魔法使いの少年②
「強いなあ姉ちゃん」
屋根から降り、腕を背中にひねられた状態のまま、少年は笑った。
「でも、あんまり手荒にしない方がいいよ。連れが、あんたのヒモを捕まえてるころだ」
聞き捨てならない単語に、私は眉をしかめた。
「何を、だと?」
「あんたのヒモ。あんたほどじゃないけど、連れはけっこー強いから、おれに何かあったら何すっかわかんないよ。大事な彼氏のきれいな顔が、ぐっちゃぐちゃになるのはイヤでしょ」
私が上位ナンバーであることは承知の上らしい。
なるほど、狙いは財布ではなく、人質をとって私から大金を引き出そうというわけか。
無茶な策だが、あの少女が上位ナンバーならば……そして人質が一般人ならば、一攫千金の勝算は無いでもない。危険を犯す価値はある。
人質が一般人ならば、の話だが。
嫌な予感がした。
「連れは結構強い、と言ったな。訊くが、お前の連れはゴールドクラスか?」
「へ?」
「ランキング十位内なのか、と聞いている」
「まさかあ。そんな有名人と知り合いだったら、こんなことしてないって」
少年は軽い口調で答えた。もちろん、そうだろう。十位内の十人ならば、今どこで何をしているか、逐一情報が流れている。今この町にはいない。
といって、二十位以上とも思えない。現に少年は、連れより私が強いと言った。
例えリオンと同じ十四位だったとしても、相手は子供だ。十七歳のリオンよりは格段に劣るはず。
「ま、あんたの生っ白い彼氏よりは上だと思うけど」
「バカめ、ターゲットの実力もはかれないのか!?」
私は思わず怒鳴りつけてしまった。
少年が驚いて目を見開く。
「まったく……連れが生きているように祈っていろ」
私はリオンの行った方向に走り出した。
リオンには、以前の港での騒動からわかるように、子供に優しい、甘いところがある。それは確かだ。
だが、私はそれ以前に、リオンがゴロツキ相手にどれほど無秩序な暴力の塊だったかも、覚えていた。
命乞いに容赦などしなかった。
私が主導しなければ、皆殺しだっただろう。私と出会う前は、きっとそうしてきたのだ。そう、確信を持って言える。
無力な子供には優しくできても、それが『敵』となればどうなるものか。
私には、とても楽観できなかった。
慌ててついてくる少年は、かなり面食らった様子だった。無理もないだろう、足止めするはずの標的が、自分の連れを心配するようなことを言って走り出したのだ。
だが、少年は見かけどおりの聡明さで、私の言わんとするところを悟ったようだった。表情に危機感がある。
少年はレネーと名乗った。
美少年と言ってさしつかえない端正な面差しに、少し女性的な印象がある。本人もそれを知っているようで、表情やしぐさに時折少女の嬌態じみたものが混じる。
庇護者のない子供が世間を生きていくのに、有効な武器だったのだろう。
「ウルカ……」
「それが連れの名か?」
「そうだよ」
「ナンバー付きの子供が、なぜこんなことを?養ってくれる者はいくらでもいるだろうに」
「ナンバー付きはウルカだけだ。おれの身柄は御頭のものだしね」
「御頭?」
「色街の御頭。おれの持ち主。身代を返すまでは、おれは町を離れられない。そんでウルカは、おれから離れたがらない」
「……」
重苦しい話を、あっけらかんとレネーは語った。私は何も言えなかった。
「難しい顔しないで。悪かったよ、変な話して」
レネーは続けた。
「ウルカは悪い子じゃないんだよ。あいつの身代は払い終えてて、もう自由の身なのに、あいつおれのことも自由にしたがって。だから無茶して大金稼ぎたがったんだ」
こともなげな台詞に、私は顔をしかめた。
「お前、その連れの身代を払ってやったのか?」
「まあね。ウルカは女の子だし、身売りなんかさせらんないじゃん」
どんなつもりでレネーが、こんな話をしたのかはわからない。
だが私は、聞かなければよかったと後悔した。
わきあがる同情をおさえこみ、無関心を装うのは、私にとってそれほどたやすいことではないのだ。
殺伐としたこの世界に生まれ育って二十年、まだ私は完全に合理だけに生きることができずにいた。
「なんでよ……なんで追いついてくるの……!?」
ウルカは追い詰められていた。
最初こそ、誘いこむように加減して走っていたが、あっという間に距離をつめられた。男の脚力に気づいてからは、人質にする策など放棄し、全力で逃走にかかっている。
全速力のウルカに、ここまで追いついてきた獲物は、今までいなかった。
もはや彼は獲物ではない。それはウルカの方だった。
弱い貧しい両親から生まれたナンバー30。
ナンバー制でいえば末席だが、れっきとしたランカーだ。
加えて、子供の身軽さ、裏道を知り尽くしている条件のおかげで、たまに銀行を訪れる下位ランカーからも逃げおおせてきた。
俊足では、だれにも負けたことがない。
だが、今回の獲物は、どこを逃げても追ってきた。
壁を登っても、身軽く越えてくる。子供にしか通れぬ隙間も、力ずくで破壊する。
息を殺してやりすごそうにも、わずかな気配を察して見つけられた。
そうやって逃げ込んだ先は、ウルカにとって最後の砦だった。レネーと二人、勝手に住みついている古い空き店舗だ。
