魔法使いの少年③
ようやく宿に落ち着いたのは、日が沈んでかなり経ってからだった。
「何で俺がこいつと同室、」
「文句があるなら出て行け」
成り行きで、自宅をリオンに破壊された二人も一緒だ。
港近くの安宿で二人部屋を二つとり、男女別に振り分けた。リオンとウルカはなぜか不満顔だが、私は構わなかった。別部屋が条件、という前言を撤回するつもりはないのだ。
一階の食堂で食事をした後、なぜか女部屋に四人で顔をつきあわせることになった。
「お姉さん、オレを買わない?」
レネーは私にティーカップを渡しながら、バカなことを言った。
「冗談を聞く暇はないぞ」
「マジでさ」
レネーは不敵に笑った。
「けっこうお得だよ。食い扶持は自分で稼ぐし、炊事洗濯夜の相手まで何でもこなせる。自慢じゃないけど、そっちはかなりのもんだよ」
「クリスは、冗談聞く暇ない、って言ってるだろ」
リオンが苛立たしげに口をはさむが、レネーは気にも留めていない。
「そっちの彼氏よりは、満足させられると思うよ」
「この、」
「あ、あたしを捨てるの……?」
いきりたつリオンを遮ったウルカの声は、恐怖に震えていた。
「まさか」
レネーは笑って手を振った。
「ウルカは、学校に入ればいい。入学金は用意してある」
「学校?」
「ランカーが入る学校。入学金だけで、後は就職まで面倒みてもらえる」
彼はウルカの頭を撫でながら続ける。
「忙しくなるから、きっとおれとは会えなくなるよ。忙しくなくなったころに、迎えに行くから」
「迎えに……」
「自分の分、払い終わるのにあと十年ってとこかな」
「十年も?」
少女が泣きそうな声を上げた。
「自力だとね」
暗にこう言っている。自由の身になるのに十年以上かかる……私が買ってやらなければ。
「私が買ったところで、持ち主が変わるだけだろう」
「少なくともこの町からは出られるし、お姉さんは利子や所場代取ったりしないだろ? あれがなければ、けっこう早く返せるんだよ。本当は」
ふと少女に目をやると、涙まじりの緑の目が、すがるような色をたたえて私を見つめている。
湧きあがったのは、羨望だった。
私は、ウルカのようにぎりぎりのランカーではないし、貧しかったわけでもない。不幸ではなかった。
だが、誰も私に近づかず、声をかけようとはしなかった。私は恐れられていた。
友達も恋人もなし。人と用件以外に口をきいたことなど、数えるほどしかない。
強く生まれたことに不満はない。
私は特別な存在で、ずっと一人だった。
上位ナンバーは皆そうなのだ。
だがウルカは違う。レネーよりもずっと強く、希少で、価値ある人間でありながら、彼に守られ、愛され、すべてを捧げられている。
彼女は一人ではないのだ。……彼女の幸福を、他の何よりも強く願い、そのために動く者がいる。
打算もなく、ただ彼自身の心という、もろい理由のためだけに。
ナンバーが全てのこの世間で、レネーにとってのウルカは、『ナンバー30のウルカ』ではなく、ただのウルカなのだ。
うらやましくてならなかった。
心が動いたのは、だからだ。
希望に思えたのだ。いつか自分にも、と。
願いを、成就させてやりたくなった。
「いいだろう」
「……本気で言ってる?」
いぶかしげなレネーに、私ははっきり頷いて見せた。
だが、意外なところから抗議の声があがった。
「ちょっと、クリス!」
「なんだリオン」
「あんたね、俺にはさんざん甘い甘い言っといて、自分がそれってどうなんです」
「気に食わないならかまわないぞ。私はもう決めた」
リオンに止められる筋合いはない。
私はなるべく冷たく聞こえるように、そう言ってやった。
「反対! 反対です。こんなガキ、連れてって何の役に立つんですか。出費が増えるだけでしょう」
「食い扶持は自分で稼ぐんだろう?」
