7話 熱海の夏、秘密の夜(後編)
夏祭りを最後まで楽しんだ六人は、ゆっくりと保養所へ戻ってきた。
「今日は本当に楽しかったですね。」
川村が満足そうに笑う。
「海で遊んで、祭りにも行けて。」
「まさか一泊になるとは思いませんでしたけど。」
「でも、結果的にはよかったな。」
山下が笑う。
「焦って帰って事故を起こすより、ずっといい。」
その言葉に、細野も頷いた。
「安全を考えたら正解でしたね。」
運転士として、無理をしない判断。
それは仕事でも休日でも変わらない。
六人は改めて、その大切さを感じていた。
保養所へ戻ると、売店へ立ち寄る。
「せっかくだから、少し飲みませんか?」
山下が缶ビールを手に取る。
「明日は休みですし。」
「いいですね。」
川村が嬉しそうに頷く。
「旅行っぽいです。」
「川村さん。」
大森が笑う。
「今まで旅行したことないみたいな言い方ですね。」
「実際、こういう旅行は久しぶりなんです。」
川村は照れながら答えた。
男子部屋へ戻ると、テーブルに飲み物とおつまみを並べる。
女性二人も加わり、六人で輪になる。
「それでは。」
細野が缶を持ち上げる。
「今日はお疲れさまでした。」
「乾杯!」
全員の声が重なった。
海で遊んだこと。
夏祭りで笑ったこと。
普段の仕事では見られない姿。
話題は尽きなかった。
「それにしても。」
西園寺が笑う。
「細野さんが海であんなに楽しそうにするとは思いませんでした。」
「本当に。」
藤崎も頷く。
「営業所ではいつも真面目ですから。」
「……そんなに違いましたか?」
細野が苦笑する。
「違います。」
大森が即答した。
「仕事中の細野さんは、常に周囲を気にしています。」
「でも今日は、普通の同年代の男性でした。」
「それ、褒めてます?」
細野が聞く。
「はい。」
大森は真顔で答える。
「褒めています。」
その返事に、全員が笑った。
「でも。」
川村が言う。
「細野さんだけじゃないですよ。」
「みんな営業所とは違いました。」
山下が頷く。
「そりゃそうだ。」
「仕事中は責任があるからな。」
「でも、休む時は休まないとな。」
その言葉に、細野は少し考える。
運転士として。
社会人として。
責任を持つことは大切だ。
しかし、仲間と笑う時間も必要なのかもしれない。
そんなことを感じていた。
時計の針が進む。
楽しい時間は、あっという間だった。
すると。
山下がふと缶をテーブルへ置いた。
「そういえば。」
「今日だから話しておこうと思ったことがある。」
いつも明るい山下とは違う、少し真面目な声。
全員の視線が集まる。
「俺さ。」
山下は少し照れたように笑った。
「結婚してるんだ。」
一瞬。
部屋が静かになった。
山下の言葉に、部屋の空気が一瞬止まった。
「俺さ。」
「結婚してるんだ。」
「……え?」
最初に声を出したのは細野だった。
「山下さんが?」
川村も目を丸くする。
「本当ですか?」
西園寺と藤崎も驚いた表情で山下を見る。
大森だけは少し意外そうな顔をしていた。
「営業所では話してなかったからな。」
山下は照れくさそうに笑う。
「仕事と家庭は分けていたかったんだ。」
「それに、わざわざ言うタイミングもなかったしな。」
「いや……。」
細野が苦笑する。
「正直、全然気づきませんでした。」
「俺もです。」
川村も頷く。
「山下さんが家庭を持っている姿が想像できませんでした。」
「失礼だな、お前ら。」
山下が笑う。
「俺だって普通に家庭くらい持つよ。」
そう言うと、少し表情が柔らかくなった。
「それと……。」
「俺には子どもが二人いる。」
「え?」
全員が再び驚く。
「四歳の娘と。」
「二歳の息子。」
「二人の父親だ。」
「えぇぇ!?」
今度は五人が声をそろえた。
「山下さんがお父さん……。」
川村が思わずつぶやく。
「全然想像できません。」
