白銀の王の国②
無視して外に出た私を、リオンは追ってきた。
「ついて来るなと言った」
「まあまあ遠慮しないで」
遠慮してない、と言い返す気にもなれず、私はふいと彼から顔をそらした。そのまま無言で歩を進める。
リオンは三歩ほど遅れてついて来ていた。話しかけては来ない。
機嫌をとろうとする様子は一切なかった。彼はただ、無言の私に付き合うように、沈黙を保ったままだ。
どういうつもりなのだろうと訝しく思った。だが、振り返ったり、先に声をかけたら負けのような気がして、私はその衝動に耐えた。
落ち着かなかった。無視しようと努めるのに、背後に消えない彼の気配から意識をそらすことすらできない。
建物の並びから抜けて、町の中心広場に出ると、不意に、ごう、と真正面から風が吹きつけた。冷え込む時節でなくとも、エルゲンは北の国だ。夜ともなると風が冷たい。ひやりと耳もとをすり抜けていった冷気に、私は知らず足を止め、身を竦ませた。
それをきっかけのようにして、リオンが口を開いた。
「クリス、寒くないですか?」
「寒くない」
自分でも不自然に思えるくらい、急いで答えてしまっていた。リオンの語尾に完全にかぶさっている。話しかけられるのを待っていたみたいで、少し恥ずかしい。
だがいったん声を出してしまうと、次の言葉は口をついてあふれてきた。
「どうして、」
口を閉ざそうとしたが、失敗した。私は足を止めて彼に向き直った。
「どうして、待ってるなんて言い出したんだ」
「え?」
リオンは、何を訊きたいのかわからないふうに首をかしげた。
頭をよぎった別れの予感が消えずに、頭痛のように私を苛んでいた。
レネーとののんきなやりとりや、私をわざわざ待っていると言った真意が、私には何もかも別れの予兆に聞こえてしかたない。最後に少し時間を稼いで、名残りを惜しむつもりなのだろう。それだけでよいと思っているのだ。
別れたくないとか、ずっと、一緒に……そんな発想が彼にはないのだ。
私にだって、そんな発想はもともとなかった。
ずっと一緒にいたいか? そう訊かれたら、きっと迷う。少なくとも、是とも否とも即答はできないだろう。リオンとの関係には、先への予感が何もない。今、ただこうしていることにさえ、私には理由が必要だったのだ。
しかしこうして別離の時を意識したとたん、わきあがったのは明確な不快感だった。そして、リオンがその不快感をちっとも感じていないらしい様子に対する、理不尽な苛立ちだ。
真意を質す問いかけに、リオンは確かに困惑していた。
「どうしてって、だって……」
だが彼は結局、何ひとつ悩まずにこう答えた。
「あんたの仕事の方が先に終わったら、ちゃんと俺のこと待っててくれますか?」
その答えは、私の予想を裏切るものだった。
「……待つ? 私が?」
「ほらやっぱり」
意味がとれずに首をかしげた私に、彼は嘆くように天を仰いだ。
「すれ違いになったら、絶対置いてけぼりにされそうでしょ。あんたけっこう薄情だからさ」
「薄情で悪かったな」
「悪いですよ。普段は優しいから、たまに冷たくされると悲しい」
「普段は優しいか?」
「そりゃあ……ちょっと薄情で、機嫌悪いと怖いけど」
どうして私の性質の話になっているのだろう。リオンの理由を訊いたはずが。
「私が……」
「うん?」
「私がお前を待つのか?」
「だから、待たなくていいですよ。俺が待ってますから」
私は首を横に振った。
「そうじゃない。だから、もし、私の仕事が先に終わって、リオンの用が終わるのを待っていたら……」
どうなるというのだろう。聞くのが怖いような気がして、私はその先を口にできなかった。
リオンは笑いながら、語尾を引きとるようにこう云った。
「そしたら、あんたの行きたいところに」
私ははっと顔を上げた。
「私の行きたいところに、お前がついてくるのか」
「そう」
「でもお前は、目的があって旅してたんだろう? 仕事で……」
確かにリオンの旅のスタンスは実に気楽で、物見遊山ではないかという疑いはまだ消えていない。しかし一方で、定期的に振り込まれているらしい収入は、この長旅が遊びではなく、報酬に値するものであることを示していた。
だがリオンはあっさりとこう云い放った。
「仕事? ああ。そんな大した仕事じゃないです。用があれば今回みたいに遠出するけど、普段は別にここにいる必要ないんで」
それに、と気のないふうに彼は続けた。
「最近給料の振り込み遅れてるし、やめてやろうかと思ってるんです。賞金稼ぎってどんなもんですか? 結構稼げる?」
気軽なものだ。だが彼はナンバー14だ。賞金稼ぎに限らず、荒仕事だろうが軽くこなしてのけるだろう。
その物言いの、あまりに軽い調子にあきれて、私はこう訊ねるのを忘れてしまっていた。……なぜ、と。
だがそれこそ、聞くのが怖かった。予想しうるどんな答えも、私を安心させるものではないからだ。どんな答えも、私を乱し怯えさせるだろう。
