていただきました。」
「最後まで、いつもどおり安全運転でお願いします。」
三人のベテラン運転士が力強く頷く。
「はい!」
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その姿を、細野孝太郎たちは静かに見つめていた。
四十年以上。
雨の日も。
雪の日も。
台風の日も。
この街を走り続けてきた人たち。
その最後の一日が始まった。
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夕方。
一台、また一台とバスが営業所へ戻ってくる。
最後に帰庫したのは、定年を迎える先輩が運転する車両だった。
車庫へゆっくりと入り、エンジンが止まる。
静かな拍手が自然と広がった。
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「お疲れさまでした!」
営業所中に大きな声が響く。
先輩運転士は少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう。」
「今日も無事故で終われた。」
「それが一番だ。」
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夜。
営業所近くの会場で送別会が開かれた。
運転士。
整備士。
事務職員。
保険担当の藤崎彩と西園寺美月も参加している。
池巣営業所の仲間が全員集まった。
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乾杯のあと、思い出話に花が咲く。
「昔は今みたいにエアコンなんてなかったからな。」
「夏は本当に暑かったぞ。」
会場に笑い声が響く。
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山下恒一が小さく細野へ話しかける。
「こういう話、聞けるのも今日だけかもしれないな。」
細野は静かに頷いた。
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やがて、退職する先輩運転士が立ち上がった。
「皆さん。」
「長い間、本当にありがとうございました。」
会場が静まり返る。
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「私は四十二年間、この営業所でハンドルを握ってきました。」
「振り返れば、大変なこともたくさんありました。」
「でも。」
「辞めたいと思ったことは、一度もありません。」
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「なぜなら。」
「この営業所が好きだったからです。」
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「仕事が終われば、『お帰り。』と言ってくれる仲間がいる。」
「失敗すれば、一緒に考えてくれる仲間がいる。」
「嬉しいことがあれば、一緒に笑ってくれる仲間がいる。」
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「そんな営業所だったから。」
「毎日、帰ってくるのが楽しみでした。」
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細野たちは、その言葉を胸に刻む。
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「若い皆さん。」
「これから先。」
「つらい日もあるでしょう。」
「でも。」
「一人で抱え込まないでください。」
「この営業所には仲間がいます。」
「それだけは忘れないでください。」
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大きな拍手が会場を包んだ。
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送別会の終わり。
花束と記念品が贈られる。
最後に同期四人が代表して色紙を手渡した。
「本当にありがとうございました。」
細野が頭を下げる。
先輩運転士は色紙を見て、少し目を潤ませた。
「こちらこそ、ありがとう。」
「安心して引退できる。」
「お前たちがいるからな。」
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会場を出る頃には、春の夜風が心地よく吹いていた。
営業所へ戻る途中。
誰もすぐには口を開かなかった。
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しばらくして、川村健吾が静かにつぶやく。
「僕も。」
「いつか定年の日に、『この営業所でよかった』って言える運転士になりたいです。」
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「俺もだ。」
山下が笑う。
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大森も頷いた。
「そのためにも、一日一日を大切にしないといけませんね。」
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細野は営業所の建物を見上げた。
今日、先輩から受け継いだものは技術だけではない。
仲間を思う気持ち。
営業所を大切に思う気持ち。
そのすべてだった。
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三月も、残りあとわずか。
春は、新しい出会いを連れてやってくる。
そして池巣自動車営業所にも、新しい仲間を迎える準備が始まろうとしていた。
(第21話 完)




