魔法使いの少年④
ターミナルから、ウルカとは別の便に乗り込んだ。
次の目的地は、カンチェ山の麓にある大都市チュベックだ。そこからさらに山向こうへ向かう予定になっている。
午後遅くに出発した青面客車は、一晩かけて街道を走った。途中いくつもの町や村で客を乗せ降ろしし、竜を休ませながら進む。
そんな調子で揺られ続け、チュベックに着いたのは翌日の日没後だった。
チュベックは王都に次ぐこの国第二の大都市として知られている。港町とはまた違った、都会の喧騒があった。
宿は二部屋とった。
私が一つ、二人にツインルームを一つ。
部屋に落ち着いてすぐに、ブーツとマント、装備を脱ぎ捨ててベッドに横になる。
素泊まりだけの簡素な宿だが、シーツは清潔で寝心地がよい。
カンチェ山は火山のため、山沿いは温泉地としても知られていた。が、いったんベッドに寝転んでしまうと、浴場に向かうのもおっくうだった。
宿の大浴場が閉まるまでにはまだ時間がある。もう少し、とねばっているうち、私はうつぶせたまま眠ってしまった。
「ん、う」
自分自身の奇妙な声で目が覚めた。
寝入ってしまったときのうつぶせた姿勢のままだ。
だが、寝入る前と比べて、いろいろなことがおかしかった。
何やら背中が重い。
「あ、起きた?」
「……レネー?なぜそこに?」
レネーが背中に馬乗りになっている。
そして、その手は背を、軽く圧迫するように撫で上げた。くすぐったさに身をよじる。
「う、わっ、何だ?」
「マッサージだよ。車に座りっぱなしで、凝ってるでしょ」
「ま、マッサージ?」
これが?レネーの手が腰裏をぐいとつかんだ。
「待て、待っ……うっ」
指先が、背骨の両脇をひどく優しく擦る。
「遠慮しないで。おれのマッサージ料、すっげ高かったんだよ」
腰骨から肩甲骨に向かっててのひら全体を滑らせていく。少し凝っていた肩で圧迫を強くして、そのまま腕に抜けていった。
首の両側を、円を描いて撫でる。そして、肩先から肩口まで、丁寧に揉みほぐしていく。
筋肉にたまった疲労が、ほぐれていくのがわかる。
心地よさに、私は目を閉じてレネーの手に身をゆだねた。
レネーが背中から降りて、私の体を横向きに直したときも、マッサージの一環としか思わなかった。
私の背中に沿うような形でレネーが一緒に横になり、手を腰骨に滑らせたときも、同様に。
判断ミスもいいところだった。
私はこのとき、完全に油断していた。
「ほら、力抜いて」
「いや、だからもう十分――っ」
指先が脇腹をくすぐるように滑る。
びくりと体が跳ねた。
「ここも凝ってる」
「凝ってない!」
笑いをこらえるような声が耳元でした。レネーはなぜか楽しそうだった。
「クリスって反応かわいいよね」
「やめろ、レネー」
逃げようとしても、疲れた体は思うように動かない。肩を押さえられ、再びベッドに沈められる。
こいつは完全に遊んでいる。
「優しくするから」
その後の数分間、私はレネーにされるままになっていた。花街で培われたレネーの技能は、私には想像も及ばないもので……ナンバーも筋力も、その指の前には完全に無力だった。
「あっ、や、もうやめ……っ」
制止が懇願に変わりつつあった。
そんなとき、ようやく救いの主は現れた。
不意に私からレネーが引き剥がされた。
振り向くとリオンが、少年の首を引っ掴んで宙吊りにしていた。
怒っている。温和な顔がほとんど無表情だ。なまじ整っているだけに、かえって怖い。
「このガキ、ぶっ殺す!」
ドスのきいた『ぶっ殺す』は、宣言ではなく、ただの現在進行形の挙動説明だった。
言いながら、リオンはレネーを壁に投げつけたのだ。
身の軽いレネーは、壁に叩きつけられる瞬間、とっさに背を丸め受身をとった。
だがリオンの馬鹿力は相殺しきれるものではない。ゲホ、と咳き込みながらずるずると崩れ落ちる。
リオンは、少年が落ちるより早く床を蹴り、一足飛びに彼に襲い掛かった。
「やめろリオン!」
私は、力の入らない手で何とか服を引き上げながら、叫んだ。
リオンの手は止まらなかった。
だが彼が一瞬唇をかみ締めたのが私には見えていた。拳がぎりぎりでレネーの耳のすぐ横に逸れ、ズドンと轟音を立てて壁を穿つ。
憤懣やる方ないのはむしろ私の方だが、だからといって殺させるわけにもいかない。
リオンは、その体勢のまま数回呼吸を繰り返した。
そうして、ようやく怒りが落ち着いたのだろう、レネーを放置して私に駆け寄ってきた。
「クリス、大丈夫ですか」
「……ああ」
服は着たままだったが、私はなんとなく、毛布を引き寄せて体を隠した。
「すみません。気づくのが遅れて」
「謝らなくていい」
「あのガキ、帰ってこないと思ったらあんたの声がしたから」
「……うん」
「だから連れてくのは反対って言ったんです。タワドに帰しましょう。そばに置いちゃだめです」
彼がそう言い出すのは予想ができていた。
私は首をゆっくり横に振る。
「いいんだ。あいつが望む限りは同行させる」
リオンは驚いたように目を瞠った。
「でも、」
「それは私が決めることだ」
