白銀の王の国①
トルプテン大陸北西部に位置する王国、エルゲンに入国したのは、それから数日後のことだ。
広大な国土の北部に大陸最大の山脈を擁している。
そのためか、かなり高緯度にありながらも、周辺諸国に比べて気候が温暖で、実りも多い。二つの大陸でも一、二を争う豊かな国だった。
だが、エルゲンについて特筆すべきは、その豊かさでも産業でも強力な経済力でもない。
人がエルゲンを語るとき、教科書で学ぶとき、最初に覚えるのはその統治者の名だった。
建国の王ではなく、歴代の王の誰でもなく、ただ一人。現王の名ソーン・オブ・エルゲン。
ランキング十位までの十名のうちただ一人、生まれながらに王権に近い血統を持っていた男だ。
ナンバー3。
『銀王君』と称されている。
彼は、十年ほど前に数人いた上位王位継承権者をおいて即位し、王国の発展に力を注いでいた。
ナンバー3を戴く国に攻め入る軍はなく、自ら他国を敵することもしない。軍備はもっぱら治安維持を目的として組織されていた。治安の良さもまたこの国の大きな特色だ。
浮いた軍費は減税や多様な保障、福祉制度という形で国民に還元されている。
結果として、王の人気は即位以来高まる一方だそうだ。
国民の愛国心が強く、多少排他的な国だとも言われている。
それも無理からぬ話ではあった。
ナンバー1、ナンバー2は、今は俗世を離れめったに姿を見せない。ナンバー4から下も、ときおり銀行やその他の組織に雇われることがあっても、正式に所属したという話は聞かない。
つまりこのエルゲンは、ゴールドクラスを『所有』する唯一の国なのだ。
その国民が、自らの持つ強大な力を誇りに思い、他国の者と自分たちを区別したがるのも当然のことだろう。
もっとも、世界中がナンバー制という一つの価値観を共有し、共通語の普及や通信の発達によって、かつてよりも国境線の持つ意味合いが弱くなっている昨今にあっては、排他的といってもそれほど顕著ではない。
街道上の、エルゲン最初の集落であるこの町でも、肌の色や顔立ちから他民族の血を引いているらしい住民は少なからず見られた。旅人への接し方にも特におかしなところはない。
噂に聞くほどではない、というのが私の感想だった。
とはいえ、この町はもっとも国境に近い位置にある。中央に近づけば、事情は変わるのかもしれない。
「……ところで、リオンは? どうするんだ?」
宿で遅めの夕食をとっているときのことだ。
このまま北上し、エルゲン王都へ向かう旨を二人に告げた私は、ふと気になってリオンに訊ねた。
名物の煮込み麺を熱心にすすっていたリオンは、きょとんとして顔を上げた。
「どうって?」
「最初に会ったとき、言っていただろう。エルゲンを目指していると」
そう。たまたま相部屋になったリオンと、目的地が同じだった。旅の道連れになったきっかけはその一事に尽きる。
もう数カ月も前の話だが、私はよく覚えていた。当時は、まさか本当にこの遠い目的地まで同行するとは、正直思っていなかったものだ。
「そういや、そんなことも言いましたっけ」
彼は平然ととぼけた返事をした。
隣でレネーのあきれたような声があがる。
「何、リオン、嘘ついてクリスに付いてきたの?」
「嘘ってわけじゃ。別に急いで帰ることないんです、もうちょっとあんたといたいし」
「帰る?」
予想外の言葉だった。
レネーにとってもそうだったようだ。突然判明した事実に、私たちは戸惑い顔を見合わせた。
「もしかして、ここはリオンの故郷なのか?」
「生まれたのは、もっと北の方だけど」
リオンは軽く頷いた。
「どっちにしても王都は通り道だから、ついていきますよ。クリスの仕事は王都で?」
「組合のエルゲン支部に呼ばれているだけだ。実際の仕事先はまだわからない。この近辺ではあるんだろうが」
「じゃあ、仕事終わるまで待ってます」
「待っ……? 何を言ってる」
彼のあまりにあっさりした口調に、私の方が慌ててしまった。
「半年がかりで大陸の向こうから召喚されるほどの仕事だ、そうすぐには終わらない。待っていないで、お前はお前の用事を……」
言いかけて、私は言葉につまった。
先ほどのリオンの台詞から、一つの可能性に思い至ったのだ。
「?」
硬直した私に、リオンが首をかしげた。
頭をよぎったのは、彼の旅がこのエルゲンで終了するという事実だった。だが、私にとってこの国は、仕事のために立ち寄る土地の一つにすぎないのだ。
