2.ヴェルデン公爵夫妻への報告
ヴェルデン公爵家の屋敷。舞踏会から帰ってから着替える暇もなく呼び出されたエレオノーラは、少し緩めたコルセットを邪魔に感じながらもソファに座り、正面にいる父リカルドと母クレメンティアを交互に見つめていた。豪奢な内装が広がる室内には、重苦しい空気が漂っている。
「それで、ハーマン殿下から婚約破棄を言い渡されたと…?」
リカルドの低く冷たい声に、エレオノーラは小さくうなずいた。リカルドの表情は険しく、眉間に深いしわが寄っている。
「ハーマン殿下はあまりにも失礼だわ!公爵家の令嬢であるエレンちゃんを、舞踏会で辱めるなんて!」 クレメンティアが扇子をテーブルに叩きつけて怒りを露わにした。
「だいたい、婚約破棄だなんて大事なこと、普通、我が家に伝えるのが先でしょう!?馬鹿にしているわ!!」
いつもは穏やかなその茶色の眼には怒りが浮かび、言葉に強い非難が込められていた。
「クレメンティア、落ち着け。感情的になっても何も解決しない」
リカルドは冷ややかに言いながら、半分に折れてしまった扇子を無造作に拾い上げた。
「でもリカルド、あの王子は私が大切に育ててきたエレンちゃんを公衆の面前で侮辱したのよ?しかも『デブで愚鈍で癇癪もち』とか、人を見た目で差別するようなことを言って。あんな男が次期国王になるなんて、この国の未来が不安だわ!」
クレメンティアはそう言って、腕を組んで椅子の背もたれに体を預ける。
リカルドは心の中で(『デブで愚鈍で癇癪もち』とは、うまいこと表現したものだ)と考えたが、そんなことはクレメンティアは気づかない。クレメンティアはこう続けた。
「しかも、ラフォレット侯爵家の娘が一緒になってエレオノーラを『残念令嬢』だとか侮辱するなんて、あの家は一体どんな教育をしてきたのかしら。公爵家に対する態度がなっていないわ」
それを聞いてリカルドは目を閉じた。その表情は、苦い思案に満ちていた。
やがて、リカルドは顔を上げてこう言った。
「ハーマン殿下やラフォレット侯爵家の娘の人格については論じても仕方がない。今はヴェルデン家の名誉と立場を守ることが最優先だ。この件が世間に広まれば、我が家の評判に傷がつく」
「まぁ!もうすでに広まっていると思うわ。あんなに大きな舞踏会での婚約破棄が噂にならないわけがないもの。あ~あ、リカルドったらヴェルデン家の心配ばかりして、私のエレンちゃんが可哀そうだわ~」
クレメンティアはそう言ってお茶を一口飲んだ。リカルドは黙り込んでしまう。
エレオノーラはいたたまれない気持ちで、ソファの端を握りしめた。
ハーマンのことは嫌いだったし、婚約破棄になってむしろほっとしている。
でも、今回のことで改めて分かったのは、父が私のことをどうでもいいと思っているということだった。確かに今までの私の行動にも問題があったけれど、やはりショックだった。前世を思い出す前の私なら、もっと深く傷ついていただろう。母は私を心配しているように見えるけれど、本当は自分が育てた娘が馬鹿にされた自分のことを可哀そうだと思っているだけなのかもしれない。
「エレオノーラ、今後のことだが、しばらく表舞台には出ない方がいい」
リカルドが口を開いた。
「そうだな、ショックのあまり病に伏せた、という形にしよう。当面は屋敷で静かにしているんだ。いずれ、適切な縁談を探して再び婚約を結べるように手を打つ。ヴェルデン家の将来のためにも、お前には良い結婚をしてもらわねばならん」
「お父さま、それは…」
エレオノーラは反論しようとしたが、リカルドの冷たく厳しい目に言葉を飲み込んだ。
「もちろん、次の縁談は難しくなるだろう。それでも、ヴェルデン家の影響力を考えれば、まだなんとかなるかもしれない。家のためだ、理解しろ」
リカルドの言葉に、エレオノーラは拳を握りしめた。ごろんとした大きな握りこぶしを見つめながら考える。確かに父の言うことはもっともだ。だけど。
(こんな傷物になった『残念令嬢』をもらってくれる人なんて、ろくな人がいないと思うのよね……)
エレオノーラは決意を込めて告げた。
「私は、もうまともな婚約なんてできないと思います。それに……正直、今は誰かと婚約する気持ちにはなれません。それよりも私は、領地の民を支える仕事がしたいです。お兄さまのようになりたいのです」
兄は領地経営を一手に担っている。たくましく、賢く、そして優しい兄を、エレオノーラは小さい頃から尊敬していた。
リカルドはしばらく考え込んだ後、うなずいた。
「そうか。お前がその道を選ぶなら、それもヴェルデン家には有益だろう。ただし、それも今の混乱が収まってからだ。しばらくは家でゆっくりするといい」
「はい。わかりました」
エレオノーラは静かに答えた。
(とりあえず、現状を把握しないとね。それから、今後のことを考えなくちゃ……。王太子妃教育にはもう行かなくていいと思うから、家でゆっくりできるのはありがたいや)
婚約破棄のショックと、前世の記憶が蘇ってきたことによる疲労が、エレオノーラを蝕んでいた。部屋に戻ると、すぐに侍女のマリーに寝る用意を頼んだ。不快なコルセットを外し、体の汚れを落とす。ふかふかのベッドに大きな体を預けて沈み込むと、まるで記憶の海に溺れるように意識が遠のいていく。あっという間に深い眠りに落ちていった。
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