7話 熱海の夏、秘密の夜(前編②)
夏期休暇当日。
午前四時五十分。
まだ空は薄暗く、街も静かだった。
営業所最寄り駅前には、一台の白いRVミニバンが停まっている。
運転席から降りた細野は、車の周りをゆっくりと一周した。
タイヤ。
灯火類。
車体。
ミラー。
一つひとつ目で確認していく。
「……よし。」
小さく頷く。
職業病なのかもしれない。
自家用車でも、出発前には必ず点検してしまう。
そんな自分に苦笑いした、その時だった。
「おはよう!」
元気な声が聞こえる。
山下だった。
「おはようございます。」
細野が笑顔で頭を下げる。
「早いな。」
「少し余裕を持って来ました。」
「細野らしいな。」
山下が笑う。
「仕事じゃなくても、安全第一か。」
「せっかくの旅行ですから。」
細野は照れ笑いを浮かべた。
「無事に帰るまでが旅行です。」
「その考え方、運転士らしいな。」
二人が笑っていると、駅の方から大森が歩いてきた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
三人が揃う。
「まだ少し時間ありますね。」
大森が腕時計を見る。
「あと十分。」
「川村ならギリギリかな。」
山下が笑う。
「そんな気がします。」
細野も笑った。
しばらく雑談をしていると、駅前には旅行へ向かう人たちが次々と集まってくる。
小さな子どもの手を引く夫婦。
友達同士ではしゃぐ学生。
大きなスーツケースを転がすカップル。
どの顔も楽しそうだった。
その様子を見つめながら、細野はぽつりとつぶやく。
「いいなぁ。」
「ん?」
山下が振り向く。
「みんな楽しそうですね。」
細野は笑いながら言った。
「こっちは旅行なのに、頭の中は運転のことばっかりです。」
「仕事じゃないのに。」
大森も思わず笑う。
「運転士の習慣ですね。」
「どこで休憩を入れるかとか。」
「渋滞したらどうするかとか。」
「そんなことばっかり考えてました。」
細野は苦笑した。
「こっちは仕事なのになって、ちょっと思っちゃいました。」
「ははは!」
山下が大きく笑う。
「旅行でも運転士は運転士か。」
「性分ですね。」
細野も笑うしかなかった。
その時。
山下のスマートフォンが震える。
画面を見ると、小さく笑った。
「ちょっと悪い。」
「少し向こう行ってくる。」
「あ、はい。」
山下は駅前の少し離れた場所へ歩いていく。
その様子を見た大森もスマートフォンを取り出した。
「私も少し失礼します。」
二人は自然と別々の方向へ歩いていった。
細野は特に気にする様子もなく車を眺めている。
「何かあったんですかね。」
「さあ。」
細野は首を傾げた。
「仕事の電話ですかね。」
数分後。
二人は何事もなかったような表情で戻ってくる。
「待たせた。」
「大丈夫です。」
細野は笑顔で答えた。
山下は話題を変えるように言う。
「そういえば。」
「帰りは渋滞しそうだよな。」
「ありますね。」
細野が頷く。
「その時は無理せず休憩を入れます。」
「頼りになるな。」
山下が笑った。
その時だった。
「おはようございまーす!」
遠くから聞き慣れた声が響く。
川村がリュックを背負い、小走りでやって来た。
「セーフ!」
「まだ五分前だぞ。」
山下が笑う。
「だからセーフです!」
川村は胸を張る。
「寝坊しなくてよかった……。」
その一言に、四人は思わず笑ってしまった。
川村が到着して数分後。
「お待たせしました。」
聞き慣れた声に振り返る。
西園寺美月と藤崎彩が並んで歩いてきた。
「おはようございます。」
二人は笑顔で頭を下げる。
「おはよう。」
山下が軽く手を挙げた。
「時間ぴったりですね。」
大森が腕時計を見ながら微笑む。
「遅れなくてよかったです。」
西園寺が胸をなで下ろした。
その時だった。
藤崎の視線が、一台の白いRVミニバンで止まる。
「……え?」
「これって。」
西園寺も目を丸くした。
「細野さんの車ですか?」
「はい。」
細野は少し照れくさそうに笑う。
「俺のです。」
「想像してたより大きいですね。」
藤崎が驚いたように言う。
「六人乗れるって言ってましたけど、本当に広い。」
「荷物もたくさん積めそう。」
西園寺も車内を覗き込む。
「旅行くらいなら余裕ですよ。」
細野が答えた。
「細野、やるなぁ。」
山下が感心する。
「じゃあ荷物積もう。」
それぞれ荷物を積み込み、全員が車へ乗り込む。
運転席に細野。
助手席に山下。
二列目に西園寺と藤崎。
三列目に川村と大森。
「シートベルト、大丈夫ですか?」
「はい。」
「オッケー!」
全員の返事を確認すると、細野は静かに車を発進させた。
朝焼けの街を抜け、高速道路へ入る。
休日の朝だけあって、交通量はまだ少ない。
「順調ですね。」
細野が前方を見ながら言う。
「この時間に出て正解だったな。」
山下が頷く。
車内では仕事の話や休日の過ごし方など、他愛もない話で盛り上がる。
約一時間後。
「そろそろ休憩しましょう。」
細野はサービスエリアへ車を入れた。
「やった!」
川村が勢いよく降りる。
「朝飯見てきます!」
「私たちも。」
西園寺と藤崎は売店へ向かおうとする。
その時だった。
細野がポケットから煙草を取り出した。
「一本だけ吸ってきます。」
「俺も。」
川村が笑いながら煙草を取り出す。
「私もご一緒します。」
大森も自然に続いた。
三人は並んで喫煙所へ向かう。
その後ろ姿を見送りながら、藤崎が驚いたように口を開く。
「えっ……。」
「三人とも煙草吸うんですね。」
「私も驚きました。」
西園寺も目を丸くする。
「細野さんは吸わないイメージだったので。」
「意外ですね。」
二人は顔を見合わせて苦笑した。
一方、喫煙所。
三人は煙草に火をつける。
ゆっくりと煙が立ち上った。
「休みの日の一本はうまいな。」
川村が笑う。
「仕事の日も。」
細野が煙を吐きながら言う。
「乗務前と休憩中、それから終業後くらいしか吸いませんけどね。」
「勤務中は当然吸えませんから。」
大森も頷いた。
「習慣みたいなものですね。」
三人は穏やかに笑い合う。
少し離れた場所で缶コーヒーを飲んでいた山下は、その様子を眺めながら笑った。
「仲いいな、あいつら。」
「本当ですね。」
西園寺も笑顔になる。
「仕事中とはまた違う雰囲気です。」
「同期っていいですね。」
藤崎も微笑んだ。
休憩を終え、六人は再び車へ乗り込む。
高速道路を走り続けると、窓の向こうに青い海が見え始めた。
「海だ!」
川村が嬉しそうに声を上げる。
「本当だ!」
藤崎も思わず身を乗り出す。
「きれい……。」
西園寺が窓の外へ目を向ける。
細野はバックミラー越しに、その笑顔を見て小さく微笑んだ。
「もうすぐ熱海です。」
白いRVミニバンは、夏の陽射しを浴びながら熱海の街へ入っていく。
保養所へ荷物を預ければ、いよいよ六人だけの夏休みが始まるのだった。
(中編①へ つづく)




