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22.浮かび上がる課題

「まずは、みんなの声を聞かなくちゃ」

 翌日から、エレオノーラは調査活動に取り組み始めた。


 レイモンドは提案した。

「部下や街の代表者を通じて調査してもいいんじゃないか?」

 でも、エレオノーラは首を振った。

「私が直接、領民の表情を見て声を聞かないと分からないと思うの」

 育児グッズの使用を禁止すれば、当然困る人たちも出てくるだろう。そういう人たちの声も聞きたかった。


 エレオノーラは地図を広げて、領地内の主要な街や集落に印をつけていく。商業の中心地から農村地帯まで、順番に回るつもりだった。

「領民の声を聞くなら、話を聞く相手を集めておく必要があるな。先触れを出しておこう」

 レイモンドは快く調査に協力してくれた。


 準備が整って最初の街フォンヴィル商業地区に着くと、広場にたくさんの人が集まっていた。街の代表者が子育てに関わる人たちに声をかけてくれたのだ。予想していたよりもはるかに多い人数に、エレオノーラは戸惑った。

「なんでも、領主様のお嬢様が直々に話を聞いてくれるらしいぞ」

「わざわざ私たちの声を聞いてくれるなんて、ありがたいねぇ。子育てには、本当に困っているんだ」

 そんな声が聞こえてきて、エレオノーラは領民がどれだけ困っているかを実感した。


 エレオノーラは護衛騎士やマリー、そして調査官を数名連れて広場に入った。代表者の紹介のあと、大きな声で呼びかけた。

「子育てをしている方、子どもとよく関わっている方でお悩みの方は、ぜひお話を聞かせてください」

 集まった人たちは、しばらくエレオノーラの大きな体に圧倒されて動けずにいた。しかし、勇気を出した一人が口を開くと、次々と悩みがこぼれ出した。


「うちのルイ、すぐ猫背になるんです」

「走るとすぐ転んでしまって。そのうち怪我をするんじゃないかと思って心配なんです」

「うちのマリア、ハイハイをほとんどせずに歩き始めたんです。どこかおかしいんじゃないかって思って」


 エレオノーラは一人ひとりの言葉に真剣な眼差しでうなずき、育児グッズをどのくらい使っていたのか丁寧に聞き取っていった。

 聞き取った内容を調査官がどんどんメモを取っていく中、ふと一人の女性が泣き始めた。


「実は…私の息子のことなんですが」

 その女性、リーゼロッテは震え声で続けた。

「4歳になるのですが、まだうまく歩けないんです」

 エレオノーラは首をかしげた。

「いつもどんな風に歩いているんですか?」

「まるでカブトムシが2足歩行しているみたいなギクシャクした歩き方で、ちょっと歩いてはすぐに転ぶんです」


 エレオノーラは、他の参加者に対して質問するのと同じように育児グッズについて聞いた。

「その子が赤ちゃんのころ、どんな育児グッズをどのくらい使っていましたか?」

「生後3ヶ月の頃から『エンジェル・ステイタス』に座らせて、ぐずらない限り、ずっとそこに座らせていたんです。夫が出稼ぎで、私一人で双子を育てていて…」

 リーゼロッテの周りの参加者は、シンと静まり返った。注目を浴びる中、彼女は続けた。

「布団に寝かせると泣き止まないので、椅子に座らせていれば大人しくしていてくれたんです。座ったまま眠っていることもよくありました」

 エレオノーラは息を呑んだ。


「一日に…どのくらいの時間ですか?」

「2時間以上は確実に…多分合計すると4時間は座らせていたと思います」

 リーゼロッテの声が震える。

「やっぱり座らせっぱなしって良くなかったんですか!?でも、だって、他にどうすればよかったのか…一人で双子なんて、もう限界で……」


 リーゼロッテは、泣きじゃくりながらも続けた。

「お医者様にも診てもらいました……『先天的な障害』だと……でも双子のもう一人は元気に走り回って……椅子を嫌がるから、あまり座らせなかった……」

 リーゼロッテは嗚咽を堪えきれずに泣き崩れた。エレオノーラはその母親の気持ちを考えて胸を痛めた。

(子育てって、何が正解なのか大きくなるまでよくわからないから、みんな不安の中で過ごすのよね……。いろんな人が全然違うことを言うし)