噛み付くリオンに直接言うのではなく、私はレネーに確認した。
少年は軽くうなずいた。
「そりゃ当然でしょ」
「だそうだ。残金一万のお前よりは安くつくと思うぞ」
船代一万五千リルを受け取り、今日の宿代を引いた、リオンの財布の中身を暴露してやる。
リオンはぐっと黙った。
一万リルちょっとのために、ウルカは死ぬところだったわけだ。
「お姉さん、ほんとにいいの?」
レネーが上目遣いにそう言った。
「ああ。だが、私は金を出すだけだ。手続きは自分でやってもらう。この町に長居はしないからそのつもりでな」
「いいよ。用意は全部できてる。明日にだって出発できるよ」
最後の夜だから、とレネーとウルカは同室になりたがった。
手を合わせて頼まれて、いやだとは言えなかった。
リオンと同室になるのは少々不安だったが、船での出来事と同じ夜に、おかしなことにはなるまい。
クリスと部屋を代わってもらったレネーは、ベッドに座るウルカに近づいた。
ウルカが両手を差し伸べている。
「来て、レネー」
「ん、」
レネーは誘われるまま、ベッドに乗り上げると、ウルカに覆いかぶさった。
『レネー、レネー……』
壁の向こうから切れ切れに聞こえてくる声。
安宿にするんじゃなかったと、私は心底悔やんでいた。
耳をふさぎたかったが、リオンの前で狼狽を悟られるのが恥ずかしくて、できない。
もっとも、当のリオンも落ち着かない様子だ。しきりに部屋の中をうろうろ歩き回っている。
「あ、あのクリス」
「な、何だ?」
空気を変えようとでも考えたのだろう、妙に明るくリオンが声をかけてきた。
だがそれも、ひときわ高い声に遮られ、徒労に終わった。
『好き、好き! レネー!!』
沈黙。私は天井を見つめた。リオンも天井を見つめていた。
「ねえ、レネー」
寄り添って寝そべったまま、ウルカがぼそりと呟いた。
「……あたしのこと、ずっと覚えていてくれる?」
レネーは目を瞠った。
「何だ。迎えに行くって言ったの、信じてないの?」
「本気で、迎えに来る気あるの?」
ウルカの不安に、レネーは苦笑した。
「迎えに来るよ」
彼はウルカの手をとった。
「何年かして、ウルカが立派なナンバー30の美人戦士になったらさ、迎えに来る。そしたら、一生離さない」
「レネー……」
「そのときはさ、ウルカ」
ウルカの指先に唇をあて、目を細めて笑う。
「おれの子供、産んでよね」
※※※
レネーの仕事は早かった。
翌朝には御頭とやらと話をつけ、私はレネーを正式に買いうけていた。
それから、役所でウルカの入学手続きをした。
王都にある国立のランカー向け教育校で、最終的に多数のランカーを軍組織に組み入れたいという意図をもって創設されたものだ。
どこの国も考えることは同じだ。私の生国にもそういった教育機関はあった。
だが結局、ランカーに組織向きの人材はあまりいないというのが定説だ。一匹狼型が多いので、賞金稼ぎか賞金首、傭兵あたりが主な進路である。
読み書きのできないウルカの、書類を代筆したのはレネーだった。
流暢とは言えないがしっかりした筆跡で、署名欄に『マルルールカ・ハタエ』と書かれていた。ウルカの本名なのだろう。
輸送車両の集まるターミナルから、ウルカを見送った。
丸く区切られた広場から四方へのびる道が、それぞれ街道につながっている。
広場には、長い首を持つ巨大な青面竜と、それに引かれる乗り合いの大型車両・青面客車がひしめいていた。
青面竜の陰には、火トカゲに引かれる小型車両が列をなしている。これは公共の車両ではなく、青面客車から降りる客をターゲットに、宿や港へ送迎するためのものだ。
泣きながら手を振る少女を乗せた、王都行きの客車を、レネーは見えなくなってもずっと目で追いかけていた。
「何度も言ったがな、レネー」
「うん?」
