迷い家②
イーイーエーイルイルイーイルオー……
奇怪な旋律が眠りを妨げた。
笛の音に似た、空気混じりの高音かと思えば、唸るような低音が混じる。
母音と子音があいまいで、ひどく不自然な発音だ。それが延々と繰り返される。
聞き続けていると、頭がぼうっとしてくる。
そんな、注意力を奪う響きを持っている。
と、不意に、パコン、と何かを叩く音とともに、旋律が途切れた。
「何すんだよ!」
少年らしいかすれた声が、抗議をあげた。
「お前の治療魔法、ほんとに効いてるのか? 全然治らないじゃないか」
低い響きのよい男の声。リオンの声だ。
「無茶言うなよ。治療魔法なんて、まともに使えたらとっくに魔法使い職で稼いでるよ。できないから花街にいたんだろ」
少年、レネーが負けずにかみつく。
「だいたい、呪文で人にかけるのはムリって言っただろ!」
「お前それ、いばって言うことか!」
「……お前たち」
私は目を閉じたまま、眉間にしわを寄せた。
「クリス!」
「あ、起きた!」
枕元で低レベルな言い合いを繰り広げていた二人は、そんなことも忘れて歓声をあげた。
「……さい、」
「え?何て?」
恐らくリオンだろう。私の言葉を聞き取ろうと、気配が近づいた。
私は目を薄く開けて、今度ははっきり言ってやった。
「黙れうるさい出て行け」
『お前のせいで怒られただろうが!』
『ちょっ、何それ? あんた子どもかよ!?』
部屋を追い出された後も、二人の言い合いは続いていた。身体を動かせない私は、静けさを取り戻しまた目を閉じる。
すると、クックッ、と抑え切れないような笑い声が上がった。
「!」
私は反射的に身を起こそうとした。
が、激痛に襲われベッドに倒れこむ。
「あ……っ」
「まだ動いてはなりませんよ。痛み止めが効かなくなってしまう」
声の主が、傷口を避けて私の肩をおさえた。
痛みににじんだ目に映ったのは、白髪の多分に混じったごましお頭の男だった。
逆光でよく見えないが、老人にしては声が若い。
「あ、なたは?」
「この家の者です。君たちが道に迷った森の近くですよ」
男はエマと名乗った。
よく見ると、一見したイメージよりもずいぶん若々しい顔つきをしていた。髪の色のせいで、何十年も老成して見えるのだ。
だが、空色の目には明るく屈託のない光があり、彼がまだ青年の域にあることを示していた。三十そこそこといったところだろうか。
「薬草を採集しに森に入ったら、たまたま君たちに出くわしましてね。ケガ人を放っておくわけにもいきませんから、お連れしたわけです」
私は不審を抱いた。私たちは、深い森の中で迷ったのだ。近辺に村はない。
「怪しいものではありませんよ」
私の視線の意味に気づいてか、彼は苦笑した。
「本草の研究に没頭したくて、人里から離れるようにしているのですよ。この辺りは研究対象が豊富にあるので」
「……あんな夜更けに?」
「コビトカゲは本来昼行性なのでね。夜出歩くようにしています」
「……」
もっともらしい応答にも、どうにも不信感を拭えない。
いちいち答えが用意されているように聞こえてしまう。
「しかし、幸運でしたね。深手でしたが、きれいに切れていたので、痕も長くは残らないでしょう。失血も最小限で済みました。応急処置がよかったのですね」
「もしかして、医者なのか?」
彼の物言いに、ふと思い当たって言ってみると、エマはうなずいた。
「ええ。本草研究が好きで、あまり治療の経験はないのですがね」
彼は照れたように笑った。
人のよさそうな笑顔だ。そこそこ整っていて、人好きのする風体だと思う。
だが、不信感は募るばかりだ。
ケガを負う直前に聞こえた声のせいだ。確かに人の声だった。そして、深い森の中で、そうそう何人もの人間に遭遇することがあるとは思えない。
「……ありがとう。おかげで助かりました」
だが私は、例の声については何も言わずに、礼を述べた。
声の主がエマである確信は持てなかった。
あの声は、先刻目覚めたときに聞いた、レネーの『呪文』にどこか似ていたのだ。思いがけない硬直は、もしかしたら魔法によるものだったかもしれない。
傷は深く、まだ動けない。
下手に怪しんで刺激するのは得策ではない、そう思った。
せめてエマが魔法使いである確証を掴むまでは、善人のふりを……振りだとして……させておこう。
部屋に窓がないのが、もどかしい。
どういう状況に置かれているのか、自分の目では全くわからないのだ。
「この部屋?三階の突き当たりだよ」
翌朝……窓がないので判断できないが、ともかく一寝入りして起きたとき、レネーが見舞いと称してやってきた。
彼は部屋を見回すと、
「そういや、窓ないよね。でも窓あっても周り、木ばっかだよ。でかい木ばっかで昼でも真っ暗」
そう、何でもないことのように言った。
「連れて来られたとき、暗かったからさ。あんまり見えなかったけど、三階建てのでかい家だよ。別荘かなんかなんじゃない?」
金持ちには見えないけど、と彼は小声で付け加えた。
「ところで、包帯換えようか?もしおれじゃない方がよかったら、リオンかエマ呼ぶけど」
出された名に、私は顔をしかめた。
ある意味究極の選択だが、前科ありとはいえ、レネーが私に何ら下心を抱いていないことには確信がある。
「いい。お前に頼む」
「おれがやっていいわけ?」
「ああ。だが、いらんところには触るなよ」
「わかってる、わかってる。目ぇつぶってやるよ」
レネーは器用に、本当に目を閉じたまま包帯を巻いていった。