しかしその重い扉は、幾度か蹴られ、体当たりをされたのち、最後の一蹴りで完全に粉砕された。
「やっとつかまえた」
銀髪の、赤い目、人のよさそうな表情で、長い黒髪の女と話していた。まだ若い男だ。
遠目に見た印象よりずっと背が高くて体格がよい。
ウルカにとってそれは、初めて味わう恐怖の、具象化した姿だった。
リオンは最初に、つかまえた、と言ったきり、何も口にしなかった。
表情一つ変えずに床を蹴り、ウルカに突進した。
ヒッ、とウルカの喉が鳴った。突進の勢いのまま振りかぶった拳を、彼女は反射神経だけで横に転がって避けた。土壁がみしりと音をたて、拳の形にめりこむ。
続けざまに襲ってくる第二、第三の打撃から、ウルカは床を這って逃れた。立ち上がって体勢を整える間がない。
最初の一撃はともかく、続く連打ではほとんど体重がのっているようには見えない。
横に逃げるウルカを追って、背をひねったり腰をかがめたり、走って追いかけるだけで拳と踏み込みのタイミングも合っていない……ようにしか見えない。
だが、ウルカのいた位置の壁や家具が次々陥没し、破砕されていくのを見ては、理屈など何の意味も持たなかった。単純に、腕力が尋常ではない。
「やだ。やだ、レネー!レネー!」
ウルカは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに濡らして逃げ続けた。角に追い詰められそうになるのを、決死の突進でリオンの脇をすりぬけて脱する。
リオンは虚をつかれたようだった。だが、逃げ切る余裕はない。
ウルカは脇をすりぬけてすぐに、きゅ、と脚を止めた。リオンが振り向く一瞬を狙って、自身も振り返る勢いを使って回し蹴りを放つ。
パン、と乾いた音がして、リオンの側頭部に蹴りが決まった。
リオンの体が一瞬ふらつく。
ナンバー30とはいえウルカ程度の重量では、威力もたかが知れているが、互いに振り向きざまのタイミングが、うまくカウンターになった。
「あ、や、やった!」
思わず歓声をあげ、追い打ちをかけるべく肘を尖らせて突き出す。
だが、ウルカの肘は届かなかった。
リオンが一歩前に踏み出し、無造作に腕を立て、羽虫を払うように払う。
それだけだ。それだけでウルカの肘打ちは弾かれ、彼女は体ごと後方によろめいた。
「なめやがってこのガキ」
凍えるような声が、耳のすぐそばで聞こえた。
と思ったら、がっ、と襟首をつかまれ、壁に叩きつけられる。衝撃に、ウルカの息が止まった。
彼女は、降りてくる拳を、黙って見ているしかなかった。
長い、長い刹那のできごとだった。
絶妙のタイミングだった。
振り上げた拳は、少女をとらえていたのだ。
「リオン、よせ!」
「ウルカ!」
私の呼びかけに、リオンの腕がとまった。
止まった一瞬を逃さず、私はリオンの腕を抑え、レネーが少女と彼の間に飛び込んだ。
「れ、レネー……」
ウルカと呼ばれた少女が、レネーにすがりついていた。
その様子はとてもランカーには見えない。華奢で幼い、ただのおびえた子供だ。
ぐぐ、とリオンの腕に力がこもる。
「落ち着けリオン! 子供を殺してどうなる」
「クリス、でも」
「でもじゃない! 私に冷たいと言ったのはお前だぞ」
リオンは不承不承の態で拳をほどいた。
私は彼の手を放してやった。
「ウルカ、財布を返すんだ。それで手打ちにしてやる」
レネーにすがってしくしくと泣いている少女に、私は言った。
少女はためらわなかった。よほど怖かったのだろう。レネーから離れないまま、財布をこちらによこした。
「リオンもいいな。これで手打ちだ」
「……はーい」
リオンは不満そうだ。
「不満そうだな」
「当たり前ですよ。財布すられて頭蹴られて、踏んだりけったりじゃないですか」
言いながら、リオンがわざとらしく側頭部をおさえる。
「蹴られた?見せてみろ」
私はリオンの頭を引き寄せた。
彼はなぜか息をのんで、そのまま黙り込んだ。大人しく背をかがめてくる。
「出血もアザもないようだ」
私は気にせずリオンの頭に顔を寄せ、髪をかきわけた。が、彼の言うような痕跡はまったく見られない。
「頭が丈夫なんでね。……けっこー痛かったのは本当ですよ」
「わかっているさ。信用する。相手は子供とはいえ、ナンバー付きなんだからな」
「ナンバー付き?弱かったけど」
「二十位以下だろう。お前から見ればランク外と変わらん」
「ふうん」
リオンは、もうウルカから興味を失ったようだ。
どうでもいいと言わんばかりの反応に、逆に私が驚いてしまった。
「待ってウルカ、人前で、」
頭を撫でて、泣きじゃくる少女をなぐさめていたレネーが、急にそんなことを言った。
何の話だと私は振り返った。
「んっ」
レネーの制止もむなしく、ウルカは彼の首に腕を巻きつけ……キスした。ただのキスではない。長い長いキス。
私は……私とリオンは、あっけにとられて、目の前の光景に見入っていた。
目が離せない。
急に、船でのできごとがフラッシュバックした。リオンの唇、舌、濡れて熱く、吸い付く感触。
あのパニックのさ中でさえ、体は感覚を覚えていた。顔が熱くなり、私は思わず手で口をおさえた。
リオンが真っ赤になって、同じしぐさをしていることに、私は気づかなかった。