「だから失礼だって。」
山下は笑いながらスマートフォンを取り出した。
「ほら。」
画面には家族写真が映っていた。
笑顔の娘。
まだ小さな息子。
そして二人を優しく見守る山下。
「かわいいですね。」
西園寺が微笑む。
「山下さん、すごく優しい顔しています。」
藤崎も頷く。
「仕事中とは全然違いますね。」
「まあな。」
山下は少し照れた。
「家ではただの父親だから。」
「娘とは遊ぶし、息子は抱っこをせがんでくる。」
「休日は大変だけど。」
少し笑う。
「楽しいよ。」
そして。
「仕事から帰ってきて、『パパ、おかえり』って言われるとさ。」
「疲れなんて全部なくなる。」
その言葉に、部屋が静かになる。
「だから。」
山下は続けた。
「絶対に無事に帰らなきゃいけないって思う。」
「自分のためでもあるけど。」
「待ってる家族のためでもあるからな。」
細野はその言葉を聞き、胸に刻んだ。
運転士の仕事。
それは乗客を目的地へ届けるだけではない。
自分自身も、必ず帰ること。
それも大切な責任なのだ。
すると。
「実は……。」
今度は大森が静かに口を開いた。
「私も結婚しています。」
「え?」
全員が大森を見る。
そして。
「お前もか!?」
一番驚いたのは山下だった。
「はい。」
大森は穏やかに頷く。
「結婚して三年になります。」
「子どもはいませんが。」
「いや……。」
山下は苦笑する。
「まさか大森までとは。」
「私も山下さんが既婚者だとは思っていませんでした。」
大森の返答に、全員が笑った。
「二人とも隠すの上手ですね。」
西園寺が笑う。
「仕事では家庭の話をしなかっただけです。」
大森が答える。
「運転士として見てもらいたかったので。」
「俺も同じだ。」
山下が頷く。
「家族は大事。」
「でも、職場では仲間として接してほしかった。」
その言葉に、細野と川村は改めて二人を見る。
先輩運転士として。
そして、一人の家族を持つ人間として。
二人の背中が少し大きく見えた。
「今日は驚くことばかりですね。」
川村が笑う。
「本当ですね。」
細野も笑顔になる。
時計を見ると、夜も遅くなっていた。
「そろそろ寝るか。」
山下が言う。
「明日は帰らないとな。」
「そうですね。」
大森も頷いた。
その時。
「ふぁ……。」
川村が大きなあくびをする。
「すみません……限界です。」
そのまま布団へ倒れ込む。
「川村、早いな。」
山下が笑う。
細野も目をこする。
「俺も……少し休みます。」
「今日は運転もしましたから。」
そう言って細野も布団へ入る。
数分もしないうちに、二人の寝息が聞こえ始めた。
「本当に疲れてたんだな。」
山下が笑う。
「起こさないようにしましょう。」
大森が静かに答える。
藤崎と西園寺も頷いた。
そして。
山下、大森、藤崎、西園寺の四人は、細野と川村を起こさないよう静かに部屋を出る。
向かった先は、女子部屋。
そこで交わされる会話が。
この旅をさらに特別なものに変えていく。
細野と川村が眠る男子部屋を静かに出た四人は、隣の女子部屋へ移動した。
扉を閉める。
誰にも聞こえないように、自然と声を落とした。
「なんだか不思議ですね。」
西園寺が小さく笑う。
「山下さんも大森さんも、家庭があるのに全然気づきませんでした。」
「仕事中は出さないようにしてるからな。」
山下が笑う。
「運転士として見てもらいたいから。」
「でも。」
大森が続ける。
「家族がいるからこそ、仕事への責任も強くなります。」
「無事に帰る。」
「それは自分のためでも、家族のためでもありますから。」
二人の言葉を、藤崎と西園寺は静かに聞いていた。
しばらくして。
西園寺が少し表情を変える。
「実は……。」
「相談したいことがあります。」
山下は優しく笑った。
「恋愛か?」
「……はい。」
西園寺は少し照れながら頷く。
「気になる人がいます。」
