迷い家①
翌朝。
身支度を終えて、ドアを開けると、リオンとレネーがドアの両脇で寝こけていた。
あきれつつも、置いていくわけにもいかず起こしてやる。
リオンがなぜか、私を見て顔を赤くした。昨夜のレネーとの会話が、どこまでエスカレートしていったものか。
嫌な予感がしたが、私は努めて深く考えないようにした。
チュベックに用はないので、朝一番の定期便で出発した。
もちろん、というべきか、なぜか、というべきか。乗車賃は三人分私持ちだった。
レネーの分は納得できる。彼は契約上私の召使いだし、……昨夜のようなことは無しとして、荷物持ちや雑用に何だかんだ言ってこき使っていたのだ。
「次の朔月には給料振り込まれるはずですから」
リオンはそんな調子のいいことを言ったが、信用できるかは疑わしい。
彼はいつも、いかにも自由気ままな観光旅行といった風情でいる。何か仕事をこなしているようには見えないのだ。
だが……私は思い出していた。銀行で金遣いの荒さが発覚したとき、確かに定期収入があるらしいのは見てとれた。
ともあれ、あまりまともな商売ではないのだろう。私は、一応それを心に留めておくことにした。
厄介ごとが持ち上がったら、即見捨てて逃げられるように。
夜明けに出発して、午後の日が傾き始めるころ、三つ目の停留村で、私たちは客車を降りた。
この村から、峠を一つ越えればノボツスクに着く。
村に一泊する案もあったが、天気もいいし、まだ日も高い。山賊の類も出ないと聞いた。
夕方までには着けるだろうという見通しで、早々に村を出た。
見通しが甘かったと気づいたのは、日が沈みかけたころのことだった。
山を越えたはずが、いつまでも森林を抜けられないのだ。
「やっぱさっきの道、あっちだったのかな」
レネーがぼやいた。
山肌を歩く道で、途中分岐があったのだ。標識があったので迷わずこちらに来たのだが……
「子供のいたずらならいいけどさ。山賊さんちにご招待、はちょっとやだよね」
ちょっとやだ、ではすまないだろうと私は思ったが、口には出さなかった。
あたりは暗くなりかけているのに、森は深くなるばかりだ。
獣道でなく、石畳で区切られた街道の一部であるのが救いだ。戻ることもできるし、進んでも、どこか人里にはたどり着ける。
だが、今夜はここまでだろう。私は意を決して足を止めた。
物騒な世の中のこと、いかに山賊が寄り付かないという噂があっても、噂は噂。野宿を避けたいのはやまやまだが、夜中に歩き回るほうが危険という判断だった。
火を起こし、食糧を分ける。幸い気候は温暖で、凍える心配はなかった。
だが、今日中に着くつもりだったので、食糧が心もとない。私はともかく、育ち盛りの二人は物足りなそうな様子だった。
もっと食わせろと、私にわがままを言うのは、さすがにはばかられたのだろう。リオンとレネーは二人して突然立ち上がった。
「何か狩ってきますよ。こんだけ深い森だし、食える動物くらいいるでしょう」
「クリスは火の番して待っててよ」
「あ、ああ」
私がうなずくと、二人は元気に森に消えて行った。
半刻ほど待っただろうか。
高い叫び声が森に響いた。
「クリス! クリス、逃げて!」
リオンとレネーがこちらに全速力で走ってくる。
同時に、彼らの足音だけではない、ドドドド、という重い音が地響きとともに伝わってきた。
何事か、と私は闇に目をこらした。
村で聞いた話では、この近辺に山賊が見られないのには理由があるということだった。
コビトカゲの群れが棲みついているのだ。おかげで山賊のみならず、餌となる小動物も極端に少ないらしい。
農村では、害獣を駆除してくれるというので歓迎されているのだという。
コビトカゲは騎竜・火トカゲの亜種で、小型だが肉食で凶暴、角と爪が攻撃用に特化して鋭い。
