櫛と耳飾り④
青面客車の臨時便が出るというので、それに乗って次の町まで行くことにした。
金もかかる上、遠回りをするので到着までの時間は徒歩とさほど変わらない。
体力はある方だし、歩けと言われてできないことはないだろう。だが、ひたすら億劫だった。
精も魂も尽き果てて、歩く気力が出ない。一日寝て過ごしたいくらいだ。
せっかく休めるのだから、無駄に消耗することもない。
そう伝えると、リオンはのんきに言った。
「珍しいですね、いつもはあんまり遠回りしたがらないのに」
「…………」
誰のせいだと思ってる。
そう言ってやりたかったが、ぐっと我慢した。どんな答えが返ってきても、あまりおもしろいことにはならない予感がしたのだ。
ターミナルで乗車券を購入したあと、まだ出発まで間があるというので町に出た。
「ねえ、クリス」
「ん?」
人のごった返す商店街で細々とした買い物をする間、何か考え込んでいる様子だったレネーが、不意に話しかけてきた。
「セトーネイ、ってどういう意味?」
「セト……なんだって?」
「セトーヌエー、かな。よくわかんないけど、そんな感じ」
言いながら、レネーも首をかしげていた。
「聞いたことはないと思うが……人名か、地名か何かか?」
「うーん。たぶん違うと思う。何か、男が二人、別れ際にお互いに言い合うような」
記憶をたどっても、覚えはない。
つられて首をかしげたところで、リオンが口をはさんできた。
「デア・セトロン・ネー・ムルか?」
「あー、そんな感じ。もっと早口で、巻き舌だけど。やっぱり何か意味があるんだ?」
リオンは思い出すように、宙を見つめながら応えた。
「マーケット諸島の原住民族言語だ。『災いの目は彼を見失った』」
マーケット諸島は、中央大交差帯の南方に広がる多島地帯の呼び名だ。
島ではそれぞれに民族や国家が成立しているが、原言語の共通から、そのルーツは同じと言われている。
「周辺の人間がよく使う慣用句だ。長い旅に出る相手や、長く会わない相手に対する別れの言葉……だったかな」
リオンは怪訝にレネーを見た。
「何でお前がそんな言葉知ってるんだ?」
「……ターミナルで、ちらっと耳に入ってさ。急に気になっちゃって」
「その地方出身の旅人がいたんだろう」
こう人が多いと、何もおかしなことではない。そう言うと、レネーは肯定か否定かあいまいな表情で頷いた。
私はあまり気にしなかった。彼の言葉に偽りがあるなどとは、少しも思わなかったのだ。たとえ気付いたとしても、その嘘に何の意味があるのかまではわからなかっただろう。
それよりも、ひっかかったのはリオンのことだった。
毎度のことで当然のように思いかけていたが、彼の知識は一般の常識を越えている。
二大陸のほとんどの国で共通語が使われ、民族独自の言語は忘れ去られつつある時代だ。国にもよるだろうが、一地方の言語など、一般的な教育プログラムで習うような内容ではない。
魔法書や大深度集合樹についてもしかりだ。
カナンでは、何だかんだで結局、納得いく説明は聞きそびれてしまった。
話す気のないことを、話してほしいとは言えなかった。
カナンで、予想される危険についてあらかじめ言ってくれなかったことを責めたとき、彼が眉をひそめたわけが、私にはわかっている。おそらく彼には、説明を求められるかもしれないという発想もなかったのだ。
言わないのには理由がある、こちらがそれを察するのは当然のことだ、と彼が思っているのは明らかだった。
他人にそれを訊ねる権利があるとも、考えていなかったに違いない。
あるいは今ならば、……互いが少しばかりは特別な相手になった今ならば、訊ねたら答えてくれるのかもしれない。そう思わないではない。だが私は、すぐにその案を内心で却下した。
秘事を語ることが、『特別』の証だとは言えないだろう。
