第7話 熱海の夏、秘密の夜(前編①)
夏本番。
強い日差しが池巣自動車営業所のアスファルトを照らし、朝から蝉の鳴き声が絶え間なく響いていた。
学生たちは夏休みに入り、街には大きな旅行バッグを持った家族連れや観光客の姿が目立つ。
営業所も例外ではない。
海や観光地へ向かう利用客が増え、一年の中でも特に忙しい時期を迎えていた。
昼過ぎ。
一通りの乗務を終えた細野たちは、休憩室で冷たい飲み物を片手に一息ついていた。
「暑いなぁ……。」
川村が制服の襟元をぱたぱたとあおぐ。
「今日だけで何本スポーツドリンク飲んだか分からないですよ。」
「まだ八月は始まったばかりだぞ。」
山下が笑いながら缶コーヒーを開ける。
「先が思いやられるな。」
「でも、お客様は楽しそうですよね。」
細野が窓の外を見ながら言った。
営業所前の停留所には、浮き輪やクーラーボックスを持った家族連れが並んでいる。
「夏休みですからね。」
大森が静かに頷いた。
「海へ向かう方も多いでしょう。」
しばらく四人でその光景を眺めていると、山下がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば。」
「今年の夏期休暇、みんな予定あるのか?」
「特にはないですね。」
川村が即答する。
「実家に顔を出すくらいです。」
「俺もそんな感じです。」
大森も頷く。
三人の視線が細野へ集まる。
「細野は?」
「俺も特に予定はありません。」
細野は少し考えてから笑った。
「せっかく四人とも休みが重なってるんですし、どこか出かけませんか?」
「いいな、それ!」
山下が身を乗り出す。
「どこ行く?」
細野は営業所の掲示板へ目を向けた。
福利厚生の案内が貼られている。
「熱海なんてどうでしょう。」
「熱海?」
川村が反応する。
「営業所の保養所がありますよね。」
「ああ。」
大森が頷く。
「職員なら利用できます。」
「海もありますし。」
細野は続ける。
「せっかくの夏ですから。」
「温泉もあるぞ。」
山下が笑う。
「いいじゃん。」
四人の表情が少しずつ明るくなる。
しかし細野は人差し指を一本立てた。
「ただ。」
「今回は日帰りにしましょう。」
「日帰り?」
川村が首をかしげる。
「夏期休暇とはいえ、翌日はゆっくりしたい人もいるでしょうし。」
「なるほど。」
山下が納得したように頷く。
「朝早く出れば十分遊べるな。」
「渋滞も考えると。」
細野はスマートフォンで地図を開く。
「午前五時には出発したいです。」
「五時!?」
川村が思わず声を上げる。
「早くないですか?」
「夏休みですから。」
細野は笑う。
「遅く出ると、高速も現地も混みます。」
「帰りも渋滞する可能性がありますし。」
大森が付け加えた。
「そのくらいがちょうどいいですね。」
「さすが運転士だな。」
山下が感心したように笑う。
「遊びでも運行計画を立てるとは。」
四人は思わず笑い合った。
旅行の予定が少しずつ形になっていく。
「そうなると。」
大森が口を開く。
「移動手段ですね。」
「電車でもいいですけど。」
川村が言う。
「六人になったら結構大変そうですよね。」
「六人?」
細野が聞き返す。
山下がニヤリと笑う。
「せっかくなら。」
「西園寺さんと藤崎さんも誘おうぜ。」
細野は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに頷いた。
「いいですね。」
「仕事以外で会う機会なんて、なかなかありませんし。」
「賛成です。」
大森も穏やかに笑う。
川村も嬉しそうに頷いた。
「でも。」
「山下さん。」
「二人の連絡先、知ってるんですか?」
その一言で、休憩室が静かになる。
山下は一瞬だけ目をそらした。
