22.浮かび上がる課題
「まずは、みんなの声を聞かなくちゃ」
翌日から、エレオノーラは調査活動に取り組み始めた。
レイモンドは提案した。
「部下や街の代表者を通じて調査してもいいんじゃないか?」
でも、エレオノーラは首を振った。
「私が直接、領民の表情を見て声を聞かないと分からないと思うの」
もし問題があるとしても、その影響は人によって違うはずだ。実際に使っている人たちが、何を感じ、何に困っているのかを確かめておきたかった。
エレオノーラは執務室の机に地図を広げた。羊皮紙の古い匂いが鼻をくすぐる。領地内の主要な街や集落に印をつけていく。商業の中心地から農村地帯まで、順番に回るつもりだった。
「領民の声を聞くなら、話を聞く相手を集めておく必要があるな。先触れを出しておこう」
レイモンドは快く調査に協力してくれた。兄の頼もしさに、エレオノーラは心の中で感謝した。
準備が整って、最初の街フォンヴィル商業地区に着いた。
夏の終わりの日差しが、まだ強く照りつけている。馬車を降りると、むっとした熱気が顔を包んだ。広場には、たくさんの人が集まっていた。街の代表者が子育てに関わる人たちに声をかけてくれたのだ。
予想していたよりもはるかに多い人数に、エレオノーラは戸惑った。
「なんでも、領主様のお嬢様が直々に話を聞いてくれるらしいぞ」
「わざわざ私たちの声を聞いてくれるなんて、ありがたいねぇ。子育てには、本当に困っているんだ」
(そっか。やっぱり領民は子育てに困っていたのね。……でも、それは私の予想したことと同じかしら)
エレオノーラは護衛騎士やマリー、そして調査官を数名連れて広場に入った。足音が石畳に響く。代表者の紹介のあと、エレオノーラは深く息を吸って、大きな声で呼びかけた。
「子育てをしている方、子どもとよく関わっている方でお悩みの方は、ぜひお話を聞かせてください」
集まった人たちは、しばらくエレオノーラの大きな体に圧倒されて動けずにいた。
でも、勇気を出した一人が口を開くと、次々と悩みがこぼれ出した。
「うちのルイ、すぐ猫背になるのよねぇ」
「走るとすぐ転んでしまって。そのうち怪我をするんじゃないかと思って心配なんです」
「うちのマリア、ハイハイをほとんどせずに歩き始めたんです。どこかおかしいんじゃないかって思って」
エレオノーラは一人ひとりの言葉に真剣な眼差しでうなずいた。その人の目を見て、話を聞く。どんな育児グッズを、どのくらい使っていたのか、丁寧に聞き取っていった。聞き取った内容を調査官がどんどんメモを取っていく。
ふと一人の女性が泣き始めた。
「実は…私の息子のことなんですが」
その女性、リーゼロッテは震え声で続けた。
「4歳になるのですが、まだうまく歩けないんです。双子のもう一人は元気に走り回っているのに」
エレオノーラは首をかしげた。
「いつもどんな風に歩いているんですか?」
「まるでカブトムシが2足歩行しているみたいなギクシャクした歩き方で、ちょっと歩いてはすぐに倒れるように転ぶんです」
エレオノーラは、他の参加者に対して質問するのと同じように育児グッズについて聞いた。
「その子が赤ちゃんのころ、どんな育児グッズをどのくらい使っていましたか?」
「生後3ヶ月の頃から『エンジェル・ステイタス』に座らせていました。夫が出稼ぎで、私一人で双子を育てていて…」
リーゼロッテの周りの参加者は、しんと静まり返った。蝉の声だけが、遠くから聞こえてくる。注目を浴びる中、彼女は続けた。
「布団に寝かせると泣き止まないので、椅子に座らせていれば大人しくしていてくれたんです。1日に4時間は座らせていたと思います。座ったまま眠っていることもよくありました」
エレオノーラは息を呑んだ。まだ腰も座っていない赤ちゃんを、4時間も。