むしろ相手がリオンの場合、それを判断の材料にしてはいけないと強く感じてしまう。彼は相手が誰であれ、語りたければ語るし、隠そうと思ったら隠し通す。
けれど、いざ彼が語り出したら、そうする気がなくともきっと私は自惚れてしまう。彼にとって私が特別だからだ、と。
そして、語ることを拒まれたら、逆の理由で、私はきっと少しだけ傷つくのだ。
……彼の気まぐれに、無駄に心を乱されるのは嫌だった。浮くのであれ、沈むのであれ。
心の平穏への願望が、知りたいと思う気持ちに勝っていることを再確認しているところで、不意にリオンが立ち止まった。
私は、二、三歩行き過ぎてから慌てて振り返った。
「どうした?」
見れば、通りに立ち止まって宝石商の展示窓をのぞきこんでいる。
気に入った品でもあったのだろうか。視線をたどって展示窓に目をやると、彼はおもむろに店の扉に向かった。
「ちょっと待っててください」
「リオン?もう時間がないぞ」
「ちょっとだけ。すぐ戻りますから」
笑顔で請け負って、そのまま店に入っていく。
私とレネーは、思わず顔を見合わせた。
ほどなくして店員の丁寧な見送りとともに店を出てきたリオンに、レネーが訊ねた。
「何買ったの?」
「これ」
そう言って、彼が差し出した手のひらの上には、小さな宝石が一粒ずつついているだけのシンプルな耳飾りがあった。
明るい、少し青みのある緑の石だ。ごくごく小さな球状に磨かれ、光がやわらかく透ける。
「クリスにはこれが一番いい」
「私?」
なぜ私の名が出てくるのかわからず、戸惑いに首をかしげたところで、リオンの手が伸びてきた。
「……ッ」
この数日、私は彼のこれに馴れるのに必死になっていた。つまり、不意打ちで触れてくる手を、反射だけではね除けないようにすることに。
拳を握って身をすくめる私にかまうことなく、リオンは耳に触れた。
ひやりと金属の感触を両の耳朶に感じた、と思うと同時に、リオンの手は離れていった。ほっと緊張を解きかけたところで、今度は両手で顔を包み込むようにされる。彼は私の髪を耳にかけると、息が触れるほど間近で笑った。
「うん。似合う似合う」
鏡がないのでわからないが、買ったばかりの耳飾りをつけられたらしい。
顔が赤くなっていくのを、私ははっきり自覚していた。
「え……と、リオン」
「ん?」
「その……これ、」
「これ?」
「私……に?」
レネーが呆れ顔になったことに、私は気付かなかった。
リオンは当然のように頷いた。
「クリスにあげます。お守りです」
「でも、」
「それくらいなら、邪魔にならないでしょ?」
「そうだけど……」
すっかりうろたえてしまっていた。
男から物を贈られたことが、全くないわけではない。
大概の人間にとって、ナンバー13は味方につける価値がある。私は女だから、味方につける手段の一つとして、誘惑しようとする男はときおり現れた。
だが、それらにこんなに動揺はしなかった。こんなに……うれしくなど、なかった。
「お前も、似合うと思うだろ?」
まともに反応できないでいるのを、耳飾りが気にくわないからだと誤解したのだろう。リオンは頬から手を離すと、レネーに振った。
レネーは、やけに真剣に私の顔を眺めてから頷いた。
「うん。似合ってる」
「レネー……別に無理に誉めなくてもいいんだぞ」
「無理してないよ。クリスってわりと派手な顔だし、飾りはそれくらいがちょうどいい」
「派手……」
あまり誉められている気がしない。
複雑な気持ちでいると、リオンがのぞきこんできた。
「気に入りませんか?」
彼はまたしても眉を寄せて、不安げな表情をしていた。私はうっと呻いた。
この顔だ。こんな顔で問われたら、答えは一つしか用意されていない。
絶対わざとやっている。そう思いながらも、私はその答えを口にするしかなかった。
「……気に入った。その……ありがとう、リオン」