私は壁際にへたりこんだままのレネーに、顔をそむけたまま声をかけた。
「レネー、お前はもう部屋に戻れ」
「……うん」
レネーは素直にうなずいた。
「ごめんね、クリス。悪気はなかったんだ。本当だよ」
「……わかってる。いいから戻って寝ろ」
あまり口をききたくなくて、私はそっけなく彼を追い出した。
悪気がないのはわかりきっている。
彼は契約上の主人である私への、奉仕のつもりでいたのだろう。一般常識と私のそれが、一致していなかっただけだ。
リオンは複雑な顔で、出て行くレネーを見送っていた。
「もうあんなことはさせない。あいつも馬鹿じゃない、もうしないだろうから……リオンも、もう忘れてくれ」
「優しくしすぎですよ」
そうかもしれない。だが、追い返そうとはどうしても思えなかった。
リオンがため息をつきながら、乱れた私の髪を肩に流す。
反射的に、私はその腕をつかんでいた。
「クリス?」
「あ、その」
怪訝な顔をされ、ぱっと手を離した。顔が赤くなっている自覚がある。
私はうつむいたまま、消え入るような声で言った。
「……ありがとう」
つぶやきに近かったが、距離が近かったのでリオンの耳には届いた。
息をのむ音がしたかと思うと、彼はなぜか、一瞬静止した。
何だ?と顔を上げかけたところで、静止が解ける。
「本当に大丈夫?」
リオンは心配そうに、私の顔をのぞきこんできた。
私は慌てて顔をそらす。
「大丈夫だ。……もう出て行ってくれ。頼む」
下を向いたまま私はリオンに言った。
とても顔を見られない。
わけもわからず追い込まれ、体中が白熱したようなあの瞬間に、思い出したのが誰の顔だったか。
そんな記憶は一生封印しておこう。
私はそう決めた。
「わかりました。出るけど、俺ドアの前で見張りしてますから。安心して寝てください」
「え?それは」
要らん、と言うより早く、ドアは閉まっていた。
部屋に備え付けの浴室を使って、半刻が経過した。
だが扉の外から気配が消えない。
どうやら、リオンは本気で部屋の番をしているらしい。
こっちが落ち着かないので追い払いたい……のは山々なのだが、どんな顔をして出て行けばいいのかわからなくて、二の足を踏む。
そうしているうちに、扉の前にもう一つ、軽い足音が近づいた。
「リオン、まだ見張ってんの?」
扉の前に座りこんでいるリオンのもとに、何事もなかったように、レネーがあきれた顔をツインルームから出した。
リオンは、屹度にらみつけた。
「このガキ、まだこりないのか?」
拳がバキ、と鳴る。だが、レネーはおびえる様子もない。
「こりてるよ。こりてる。もう余計なことはしない」
「ならさっさと失せろ」
「いいじゃん。ちょっと話でもしようよ。おれも見張り付き合う」
リオンは、レネーが来ないか見張っているのだが、彼はそんなことはおかまいなしに隣に座った。
「リオンってさ、クリスのなんなの?」
「な、何って」
リオンはうろたえるあまり、意味もなく腰を浮かせた。
「彼氏じゃないんだろ?びっくりしたよー、男と二人旅してんのに処女なんてさ」
「しょ、」
なぜかリオンは壁にゴツ、と頭をぶつけた。
「何うろたえてるの」
レネーは笑いながら続けた。
「やっぱただの旅の道連れ……」
リオンが、かすかに眉を寄せた。不快、悲哀、そんなところか。
レネーはそう見てとったが、かまわずそのまま続ける。
「ってわけでもなさそうだよね。口じゃそう言ってたけどさ」
「?」
「リオンがきたとき、すっげーほっとしてたじゃん。かわいーい顔しちゃって」
わかっていないリオンに、レネーは諭すように言った。
「あれは、リオンにはチャンスだったと思うよ。……怖がられるのは不本意だけどさ」
「チャンスって」
「優しーくなぐさめて、押し倒しちゃえばよかったのに。絶好のチャンス、ふいにしちゃったね」
リオンが、何を言い返そうとしたのか、顔を赤くして口を開いた。
が、言葉は、放たれる前に別のものに変わっていた。
「……そういうもんか?」
レネーは会心の笑みを浮かべてうなずいた。
リオンはつかの間、真剣に考えてからこう言った。
「でもあの人、俺より強いんだぞ」
「んなこと言ってるようじゃダメだよ……」
聞こえてるぞお前たち。
そう、扉を突然開けてやりたい衝動を、私は必死で押さえ込んだ。
耳がいいのも考えものだ。
ほんの数日前までは、自儘な一人旅だった。永遠に続く孤独の日々だった。そう思っていたのだが。
連れが二人もでき、二人とも男で、妙な会話をしている。
それどころか貞操の危機にまで遭遇している。
数日前とはえらい違いだ。殺伐としたあの平穏が、懐かしく思えるとは。
とはいえ孤独でないことに、感謝する気持ちもある。
だからだろう。レネーを追い帰す決断ができなかったのは。
私はどうしても、それを否定できなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回から、クリス、リオン、レネーの三人旅が本格的に始まります。
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