「双子のもう1人の子は?」
「椅子を嫌がって泣いたので、あまり座らせませんでした」
リーゼロッテの目に涙が浮かんだ。
「やっぱり座らせっぱなしって良くなかったんですか。でも、一人で双子なんて、もう限界で……」
エレオノーラの胸が痛んだ。
「お医者様にも診てもらいました……『先天的な障害』だと……」
リーゼロッテは嗚咽を堪えきれずに泣き崩れた。エレオノーラはその母親の気持ちを考えて胸を痛めた。
(子育てって、何が正解なのか大きくなるまでよくわからないから、みんな不安の中で過ごすのよね……。いろんな人が全然違うことを言うし)
前世で真央として子育てをしていた頃のことを思い出した。出産時に配られた冊子だけではわからないことの方が多かった。児童デイで知っている知識でも、立ちいかないことが数多くあった。子どものしつけ、心の育て方、勉強への向かわせ方……どれを調べても、色々な説があってどれを信じればいいのかわからなかった。
(ただ、そこに、「エンジェル・ステイタス」という選択肢が無ければ、リーゼロッテの子のようにはならなかったと思うの)
他の母親も次々に口を開いた。
「私も、長時間ではなかったけれど使っていたわ。まっすぐ走れないのは、そのせいかもしれないのね」
「うちの子は、椅子に座るのが本当に苦手で。それも、やっぱり『エンジェル・ステイタス』を使っていたからかしら……」
「『ベビー・ラップ』も、同じようなことがあるんですか?うちの子となかなか目が合わないんです」
ちょっと聞き取っただけでも、育児グッズの使用頻度が高いほど、育児の困り感が強くなっているのは明らかだった。
エレオノーラは眉をひそめた。
(やっぱり育児グッズを使いすぎると、子どもの体に悪いのよ)
リーゼロッテが顔を上げ、潤んだ瞳でエレオノーラを見つめた。
「お嬢様、お願いします。これ以上、私のような思いをする母親を増やさないようにしてください」
エレオノーラの目にも涙が浮かんだ。
「必ず、必ずなんとかします。リーゼロッテさん、あなたは悪くありません。誰も、こんなことになるなんて知らなかったんですから」
でも、心の中では、父リカルドの「個人の問題」という言葉に激しい怒りが湧き上がっていた。
(これが「個人の問題」なの?これほど多くの子どもたちが同じような症状で苦しんでいるのに!)
その日の調査を終えて宿に戻ったエレオノーラは、調査官と共に記録を整理した。データを並べてみれば、育児グッズの使用頻度と子どもたちの問題には明らかな相関関係があった。
しかし、新しい疑問も浮かんできた。
話を聞いた子どもたちは皆、赤ちゃん時代に異常なほど「手のかかる子」だったという。抱っこをやめればすぐに泣き叫び、腕に抱いたままじゃないと眠れない。
(そんなことって……)
エレオノーラは眉をひそめた。
そんなことが、全員に当てはまるはずがない。健康な赤ちゃんが全員、一日中泣き続けるなんて。
(育児グッズを使うから困り始めたのではなく、困っていたから育児グッズを使い始めたっていうことよね)
エレオノーラは、はっとした。
(レイモンド兄様の子育ても大変だったって言っていたわ。お兄さまもずっと抱っこしていないと泣いてひどかったって)
でも、お兄さまは私みたいな身体的な課題は無い。筋肉質で、剣の使い手で、感情のコントロールだってできている。
エレオノーラは、ペンを置いた。カツンという音が静かな部屋に響く。
もっと、育児について調べる必要がある。実際の育児現場も見てみなくては。
エレオノーラは、早急に保育施設への視察をしなくてはいけないと思った。
答えは、きっとそこにある。
窓の外では、蝉の声が少しずつ小さくなっていた。夏が、終わろうとしている。
次回は、エレンが考えた改革案です。