「ウルカも、ケンカっぱやくて生傷絶えなかったからさ」
ほめると、彼は照れたようにそう言った。
包帯を巻き終わるころ、遠慮がちなノックの音がした。
エマが貸してくれた前開きのシャツを着込んでから、招き入れる。リオンだった。
「リオン、私の剣は?」
彼が入ってくるなり、私は訊ねた。
リオンは面食らったようだったが、すぐに答える。
「俺の部屋にありますよ。荷物も全部」
「ここに、持ってきてくれないか」
リオンは怪訝な顔をした。
「何に使うんですか。今は振り回すのはムリですよ」
「それはわかっているんだが……」
「何か、気になることでも?」
「いや」
私は言葉を濁した。確信がないまま、二人に告げるのははばかられる。
リオンとレネーが顔を見合わせた。
「クリス?」
「言ってよ。こっちが気になる」
二人にまじめな顔で詰め寄られ、私は例の声について話した。
「呪文?」
リオンが片眉を上げた。
「実際、そういう魔法はあるよ。でもあの人、魔法使いにゃ見えなかったな」
レネーが首をかしげる。
「傷口縫う手も確かだったし。薬の処方も。医者だってのは嘘じゃないと思うけど」
「そうか。それならいいんだが」
「気になるなら、調べてみますよ」
リオンが請け合う。
「クリスは、ケガを治すことだけ考えてください。あとはそうだな。あいつの出す薬、飲まないようにした方がいいかも」
私は頷いた。
「でも痛み止め切れたら、かなりつらいよ」
「痛み止めの魔法もあっただろ? お前がやれ」
振られたレネーは、あわてて首を横に振った。
「ううえええ? 呪文は無理って言ったじゃん」
「無理でもやれ」
リオンは冷徹にそう言った。
レネーの呪文はどうやら、そこはかとなく効いたようだった。
翌日、効力が切れるころだろうとエマが薬を持ってきたときも、ほとんど痛みは戻っていなかったのだ。身じろぎさえしなければ、の話だったが。
エマの薬を、私は気づかれないように処分した。
「近辺に村が?」
「ええ」
周辺の地理の話になり、エマはにこやかに答えてくれた。
「ノボツスクに向かっていたのでしたね? ノボツスクに行くには、君たちが越えた山の北側のふもとに降りなければならないのですが、君たちは西側に降りてしまったのですよ」
彼は窓のない部屋で、おそらく西の方を指さした。
「君たちが歩いていた街道をそのまま進めば、西の盆地の村に着きます。歩いて半日といったところでしょう。あとで地図をお持ちしますよ」
「そりゃ助かります」
リオンは含みのない態度で頭を下げた。
「でも、しばらくは厄介になります。騎竜でも呼べたらいいんだけど、このままじゃ動かせないでしょ」
「かまいませんよ。ケガ人を追い出したりはしません。……それに、私も長く一人でいたので、人と話すのは楽しいのですよ」
簡単な診療の後、彼は退室した。
エマの対応は完璧だ。
疑うこちらの方が悪いような気にさせられた。
だが、リオンは気にしていないようだ。少なくとも、エマを疑っているそぶりなど、微塵も見せずに欺ききった。
私は少しだけ、リオンに対する心証を改めた。
「レネーはどうしたんだ?」
「ちょっと調べ物させてるんです。あいつがこの部屋にいる間に、と思って。後で痛み止めに寄こしますよ」
リオンは事も無げに答えると、隠しから何かを取り出した。
「これ」
手の平を下に向けて、見えないようにしている。
「?」
「持っててください」
彼は布団の中に手を入れて、それを私の手に滑り込ませた。
「これは……」
「レネーの荷物からパクってきました。大剣はムリでも、これならいけるでしょう?」
彼はそう言って、子どものようににっこり笑った。
翌日、未明に発熱した。
傷口がじくじくと痛む。全身に熱が回り、内側から沸騰するような心地がした。
目が回って、寝返りも満足にうてない。
「傷が熱を持ったのか……おかしいな。解熱薬を調合しましょう。大丈夫、すぐに楽になりますからね」
エマが駆けつけると、医者らしい口調でそう言った。
彼が部屋を出ると、止められていたらしいリオンとレネーが入って来た。
「レネーの奴が、あいつの部屋で魔法書を見つけました」
リオンが開口一番告げたのは、予想を裏切らない事実だった。
「ま、ほう……」
息苦しくて、声が出ない。頭もぼうっとして、不快な浮遊感がある。
ものをまともに考えられる状態ではなかった。
「あいつは魔法使いです。魔法使いも医者と同じで、人の回復系には詳しいから、見抜けなかった」
「もしかしたら、この熱もあいつのしわざかも」
レネーが続く。
「おれが使った魔法のさ、燃焼術って、自分の身体だと火も点けられるんだ。でも、呪文で他人にかけようとすると、そんなに熱くはならないんだって。ちょうど熱出すくらいで」
「呪文を聞いた覚えは?」
私は小さくかぶりを振った。
「呪文は寝てる相手にも有効、って本に書いてあったよ」
「それじゃ防ぎようがないな。とっととここを出ましょう」
リオンは言った。
「血の匂いでトカゲに追いかけられたくない。夜ですね。今夜、連れ出しに来ます。つらいでしょうけど……」
私は、リオンの気遣いを止めるようにまたかぶりを振った。
「いい……んだ。これでも、苦痛、には……強い、ほう」
「しゃべらないで。大丈夫。ここ出たら、すぐ楽になります」
つい先刻、エマが言ったのと同じ台詞をリオンは口にした。
だがもたらされたものは、エマのときとは比較にならなかった。
リオンのもたらした例えようもない安堵感に、私は戸惑いすら覚えていた。