藤崎も静かに西園寺を見る。
「その人は……。」
西園寺はゆっくり話し始めた。
「真っ直ぐな人です。」
「失敗しても、逃げない人。」
「自分が大変な時でも、周りのことを考えられる人です。」
「誰かが困っていたら、自然に助けられる人。」
山下は黙って聞いていた。
「その人といると安心するんです。」
「もっと、その人のことを知りたいって思うようになりました。」
「でも……。」
西園寺は少し視線を落とす。
「仕事仲間だから。」
「今の関係を壊したくない気持ちもあります。」
山下は頷いた。
「大切に思ってるんだな。」
「だから慎重になる。」
「それは悪いことじゃない。」
西園寺が少し安心したように笑った。
すると。
「私も……。」
藤崎が静かに口を開いた。
三人が藤崎を見る。
「気になる人がいます。」
山下は少し笑う。
「どんな人なんだ?」
藤崎は少し考えた。
「不器用な人です。」
「でも。」
「周りをよく見ています。」
「誰かのためなら、自分が苦労することも選べる人です。」
「失敗しても、言い訳をしない人です。」
山下は腕を組みながら聞いていた。
そして。
「……それ。」
「細野だろ。」
「え?」
藤崎と西園寺が同時に顔を上げる。
「山下さん?」
大森も少し驚いた表情を見せる。
山下は苦笑する。
「いや。」
「二人の話を聞いていたら、俺には一人しか思い浮かばない。」
「細野だ。」
部屋が静かになる。
「……。」
「……。」
西園寺と藤崎は顔を見合わせる。
「え?」
西園寺が小さく声を出す。
「藤崎さんも……?」
「細野さん……?」
藤崎も驚いた表情になる。
「西園寺さんも……細野さんなんですか?」
「はい……。」
二人はお互いを見つめる。
まさか。
同じ人を想っていたなんて。
「気づかなかったです。」
西園寺が苦笑する。
「私だけだと思っていました。」
藤崎も少し笑った。
「私もです。」
そこにあったのは、嫉妬ではなかった。
同じ人の良さを知っている者同士の、不思議な共感だった。
「細野さんらしいな。」
山下が笑う。
「あいつは自分が特別なことをしていると思ってない。」
「でも、周りから見るとそういうところが魅力なんだろうな。」
大森も頷く。
「人を大切にできる人は、自然と人から大切にされます。」
二人は静かに頷いた。
「でも。」
山下は続ける。
「焦るな。」
「恋愛は勝ち負けじゃない。」
「相手を大切に思う気持ちは、比べるものじゃないからな。」
大森も優しく続ける。
「今まで通り自然に接してください。」
「無理に何かを変える必要はありません。」
「時間をかけて、お互いを知っていけばいいと思います。」
「ありがとうございます。」
西園寺が微笑む。
「少し気持ちが楽になりました。」
「私もです。」
藤崎も頷いた。
その後。
四人はしばらく他愛のない話をした。
仕事のこと。
休日のこと。
そして、これからのこと。
気づけば夜も深くなっていた。
「そろそろ寝ましょうか。」
大森が時計を見る。
「明日は帰らないといけませんから。」
四人は静かに部屋を出る。
翌朝。
六人は保養所の食堂で朝食を囲んでいた。
「昨日は楽しかったですね。」
川村が笑う。
「まさか泊まりになるとは思いませんでしたけど。」
「でも、いい思い出になったな。」
山下が頷く。
細野は窓の外の海を見る。
「また、みんなで来たいですね。」
「今度は予定通り帰れる日に。」
その言葉に、全員が笑った。
最後に六人で記念写真を撮る。
海。
夏祭り。
そして、普段は知らなかった仲間の一面。
予定外の一泊は、六人の絆をさらに深める旅になった。
誰も知らない。
この夜が、細野を中心とした二人の想いが動き始めた特別な夜になることを。
そして数日後。
池巣自動車営業所に、夏の大きな試練が近づいていた。
大型台風が関東へ接近していた――。
(第7話 完)