 前世で真央として子育てをしていた頃のことを思い出した。出産時に配られた冊子だけではわからないことの方が多く、児童デイで知っている知識でも立ちいかないことが数多くあった。子どものしつけ、心の育て方、勉強への向かわせ方……どれを調べても、色々な説があってどれを信じればいいのかわからなかった。

(ただ、そこに、「エンジェル・ステイタス」という選択肢が無ければ、こうはならなかったと思うの)


 他の母親も次々に口を開いた。

「私の娘の、3歳になるまで歩けませんでした。それも、もしかしたら「エンジェル・ステイタス」を使っていたからなのでしょうか」

「私も、そこまで長時間ではなかったけれど使っていたわ。まっすぐ走れないのは、そのせいかもしれないのね」

「うちの子は、椅子に座るのが本当に苦手で。それも、やっぱり「エンジェル・ステイタス」を使っていたからかしら……」


 また別の女性が震え声で言った。

「もしかして、『ベビー・ラップ』も、同じようなことがあるんですか?うちの子は1歳になるんですが、私となかなか目が合わないんです。『ベビー・ラップ』で抱っこしているとおとなしいから、1日中抱っこしていたんです……」

「うちの子の首には、たくさんのしわがあるんです。私は別に1日中使っていたわけじゃないけど、これも、もしかしたら『ベビー・ラップ』のせいかしら」

 ちょっと聞き取っただけでも、どちらの道具も使用頻度が高いほど、その傾向が強くなっているのは明らかだった。


 リーゼロッテが顔を上げ、潤んだ瞳でエレオノーラを見つめた。

「お嬢様、お願いします。これ以上、私のような思いをする母親を増やさないようにしてください」

 エレオノーラの目にも涙が浮かんだ。

「必ず、必ずなんとかします。リーゼロッテさん、あなたは悪くありません。誰も、こんなことになるなんて知らなかったんですから」


 しかし心の中では、父リカルドの「個人の問題」という言葉に激しい怒りが湧き上がっていた。

(これが「個人の問題」なの?これほど多くの子どもたちが同じような症状で苦しんでいるのに!)



 その日の調査を終えて宿に戻ったエレオノーラは、調査官と共に記録を整理した。データを並べてみれば、育児グッズの使用頻度と子どもたちの問題には明らかな相関関係があった。

 しかし、新しい疑問も浮かんできた。話を聞いた子どもたちは皆、赤ちゃん時代に異常なほど「手のかかる子」だったという。抱っこをやめればすぐに泣き叫び、腕に抱いたままじゃないと眠れない。そんなことが、全員に当てはまるはずがない。


(もっと、育児について調べる必要がありそうね。実際の育児現場も見てみなくては」

 エレオノーラは、早急に保育施設への視察をしなくてはいけないと思った。


 また、子育て中の生活についての悩みも明らかになった。

「家族以外にも子どもの世話をしてくれる人がいれば助かるのに」

 頬に手を当てて困っている母親がいた。

「子育ての経験がない人や、自分が子育て中にたくさん我慢してきた人ほど、私たち親に厳しい言葉を投げてくるんだ」

「そうそう!うちの子がちょっとでも迷惑をかければ、ものすごい勢いで『親の育て方が悪い』と責め立てるの。でも、あの人たちだって、子どもの頃は誰かに迷惑をかけながら育ってきたはずなのにねぇ」

 憤る声も聞かれた。

「できれば仕事を休んで子育てに専念したいけれど、収入が無くなるのが困る」

 という切実な意見も多かった。


 リーゼロッテだって、子育てにもっと余裕があれば、そんなに「エンジェル・ステイタス」に頼らなくても済んだのかもしれない。


 エレオノーラは、リーゼロッテの涙を忘れることができなかった。あの母親の苦悩、そして息子の将来への不安。それらを思うと、一刻も早く行動を起こさなければならないと感じた。

「やらなきゃいけないことがたくさんあるね!でも、まずはリーゼロッテさんの息子さんのような子どもたちを、これ以上増やさないことから始めましょう」

 エレオノーラの心に、強い決意が宿った。


子育てって、誰も正解がわからないまま育てるんですよね。いろんな説があるから不安になるし、なかなか正解にはたどり着かない。経験則は色々見つかるのですが、他に同じ状況の人がいるからといって、正しいとは限らない。


せめて、子どもの発達についての基礎知識ぐらい、義務教育で必修にしてもいいのではないかと思います。家庭科や保健の一部で取り扱うだけでなく、1教科として。


次回は、エレンが考えた改革案です。

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