「……研修の時に交換した。」
「仕事の連絡用だけどな。」
「へぇ~。」
川村が意味ありげに笑う。
「本当に仕事用ですか?」
「お前なぁ。」
山下は苦笑いを浮かべた。
「疑いすぎだ。」
そのやり取りを見ていた細野たちも笑い出す。
笑い声が落ち着いた頃。
山下はスマートフォンを取り出した。
「じゃあ、聞いてみるか。」
「お願いします。」
細野が頷く。
山下は手慣れた様子でメッセージを打ち始めた。
『夏期休暇に同期で熱海へ日帰り旅行へ行くけど、一緒にどう?』
送信ボタンを押す。
「返事、来ますかね。」
川村が覗き込む。
「仕事中だからすぐには無理だろ。」
山下がスマートフォンを机に置いた。
その頃――。
西園寺美月は別の営業所で保険商品の説明を終え、休憩室へ戻ってきた。
「失礼します。」
一息つきながらスマートフォンを見る。
通知が一件。
「山下さん?」
メッセージを開く。
『夏期休暇に同期で熱海へ日帰り旅行へ行くけど、一緒にどう?』
思わず笑みがこぼれた。
「楽しそう。」
少し考えたあと、すぐに返信する。
『ぜひ参加します。よろしくお願いします。』
一方その頃。
藤崎彩も休憩時間に入っていた。
自動販売機で買ったお茶を片手に椅子へ座る。
スマートフォンが震えた。
「熱海?」
メッセージを読み終えると、小さく微笑む。
「みんなで行くんだ。」
迷うことなく返信した。
『私も参加します。よろしくお願いします。』
夕方。
乗務を終えた四人は再び休憩室へ集まった。
「どうでした?」
細野が聞く。
山下はスマートフォンを見せる。
「二人ともオッケー。」
「よかった!」
川村が嬉しそうに声を上げた。
「これで六人ですね。」
大森も穏やかに笑う。
「じゃあ。」
細野がスマートフォンを開く。
「集合時間を決めましょう。」
「渋滞を考えると。」
「午前五時。」
山下が笑う。
「それしかないな。」
「営業所の最寄り駅集合でどうですか?」
細野が提案する。
「賛成。」
大森が頷く。
「問題ありません。」
「でも。」
川村が首をかしげる。
「移動はどうします?」
その言葉に、細野は少し照れくさそうに笑った。
「俺。」
「車を出します。」
「え?」
三人が一斉に細野を見る。
「車持ってたのか?」
山下が驚く。
「はい。」
「白のRVミニバンです。」
一瞬。
休憩室が静まり返る。
「……ミニバン?」
川村が聞き返した。
「六人乗れるのか?」
「大丈夫です。」
細野が笑う。
「荷物を積んでも余裕があります。」
「すげぇ。」
山下が感心する。
「細野、やるじゃん。」
「じゃあ運転は任せた。」
「はい。」
細野は少し照れながら頷いた。
「高速代やガソリン代は割り勘で。」
「もちろん。」
山下が笑う。
「運転してもらうんだから、そのくらいは出させてくれ。」
「ありがとうございます。」
旅行の予定は、あっという間に決まっていった。
山下は再びスマートフォンを手に取る。
『集合場所は営業所最寄り駅前。
午前五時集合。
細野の車で向かいます。』
送信。
しばらくすると、西園寺と藤崎からほぼ同時に返信が届いた。
『了解しました。』
『当日よろしくお願いします。』
「これで全部決まりですね。」
細野が笑う。
「あとは当日、寝坊しないようにしないとな。」
山下が冗談交じりに言う。
「山下さんが一番怪しいですよ。」
川村が笑う。
「失礼だな。」
山下も笑い返した。
休憩室には、また笑い声が響く。
夏期休暇まで、あと数日。
六人は、それぞれの乗務をこなしながら、その日を楽しみに待っていた。
まだ誰も知らない。
この何気なく決めた日帰り旅行が、六人の距離を大きく縮める、忘れられない夏の思い出になることを。
(前編②へ つづく)




