5.友達って、いいよね
エレオノーラが自室で頭を抱えながら、これからの体のケア方法について悩んでいた時、屋敷の玄関からドタドタと慌ただしい足音が聞こえた。
しばらくすると、侍女のマリーが困惑した表情でやってきた。
「お嬢様、ヒューゴ様とフランソワ様がいらっしゃっているのですが、いかがいたしますか?」
(2人の約束なしの突然の訪問なんて、ここ何年もそんなことはなかったものね)
「いいわ。すぐに部屋に案内してもらえる?」
「エレン!お前、大丈夫か?」
ドタドタと息を切らしながら、部屋に飛び込んできたのはヒューゴ・グラントンだった。緑のふわふわした髪が汗でぺたりと額に張り付いている。よほど急いで来たのだろう。
その後ろから、はしばみ色の瞳を潤ませながら、フランソワ・アッシュクロフトがそっと姿を見せた。普段の上品な佇まいとは違って、少し息が乱れている。
「親父から昨日の舞踏会のことを聞いたんだ」
ヒューゴは拳を握りしめて言った。
「ハーマン殿下は本当に最低だな! まあ、前から知ってたけど!」
彼は椅子にどっかりと腰を下ろした。
「それで、その……」
ヒューゴは少し言いにくそうに口ごもった。
「聞いたぞ。ハーマン殿下が婚約破棄した理由。お前が『デブだから』だって」
そう言いながらも、ヒューゴは片眉を上げて、茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。
「正直、ハーマン殿下に言いたいな。デブって言うなら、まず自分の腹回りをどうにかしろって!」
ヒューゴは手をひらひらと振りながら続けた。
「自分の体型のことを棚に上げて、よく偉そうなこと言えるよな。あいつは、鏡で自分を見たことがないのか?」
そこで、遅れて部屋に入ってきた侍女のマリーからお茶を受け取る。湯気の立つカップを両手で包むようにして持った。
「まあ、俺もデブだから人のこと言えないけどな。フランソワだって気にしてるだろ?」
ヒューゴはお茶を一口すすってから、にやりと笑った。その様子を見たフランソワは、ほほをふくらませてぷいと顔をそらした。
「ヒューゴったら、今はそんなこと言っている場合ではないのですわ!」
フランソワは立ち上がって抗議した。
「それより、エレンがどれだけ辛い思いをしたか、考えてほしいのですわ……」
フランソワの声が震えている。本当にエレオノーラのことを心配しているのが伝わってきた。
「わかってるって」
ヒューゴは肩をすくめながら、でも優しい声で言った。
「でもな、辛い時こそ笑わないと、余計に辛くなるだろ?」
フランソワは返す言葉を失ってしまった。そして、涙をぽろぽろとこぼしながら、突然エレオノーラに抱きついた。
彼女のミルクティーベージュの美しい髪がふわりとエレオノーラの頬に触れる。フランソワの柔らかい体に包まれて、エレオノーラは婚約破棄されてから初めて本当に心配されている気持ちになった。胸の奥がじんわりと熱くなる。
「エレン、本当にごめんなさい」
フランソワの声が震えている。
「私も舞踏会の場にいたのですから、もっと早く何かに気づいてあげられればよかったのですわ……」
彼女は更に強くエレオノーラを抱きしめた。
「かばってあげることもできず、申し訳ないのですわ。お母さまに止められてしまいましたの。軽率なことはしちゃいけないって言われたのですわ」
フランソワはそこで体を離して、エレオノーラの手をそっと取った。そして正面からまっすぐに見つめる。ふわふわした手が温かい。
「エレンがいなくなったあとの会場は騒然としましたのよ」
フランソワは真剣な表情で続けた。
「国王陛下の判断ですぐにお開きになったのですが、私、他の参加者の反応が知りたくて、わざと退場を遅らせたのですわ」
エレオノーラは驚いた。フランソワがそんなことを考えていたなんて。
「そうしたら、大半の方はエレンに同情的でしたのよ」