賞金稼ぎの経済状況について、彼はそれ以上詳しく訊こうとはせず、すぐに別の話にうつった。
「クリスって、もともと拠点はカレンチアの東方でしょ?」
切り替えられた話題に戸惑いつつも、私は素直に頷いた。
「ああ」
「やっぱり。見かけがそっちの方だからさ。今回の仕事が終わったら、そっちに戻るんでしょ」
「そうだな。はっきり決めていたわけじゃないが、たぶん」
「遠いなー。俺、ハナハチスからここまで、移動だけで半年近くかかったんです。それよりはあんたの国の方が近いでしょうけど」
ハナハチスといえば、カレンチア大陸の極東にある国だ。……よく知っている名だ。
思い出しかけた何かを、私は意図して切り捨てた。
私がリオンとレネーに出会った国は大陸西寄り、中央大交差帯に近い位置にあった。単純な距離で云えば、エルゲンとハナハチスのほぼ中間地点にあたるだろう。
「こことカレンチアの端を往復したのか」
「往復っていうんですかね。まっすぐ来たわけじゃなくて、さんざん寄り道もしたし」
行きは海路だから早かったけど。
リオンは小さくそうつぶやいた。
「……海路?」
西の大陸の西岸と、東の大陸の東岸の間は、外端洋と名付けられた大洋に遮られている。
その外端洋を渡ったという意味だろうか。
いや。私はすぐにその考えを否定した。
世界は球状をした、天の無数の星の一つだといわれている。
太古にあったただ一つの巨大陸は、地と海の変動によって西と東とに分かたれた。それがカレンチアとトルプテン、現在人間が版図とする二つの大陸だ。
学者の計測によれば、外端洋をはさむ大陸間の直線距離は、陸路の三分の一以下だ。航路が確立されれば、交易や流通は飛躍的に進歩するだろう。
何百年も前から、無数の船が双方の大陸から出航した。しかし、現在にいたっても、海を越えた船は一隻もない。そう云われている。
二つの大陸を中心に描かれる世界地図の、両端で途切れた空白の領域。それが外端洋だ。私たちの知りうる世界の外の海なのだ。
怪訝に聞き返したが、リオンは気づかなかった。
「あんたに会ってから足止めばっかりで、すっかり予定より遅れちまって」
そう云って、わざとらしいため息をつく。
先ほどの呟きは空耳か、でなければ言葉のあやだろう。陸沿いに海岸線を伝って移動したということかもしれない。陸路に比べて大回りすぎて危険も多い経路なので、個人が旅に使うとはあまり聞いたことがないが。
私はすぐにそのことを忘れた。
「何を人のせいみたいに……」
「クリスのせいのときもありましたよ」
「よく云う」
まったく、と彼のへらず口に肩をすくめる。
とはいえ、それほどあきれたわけではなかった。次の台詞を口にするのに、少し間が必要だったのだ。私は軽口の続きのように、こう云った。
「……待っていてほしいなら、そう言ってくれればいい。待っていてやる。今回の仕事が終わったら、特にやることもない」
リオンは少し驚いたように目を見開いた。
「本当に?」
私は頷いてみせた。
視界の端で、彼の手がぴくりと動いたのがわかった。彼は上げかけた手を、迷うように軽く握り、結局下ろした。
「でも、やっぱりクリスは待たなくていいです。終わってから一緒に行きましょう」
「行く?」
「俺の生まれたところ」
リオンは間髪入れずに答えた。
「いいところですよ。冬は死ぬほど寒いけど。景色だけはいい」
彼の目つきが、ふと和んだ気がした。いつも穏やかだし、はりつめた印象は全くないのだが、このときの彼はそれとは違い、何というのか……とても、人間的だった。気まぐれで、何を考え、何をおもしろがっているのかわからない部分がなりをひそめている。
懐かしんでいるのだ。私にもそれがわかった。
「クリスに見せたい。連れにもあんたのこと見せてやりたいし」
故郷とはそんなものだろうか。彼のそのちょっとした変貌を前に、私はほほえましいような気持ちと、同時にうらさびしい心地にとらわれた。
以前亡き父親を語る彼に、同じ感覚を抱いたのを覚えている。良きにつけ悪しきにつけ、おおむね共感しやすかった彼の感情の中で、私が知らず、理解できなかったものの一つなのだ。
「仕事終わったら、来てくれるでしょう?」
彼の故郷や旧知の人間を見たいかどうか、私にはわからない。
だが……彼がそこに帰るのなら、ついていきたいとはっきり思った。
それがどういう心の動きによるものなのか、やはり私にはわからなかった。ただ、無性にそう感じたのだ。彼を一人で故郷に帰したくない、と。
私は結局、そのおかしな衝動に従った。
「そう……だな」
軽く頷く。そうして目を上げると、リオンがじっと私を見つめていた。
「機嫌直った?」
「ああ」
もう夜も更けて、広場に人影はない。それだけ確認してから、私は何となくリオンのそばに歩み寄った。
「クリス?」
体を寄せると、リオンの声が慌てたようにうわずった。




