8話 台風の日、守るべき路線(後編)
台風の雨は、時間とともに強くなっていった。
池巣自動車営業所から出庫したバスは、少ない本数ながら地域の足として走り続けていた。
通常なら。
この時間帯は一時間に15本以上のバスが行き交う路線。
しかし今日は違う。
安全確保のため、7本まで減便されている。
利用者には不便をかける。
それでも。
安全のためには必要な判断だった。
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「こちら錦33系統G877号車、細野です。」
細野孝太郎が無線を入れる。
『G877号車、どうぞ。』
「雨風が強くなっています。」
「視界が悪いため、速度を落として運行します。」
『了解しました。』
『安全最優先でお願いします。』
「了解。」
細野は前方を見る。
ワイパーが激しく動く。
道路には水がたまり始めていた。
普段なら見慣れた下町の道路。
しかし。
今日は自然の力で、いつもとは違う表情を見せている。
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停留所に到着する。
傘を差したお客様が待っていた。
「お足元にお気をつけください。」
細野は声をかける。
高齢のお客様。
荷物を持った方。
急いで乗ろうとする方。
一人ひとりを確認してからドアを閉める。
「運転手さん。」
一人の乗客が言った。
「こんな日も走ってくれてありがとう。」
細野は頭を下げた。
「安全にお送りします。」
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その頃。
「こちら草66系統M746号車、川村です。」
川村健吾も無線を入れていた。
『M746号車、どうぞ。』
「現在、○○橋付近。」
「風が強いため、速度を落として通過します。」
『了解。』
『橋の上では特に注意してください。』
「了解しました。」
川村は慎重にハンドルを握る。
池巣営業所では、川を越える運行は珍しいことではない。
橋を渡り。
向こう岸の街を結ぶ。
それが、この営業所の日常だった。
だからこそ。
普段との違いには敏感になる必要がある。
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「こちら草74系統J622号車、大森です。」
『J622号車、どうぞ。』
「現在、遅れが発生しています。」
「ただし、安全確認を優先して運行しています。」
『了解しました。』
『回復運転は不要です。』
「承知しました。」
大森らしい冷静な報告だった。
時間より安全。
それを守ることが、運転士の仕事だった。
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そして。
山下恒一は、里84系統K228号車を担当していた。
里84系統も、池巣営業所が長年守ってきた大切な路線だった。
川を越え。
住宅地を結び。
多くの住民に利用されている。
山下にとって、川沿いを走ることは特別なことではない。
だからこそ。
異変に気づいた。
「……。」
前方。
川の様子が、明らかに違っていた。
普段なら見える水面。
しかし今日は。
濁流が激しく流れている。
水位は上昇。
護岸近くまで迫っていた。
「これは危ないな……。」
山下は速度を落とす。
そして無線を取った。
「こちら里84系統K228号車、山下です。」
『K228号車、どうぞ。』
「現在、河川付近を走行中。」
「川の増水を確認しました。」
「水位がかなり上昇しています。」
「このまま雨が続けば、氾濫の危険があります。」
営業所内の空気が変わる。
『乗客状況を確認してください。』
「乗客に問題ありません。」
「ですが、この先の区間は安全確保が難しいと判断します。」
『了解しました。』
『安全確認を続けてください。』
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営業所では、すぐに対応が始まった。
所長。
運行担当。
事故担当の矢野誠。
三人が地図と運行状況を確認する。
「里84系統の河川区間ですね。」
矢野が言う。
「ここは増水した場合、危険になります。」
「事故が起きてからでは遅いです。」
所長は頷いた。
「運休判断を出す。」
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無線が入る。
『里84系統K228号車へ。』
『安全確保のため、対象区間は運休とします。』
『お客様へ案内後、安全な場所へ移動してください。』
「了解しました。」
山下は落ち着いて答える。
「安全最優先で対応します。」
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山下は車内のお客様へ説明した。
「申し訳ありません。」
「河川増水の危険があるため、安全を考慮し運行を中止いたします。」
少しの沈黙。
すると。
「運転手さん。」
年配の男性が声をかけた。
「それでいいと思います。」
「事故になってからじゃ遅いですから。」
山下は深く頭を下げた。
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夜。
台風は通過した。
激しかった雨と風は、少しずつ収まっていく。
池巣自動車営業所には、無事に戻ってきた運転士たちの姿があった。
「お疲れさまでした。」
矢野が声をかける。
「今日は事故担当として、一番嬉しい結果です。」
「事故がなかったこと。」
「それが何よりです。」
細野たちは頷いた。
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営業所の外。
雨上がりの夜空。
雲の切れ間から星が見えていた。
「綺麗ですね。」
川村が空を見る。
細野も見上げる。
数時間前まで台風だったとは思えないほど、静かな夜だった。
「この街を守るって、こういうことなんですね。」
細野がつぶやく。
山下が笑う。
「そうだな。」
「走るだけじゃない。」
「危ない時に、止まる判断もする。」
大森が頷く。
「それも運転士の仕事ですね。」
四人はしばらく夜空を見上げていた。
下町を支える池巣自動車営業所。
今日もまた。
地域の人たちを守り抜いた。
(第8話 完)