フランソワのはしばみ色の瞳が光った。
「特に城で働く方々は、エレンが誰に対しても礼儀正しくて素敵な人だということを知っているようで、声には出さないけれどハーマン殿下に対して憤っている感じでしたのよ」
エレオノーラはフランソワの聡明さと優しさに胸が熱くなった。自分のために、そこまで気を遣って情報を集めてくれていたなんて。
「ありがとう、フランソワ。でも大丈夫よ」
エレオノーラは努めて明るい声で返した。
「むしろ婚約破棄してくれて良かったくらいなの。ヒューゴもありがとう。あなたの気遣い、よくわかってるわ」
彼女は二人の顔を見回しながら続けた。
「私、もう愚鈍な残念令嬢なんて言われないようにするために、少し頑張って成長しようと思うの」
お茶を一口飲みながら、ヒューゴが興味深そうにエレオノーラの顔をじっと見つめた。
「エレン、なんか今日のお前、昨日までと違う気がするけど?」
「えっ?」
エレオノーラはびくっと肩を震わせた。まさか変化に気づかれるなんて。
フランソワがいぶかしげな顔でエレオノーラを見つめて、ヒューゴに尋ねる。
「私にはいつものエレンに見えるのですけれど……何がどう違うのかしら?」
ヒューゴは少し考えるような仕草をしてから、言葉を選びながら丁寧に説明した。
「うん、なんていうか……」
彼は手でジェスチャーをしながら続ける。
「今までは、もう少し暗くなかったか?自分に自信が無さそうっていうか……。」
そして、少しからかうような笑顔を見せた。
「婚約破棄されてそんなに嬉しかったのか?」
エレオノーラは一瞬言葉に詰まった。
前世の記憶が蘇ったこと、そしてそれをきっかけに自分を変えようと決意したこと。どうやってこれを説明すればいいのだろう。
でも、ほんの些細な変化にも気づいてくれるヒューゴの優しさが、胸に染みた。
「まあ、別に無理に話さなくてもいいぞ。」
ヒューゴは肩をすくめた。
「ただ、お前が前を向こうとしているなら、俺は応援する」
ヒューゴの声が真剣になった。
「お前はいつだって誰よりも頑張り屋だったじゃないか。王太子妃教育だって、あんなに向いていなかったのに、癇癪を起こしながらも必死に頑張っていたし」
その言葉に、エレオノーラの胸がじんと熱くなる。ヒューゴの言葉はいつも真っ直ぐで、本当に自分の味方でいてくれるのだと実感させてくれた。
「私だって、エレンの味方ですわ!」
フランソワが負けじと声を上げた。
「ヒューゴばかりかっこいいことばっかり言って、ずるいのですわ~」
「ありがとう、二人とも。二人がいてくれると心強いな」
エレオノーラが心から感謝を込めて言うと、ヒューゴが目をまん丸にした。
「おお、珍しいな! お前からそんな素直な言葉が出るなんて」
彼はわざとらしく驚いた表情を作って見せた。
「やっぱり、なんか前と違うぞ」
「あら、私は前から素直ではあったわよ」
エレオノーラは少し意地っ張りに返した。
「ただ、思い通りにいかないと癇癪を起していただけで」
三人の笑い声が広い部屋に響いた。温かくて、心地よい笑い声だった。
エレオノーラは、自分が一人ではないことを改めて実感した。前世の記憶を思い出し、自分を変えたいという思いを胸に秘める彼女にとって、二人の存在はかけがえのないものだった。
笑い声が落ち着くと、ヒューゴの表情が急に真剣になった。少し前かがみになって、緑色のふわふわした髪が頬にかかる。
そして、エレオノーラをまっすぐに見つめて言った。
「エレン、さっき成長するために頑張るって言ってたけど……」
彼は一呼吸置いてから続けた。
「具体的に何を頑張るつもりなんだ?」
部屋に静寂が訪れた。エレオノーラは二人の期待に満ちた視線を感じながら、これからの決意を語ろうと口を開いた。
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