不思議なことに、私はそのことを少しも考えていなかった。つまり、別れの日について。
知らず、心拍が上がっていた。じわりと熱が皮膚の下にこもるように体温も上昇する。緊張しているのだ。
自身の体がそんな反応をすることに、戸惑いを覚えた。
「クリス? どうかした?」
レネーが心配そうにのぞきこんできて、私ははっと我に返った。
「……何でもない。それより、待っている必要なんかないんだぞ。時間の無駄だろう」
リオンは笑ってひらひらと手を振った。
「ほんと、全然急ぎじゃないんです。あんたの仕事が終わってから一緒に行くのでじゅうぶん」
「しかし、家に顔を出すくらい、」
「家っていうのとも、違うんですけどねー。親兄弟がいるわけじゃないし。そんでも、一度帰ったら顔出すだけじゃすまないから」
そういえば彼は以前、父親は死んだようなことを言っていた。母親や兄弟について言及があったことはないが、この言いぐさだと、どちらもいないのだろう。
「勝手にしてかまわないが、本当に仕事の期間はわからないんだ。長引くようなら待たずに帰れ」
リオンが頷いた。
「勝手にさせてもらいます」
言われるまでもない、と言わんばかりの即答だった。もっとも、私もそう強く止められるとは思っていなかった。何を言ったところで、彼は好きなようにするだろう。
肩をすくめてみせると、一段落したと思ったのかレネーが口を挟んできた。
「エルゲンの出身なら、『銀王君』ソーン・オブ・エルゲンさ。実物見たことある?」
世界的な有名人のこととあって、レネーは好奇心もあらわに身を乗り出す。
「ガキのころな。七つか八つのときに、親父に連れられて王都で戴冠パレード見物したんだ」
「ほんと? 本当に肖像画みたいに、髪も目も銀色なの?」
この町に入ってから、店先の飾りや売られている小物の中に、様々な形でエルゲン国王の肖像を目にしていた。人気があるというのは真実なのだ。
「遠目だし、顔まではよくわかんなかったな。髪は銀色だった。俺のよりもっと白髪っぽい」
「なんだ。じゃあ、肖像画と似てるかどうかもわかんないんだ?」
いかにもがっかりした調子のレネーに、リオンはむっとしたようだった。彼は、訊ねてもいないのに、私に向かって言い訳するように付け加えた。
「でも、王女さまならけっこう近くで見ましたよ。去年。福祉事業の代表に就任したってんで、うちの近くの町で記念式典があって……」
特に興味もなかったが、そうか、と相づちだけ打ってやった。
エルゲンの王女がランキング外であることや、当年十七歳であること、その色彩が父王ゆずりの、万年雪にもたとえられる白銀であることは、私も知識としてだけ知っている。ゴールドクラスに関するネタは、どんなに些末でも取り沙汰されるものなのだ。
別のときならば私も、もう少し興味深く聞く気になれただろう。しかし今は、……なぜと、はっきり自覚できたわけではないのだが、それどころではない気分だった。
私の反応が薄いことに、リオンは少し不満そうな顔をした。だが、レネーの方は充分なほど彼の言葉に食いついていた。リオンがうながされるまま、自慢げに有名人の目撃談を語り出す。
常とまったく変わらぬ様子の二人をよそに、私は空になった椀を置いて立ち上がった。
「クリス?」
「腹ごなしに散歩してくる」
短く告げて背を向けようとした私に、レネーが驚いたように言った。
「って、もう外暗いよ」
エルゲンの日は落ちるのが早い。夕食にありついている間に外はすっかり暗くなっていた。
だが、レネーの台詞は的はずれだった。これでもナンバー13だ。
「何か心配するようなことがあるか?」
そんなつもりはなかったのに、我ながら低い声で口調も硬かった。レネーは大げさに、おじけづいたように体を退いた。
「ないけど……」
彼はリオンに顔を近づけて、小声で話しかけた。
「……何か機嫌悪い?」
「……だな」
リオンも声をひそめて頷く。
……聞こえている。
耳が良いのも良いことばかりではない。内緒話がはっきり聞こえてくるのには、昔から辟易していた。
もっともこの二人の場合、私のこの特性についていい加減に熟知している。小声で言い合っていても、聞かれていることは承知の上だろう。
「リオン、散歩ついてったら? 機嫌とっときなよ」
「言われなくても、最初っからそのつもり……」
そこまで聞いて、私は鋭く制止した。
「ついて来るな」
「あ、聞こえてた?」
リオンがわざとらしくそう言いながら、へらへらと笑った。