「付いてくる必要はないんだぞ。あの子のそばにいてやってもいいんだ」
私は朝から何度も口にした台詞を、また繰り返した。
「買ったのはただの気まぐれなんだから、付き合うことはない。金は出世払いで十分だしな」
「おれも何度も言ったでしょ。買われたからには、おれはあんたのものだ。どこまででも付いて行くよ」
「しかしな」
「旅って初めてなんだよね、おれ。ずっと町から出たいって思ってた」
レネーは微妙な表情を浮かべた。悲しげな寂しそうな、それでいて奇妙に清々しい。
「ずっと一緒にいたらさ、きっとダメになるよ、おれもウルカも。距離はおいた方がいい」
「そうなのか」
「ちょうどよかったんだ」
そういうものだろうか。あれほど思い合い、依存し合っているように見えるのに。
だがこの場合、経験は圧倒的にレネーの方が上である。私はあまり深く考えないことにした。
レネーの旅支度は簡素なものだった。
旅向きの丈夫な胴着に、ひざより短い丈のズボン、鋲打ちの皮ブーツ、上から厚い外套を羽織る。
外套の裏地と胴着に、短剣の仕込みがあるのがちらりと見えた。
持ち物は、財布と細々としたものの入った背嚢が一つ。それを背負って準備は終わりだ。
驚いたことに、背負った荷物の容量の、大半を占めていたのは二冊の本だった。
「親父の形見なんだ。これきり残らなかった」
彼はあっさりと私にそれを見せた。古い豪奢な装丁に、金の飾り文字が押されている。
『第三の書』。『伝承歌と呪文』。
「へえ。高等魔法書だ。古本屋で高く売れる」
のぞきこんだリオンがそう言った。
「そうなのか?」
私は意外に思ってリオンの顔を見た。
魔法書など、一般に出回っているものではない。よほど魔法が身近になければ、一目でそれとは知れないだろう。
リオンが軽くうなずく。
「そうですよ。『伝承歌と呪文』は再版されたから、それほどじゃないけど。『第三の書』は規制がかかって、絶版になったんです。何十年前だったかな。大昔に」
「詳しいな」
「まあね。回収騒ぎになったって言うから、今じゃ王宮の書庫くらいにしかないんじゃないかな。競売にでも出したらかなりすると思いますよ」
リオンはつまらなそうに言うと、本をレネーの手からとり、背嚢に戻した。
「隠しとけよ。見つかって、盗まれたらもったいない」
私は、一連のリオンの行動に、違和感を覚えていた。
本をとった手が、緊張にこわばっているように見えたのだ。つまらなそうな口調は、そう装っているように聞こえた。
「……?」
違和感は一瞬だった。
次の瞬間には、何事もなかったようにリオンは、いつもの人のいい表情を浮かべていた。
レネーは気づかなかったらしい。
「親父、けっこう名前の売れた魔法使いだったんだって。魔法使ってるの見たことないけどね」
「お前の魔法は、これで覚えたのか」
「そうだよ。っても、おれにできるのってあれだけだけど。人に魔法かけるのはムリ」
「あれだけ? それは……」
レネーの使った魔法らしきわざは、手が、触れられないほど熱くなる、というものだった。
一瞬驚かせるだけならともかく、実戦の役には立つまい。
「だから、役に立たないんだってば。才能ないんだ」
下手ななぐさめも言えないのが、私の悪いところだ。
何かに役に立つ、くらい言ってやればいいのに、何一つ思い浮かばないのだ。
ナンバー制が始まってから、全ての潜在能力は数値化されている。その中には魔法の力も、比重は少ないながら含まれていた。
才能がない、と本人が言うなら本当にそうなのだろう。努力で何とかなるものではない。
だが、レネーは気にする様子もなく、けろりとこう言ってのけた。
「だから短剣投げの練習したんじゃん。上位ナンバーには意味ないけど、要は使いようだよね」
ランキング外とはいえ、たくましいものだ。私は妙に感心してしまった。