群れをつくって生活し、共同で幼体を育てる習性がある。「一匹見たら三十匹はあたりに潜んでいると思え」が、コビトカゲと接触したときの合言葉だ。
よほど飢えないかぎり人は襲わない。はず。だが。
「十匹はいるな」
猛スピードで駆け戻ってくるリオンとレネーを追尾してくるのは、成体のコビトカゲ……の群れ、だった。
小型といっても、騎竜である火トカゲと比べてのことだ。
体高は人間の大人並。重量もそれに見合っている。前傾姿勢で走るので、体長という点では人間よりもかなり大きい。
襲われたら、常人ではひとたまりもないだろう。
一体なぜまた、その群れに追いかけられているのか。
リオンの肩に抱えられたものを見て、私はやっと事態を理解した。
リオンの胴体くらいの大きさの塊は、小さな竜の形をしていた。
火炎型の波打つ赤い模様が、盛り上がった脊椎を軸に対称に背に広がる。
火トカゲ同様、翼を持つ三対肢竜であった名残りの退化した羽が、背から突き出して揺れている。
額に相当する部分に二つ、鼻先に一つ、硬質化したこぶが見えた。これが成長すると、先の尖った三本の角になるのだ。
コビトカゲの幼体である。
「アホかお前たち!」
私は思わず、力いっぱいつっこみを入れた。
レネーが一歩遅れている。かばう気がさらさらなさそうなのがリオンらしい。
先頭を駆けるコビトカゲの爪が、レネーをとらえようとするのが見えた。
ち、と舌を打って、私は立てかけた剣を掴んで駆け出した。
道はわずかに傾斜した下り坂になっている。レネーが外套を爪で引っ掛けられてのけぞるのと、私が地を蹴るのが同時だった。
ガツ、と骨ごと砕き斬る重い手ごたえがあった。
レネーの頭上を跳び越えて、力任せにコビトカゲの前肢に大剣を振り下ろしたのだ。ピィ、と細い竜の悲鳴が響いた。
私は剣を勢いよく振り上げた。硬い鱗に守られた首を、難なく斬り飛ばす。
最初の一匹が、首を失ってドウ、と倒れこんだ。殺到しようとしていた後進が、数匹つまづき、数匹は浮き足立って駆け足を緩める。
「クリス!」
レネーが歓声を上げた。だがかまってはいられない、彼を引っ立てて後ろに押しやり、私自身も後退する。
「幼体を捨てろ、リオン!」
「あ、そうか」
リオンは前を走りながら、緊張感に欠ける口調でうなずいた。
のみこむと行動は早い。彼は力いっぱい、群れに向かって幼体を投げ飛ばした。
まだ生きていたようで、ギャ、と鳴き声が上がる。……血も涙もないやつだ、と、そんな場合ではないのだが心の隅で私は思った。
幼体が戻っても、一度火のついた怒りは収まらないようだった。
浮き足立っていた群れは、すぐにまた迫りつつあった。逃げてもどこまでも追ってくるだろう。
私は足を止め、群れに向き直った。
「クリス?」
「とっとと片付ける」
つられて足を止めたリオンが振り返る。
剣を水平に構えながら、私は彼に叫んだ。
「リオン、レネーを守ってやれ!」
「え? ちょっと! なんで俺が」
抗議の声に、私は短く答えた。
「私の剣は守りには向かん」
そのまま、私は突進してくる前列のコビトカゲの前に、真正面から飛び出した。
衝突の寸前に横に突進をかわし、その喉元に思い切り剣を叩きつける。
頭を失って倒れかかる胴体に体当たりして、斜め後ろの竜にぶつける。怯んだところを上段から、脳天を狙って叩きつけた。ガコ、と分厚い頭蓋をかち割る。
そのまま乱戦状態に陥った。
ちらりと横を見ると、リオンがぶつくさ言いつつもレネーに襲いかかる竜を蹴り飛ばしていた。
後列の竜が追いつく前に、リオンはレネーを木の方へ追いやる。レネーもわかっているようで、リオンが防ぐ間にすばやくその木に登った。