といっても、別に嘘をつく必要はなかった。
ただ何というのか、少し情けないような気分だったのだ。
心を乱されたくない、そう再確認したばかりだった。その数分後にこのざまだ。
こちらの心中など知る由もなく、リオンは破顔した。
「お礼なんていいですよ。あ、でもどうせお礼してくれるなら今夜にでも……」
またバカなことを言おうとしたのだろう。内容は想像がつく。
だが予想して拳を握るより先に、レネーがぼそりと低く、だがはっきりとこう言った。
「なんだ、金持ってんじゃん」
やりとりを遮られて、私はリオンと二人して少年に向き直った。
「朔月の給料振り込みが遅れてて、金ないって言うから、支払い待ってやったのに」
リオンのことだろう。彼は意味がわからないとでもいう風に眉をひそめていた。
レネーはかまわず続ける。
「っていうか、考えてみりゃリオンもカナンで報酬もらってんだよね」
何で気付かなかったんだろ、とレネーはぼやくように呟いた。
話が全く見えない。
「レネー? 何の話……」
問い質そうとした私を遮って、レネーはリオンに向かって言った。
「昨日の薬代も払ってよ」
「薬?」
「手間賃払えなんて言わないから、実費だけでもさ。三万くらい持ってんでしょ」
首をかしげる私に答えず、なおも続ける。
昨日の薬。手間賃。リオンに医薬が必要とは思えない。彼は健康そのものだ。今朝までほとんど休みなしで、あれだけ元気だった彼を思えば、そう結論せざるを得ない。
導き出される推測に、知らず顔がこわばっていた。
「……何の話だ?」
声が低くなったのに気付いたのだろう。リオンが慌てて割り込んだ。
「何でもないですよ!こっちの話、」
「リオンに頼まれた薬。かるーい催淫剤。昨夜、クリスも楽しんだでしょ?」
「わっバカ!言うな!」
レネーの口をふさぎにかかるリオンだったが、明らかに遅すぎた。
昨夜から今朝までの記憶とともに、怒りと恥ずかしさがこみ上げてくる。かっと体が熱くなった。
私は背中の剣の柄に手をかけた。
「……お前たち、そこに直れ」
「ちょっ、剣はやばいって、クリス落ち着いて!」
「えっ?何でおれまで?」
本気で怯えて両手を降参の形にあげるリオンと、本気でわけがわからない風に目を見開くレネーを前に、叩き斬ってもおかしくないほど動揺していたが、かろうじて理性が働いた。
私は剣から手を離し、二人の頭めがけて拳を振り下ろした。
拳骨を喰らって涙目になったレネーは、よせばいいのによけいなことを言い出した。
「いっとくけど、今朝の二発は薬とは関係ないからね。一晩ももたない、弱い薬だったんだから」
「二……っ」
言い訳がましい一言の内容に、またしても絶句してしまった。
私たちが浴室に入る前から寝たふりをしていたと、言外に告げられたも同じだ。
「バカお前、起きてたんなら先に言えよ。知ってりゃ最初っから風呂場でやったのに、」
「そういう問題じゃない!」
ずれた抗議をするリオンの頭を再びはたく。
一部始終を間近で見られ、聞かれていた事実に、先ほどの比ではなく頭が熱くなった。恥ずかしさのあまり、目じりに涙がこみ上げてくる。
リオンが心配そうに手をのばしてきた。
「クリス?大丈夫……」
「大丈夫なわけがあるか」
顔にのびてきた手をはねのける。彼は驚いた顔をした。拒まれるなどと微塵も思っていなかったらしいその表情に、無性に腹が立った。
「もうお前は指一本触れるな!話しかけるな!近寄るな!」
思いつくままぽんぽんとわめく。
リオンが慌てて謝ってきたが、聞く耳など持てるはずもない。話しかけるなと言った通り、しばらく彼とは口をきく気になれなかった。
もう絶対に流されない、わがままにつきあってなどやらないと、そう心に決めた。
その決意が、一週間も保たないとは、まさか夢にも思わなかったが。