リオンが、横から胴体に蹴りを見舞うと、竜体がぐらりとかしいだ。足をもつれさせて倒れた竜を前に、リオンは左腰に差した鉄刀を左手で引き抜くと、頚椎に一気に突き立てた。
コビトカゲは、仲間がやられても怯まずに彼に襲いかかる。
振り下ろされる発達したかぎ爪を、リオンは反射的に鉄刀で受けていた。重量がありすぎて、簡単には押し返せない。
それでもリオンの膂力が上だった。
少しずつ押し返し、コビトカゲの後肢が地面をずるずると引っ掻く。
組み合ったのは数秒間だったが、その隙をついて横ざまから、もう一匹が襲ってきた。牙のそろった口を大きく開け、よだれを垂れ流して迫ってくる。
ち、とリオンは舌打ちして、組み合っている相手から離れようとした。
だが力を抜こうとした瞬間、ピィィッ、と苦痛の咆哮をあげて襲ってきた方が突進を止めた。
見れば、横つきの眼球に、両刃の短剣が突き立っている。叫びながら頭を激しく振って振り払おうとしているが、深く突き刺さって抜けない。
「よっし、当たった」
木の上で、レネーがガッツポーズを決めていた。
リオンは顔をしかめた。
「リオーン、お礼はー?」
「んなこと言ってる場合か!」
彼はぐっと膝を曲げると、組み合ったコビトカゲを弾くように押しやった。
離れた一瞬を狙って、前肢の間を蹴りつける。のけぞった胸元にもう一度。力いっぱい蹴りいれると、巨体はやっと仰向けに倒れた。間髪入れずにのしかかり、のど笛を貫く。
そしてすぐに立ち上がると、眼球をやられた竜に傷側から近づいて、今度は難なく頚椎を切り裂いた。
彼は顔に噴きかかった血を拭いもせず、次の獲物に突進した。
リオンは順調に相手を屠っているようだ。
私は剣を水平に構えたまま動けずにいた。
眼前には二匹のコビトカゲがいるが、続けざまに何匹も首を飛ばされたせいだろうか。大剣を警戒して寄って来ないのだ。
しかも踏み込むと、その距離だけ後退する。
野生動物だからこそのカンなのだろう。あきれるほど見事な間合いだった。
埒があかない。私は剣を肩に担ぐ形に変え、コビトカゲに背を向けた。そのまま逃走するように走る。相手は獣だ、罠と勘ぐられる恐れはない。
相手の間合いまで追いつかせると、一匹が地を蹴って跳躍する音がした。私はタイミングを合わせて反転した。
上空にさらけ出された喉もとを狙って、薙ぎ払う。潰される前に横に逃れ、突進を止められないもう一匹を待ち構える。
そのとき。
突然、奇妙な音が聞こえてきた。
笛?
高く低く途絶えがちに、だが確かに耳に届いてくる。
「!?」
ぎくり、と。
身がすくんだ。本当に硬直したのだ。
ありえないことだ。恐怖など、微塵も感じてはいなかったのに。
そんなつもりはなかった。決して。だが致命的な一瞬を、獣に与えてしまったのは確かだった。
キュ、と、鳥肌が立つような音を立てて、カギ爪が胸元をかすめていった。
すくみが解けた瞬間、かすかに身をよじることができたので、何とか内臓まで抉られるような即死ダメージは避けられた。
だが、剣のように鋭い爪は胴着やシャツごと、私の右肩から左胸まで、袈裟懸けに引き裂いた。
「くっ、」
ほとんど無意識に、私は竜の胴体に剣を突き立てた。
竜体が倒れると同時に、胸の傷口から、勢いよく血が噴き出した。
「クリス!」
「クリス、大丈夫か!?」
暗転する視界の端で、リオンが最後のコビトカゲの首にラリアットを決め、力任せに岩に叩きつけた。
二人が私の名を呼びながら駆け寄ってくる。
笛の音は、止んではいない。
いや、笛の音ではなかった。かすかに、母音と子音が聞き取れる。これは声だ。何者かの……人間の。
二人には聞こえていないのか。
リオンの膝に抱きかかえられたところで、私の意識は落ちた。




