神隠しの沼⑥
支所長の代理人と称する銀行員が、宿を訪ねてきたのは、翌日のことだった。
彼は最初の約束通りの報酬を、各国で現金として使える客旅手形で持ってきた。
少々驚いた。依頼の内容は派遣調査員の探索だ。おそらく調査員も施設の行員もあれに飲まれて消えたのだろうが、それはただの推測にすぎない。
依頼を達成したとはとうてい言えないと、私は思っていた。
だがそう告げると、代理人は慇懃に否定した。
「シェレツキ様からのご報告と、回収いただいた書類のおかげで状況がつかめたようです。お二方は報酬に見合う仕事をしてくださいました。報告をもとに、群生の焼却作戦の許可を申請中です」
「申請?」
「大深度集合樹の駆除には熱湯か火しか効果がありません。ですが、ご存じの通り、焼却により他の地域の群生にも影響が出る可能性がありますので、一旦エメダリー国対研究所に報告し、その名で諸国に警告をしなければならないのです」
エメダリー国際対話研究所。
カレンチア大陸の北方にある、大型国家間の調整と対話を目的とするシンクタンクだ。
どこの国家にも属さず、また一切の強制力を持たないが、各国の有識者によって構成され、その発言の世論への影響は大きい。
大陸広域銀行や賞金稼ぎ組合のように、大陸全土に広がる組織にとっては敵に回せない団体だろう。そして、その活動目的に関わるという理由で、大深度集合樹や魔法に関する研究機関を、下部組織として数多く持っている。
「報告書にあった侵入者は?何者かの工作だった可能性があるが」
「侵入者らしき人影の件は、わたくし共は見間違い、あるいは迷い込んだ近隣住民ではないかと考えております。大深度集合樹の異常発生に人間が関与できるとは考えられませんので」
「ああ……」
私は納得した。
例え人の手で株を植え付けても、十日そこらであの規模にはならない。そうリオンも言っていた。
おかしな言い方だが、あれは自然に、異常発生したものなのだ。
「ご無事で何よりでした。医療費につきましては、報酬とは別途、当銀行まで請求されるようになっております。どうぞごゆるりとお過ごしください」
深々と会釈して代理人は帰っていった。
彼が置いていった報酬を、数えもせずに無造作に荷物につっこむリオンに、私は話しかけた。
「あの、お前の殺虫剤、教えてやればよかったのに」
「へ?」
リオンはきょとんとした。
「湿地に火をつけるより、よほど簡単に駆除できるだろう」
樽の中身の液体を浴びると、油に水を落としたように、集合樹がざっと引いていった。あの光景を思い起こす。
だがリオンは笑って手を振った。
「ああ、あんなの。ただの殺虫剤ですよ。ぶっかけたら驚いて、飲んだもの吐き出してくれただけ。運が良かったんです」
「そうなのか?」
「そうですよ。どうして?」
疑問はいくつもあった。
少しだけためらいながら、私はそれを口にした。
「あの銀行員も、お前も、集合樹があんなふうに動き回ったことには、驚かなかった」
「それは、」
「偶然とは思えない。お前は、集合樹にあの殺虫剤とやらが効くと知っていたから、わざわざ作っていったんだ」
彼は何か、おそらく言い訳を、しようとしたのだろう。あの液体をただの殺虫剤だと言ったのと同じように。
だが聞く気にはなれなかった。
「全部、予想していたんだろう?」
リオンは小さく息をのんだ。
黙って見つめると、彼は困ったように銀色の頭をかいた。
「俺は……設備施設の中で、何か起こってるんだと思ってました。外でってのは予想外」
「大深度集合樹がああいう挙動をするってことは、知っていたんだな」
「それはまあ……はい」
彼はあいまいに頷いた。
「そういう例もあるってだけ。実際見たのは初めてです」
「それなら何のために、お前の父上は畑にあれをまいてたんだ」
リオンの赤い目が、つと泳ぐのがわかった。
「親父は……だから、増えすぎた分を追い払うのに……」
知らず、ため息が漏れた。
言い訳にしても意味不明だった。わけのわからないことを言って、ごまかすつもりなのだ。そう思った。
「別に責めているつもりはない、リオン。助けてくれたことには礼を言う。ただ、」
窓側のベッドに未だ目覚めずにいるレネーに目を向けながら続ける。
「ただ、予想していたなら、教えてくれてもよかったと思っただけだ」
よそよそしい物言いになるのを、自分では止められなかった。
信頼や、信義を、求めるつもりはない。そんな関係ではないからだ。
私だって、もしリオンにそれを求められたらきっとうとましく思うだろう。話していない物事を、隠し事をしたように言われて問いつめられたりしたら、面倒くさいと、離れたいと、きっと思う。
だから、こんなことを言う気はなかった。
言わずにいようと思っていたのに。
リオンの表情が少し硬くなった気がした。
不快……なのだろう。たぶん、そうだ。
久々に見た、と頭の片隅で考えた。いやそうな顔自体は珍しくない。ただ、それが私に直に向けられたのは、もうずっと以前のことだった。
二人きりはだめだ。なぜかそう思った。
リオンの態度は変わらない。最初からずっと。
そしてたぶん私も、変わっていないのだ。
早く目覚めてくれ。
私は眠るレネーにそう、祈った。
※※※
だが、二日経ってもレネーの意識は戻らなかった。
銀行員が帰ってから二日目の夜。
一階で夕食を終えて、私とリオンは部屋に戻った。
ツインベッドの一室は、本来はリオンとレネー用だったのだが、今はリオンにシングルの部屋に移ってもらっていた。
医者が異状ないと言い切った原因不明の昏睡に、私ができることなど何もない。だが、リオンに任せて離れているのは心苦しかった。
レネーが集合樹につかまったのは、間違いなく私のためなのだ。
「レネー……」
体温がなかなか戻らない。全身が冷え切っていて、呼吸や脈拍もかなり遅い。
血管に直接注射する医療用食餌液で体を保たせてはいるが、改善する兆しはなかった。これもいつまでも続けられるものではない。意識が戻らない限りは衰弱するばかりだ。
同じ目にあったはずの私が、何の障りもなく食事をとっているのに、この差は何なのだろう。
ベッドの脇にかけて、栗色の巻き毛を撫でる。
「……連れてくるべきじゃなかったな」
口にするつもりはなかったが、自然に言葉がこぼれていた。
「今さらですよ、そんなこと」
リオンが硬い口調でそう返す。
そう、確かに今さらだ。彼を故国から連れ出して三ヶ月半が経とうとしていた。
短いようだが、四六時中一緒にいて、ともに妙な経験を重ねてきたことを思うととても、たった数ヶ月、とは言えない。
レネーのおかげで助かったこともある。
なくてはならない旅の道連れに、少年はいつの間にかなっていた。
だが、もともとは私一人の旅だったのだ。
さして重大な目的ではない。他のだれでもいいはずの賞金首を、追うためだけの。
危険がともなうことはわかっていた。
レネーには帰る場所がある。迎えに行かなくてはならない少女がいるのだ。
彼女から離れさせるべきではなかった。
例の夢が、私に強くそう思わせた。
「クリス。こいつは望んでついて来たんです」
「そんなことはわかっている!」
冷静な口調に神経を逆撫でされ、私は思わず声を荒げてしまった。
「……わかっている」
「クリス……」
後悔に、声が震える。
リオンの手が肩にかかった。
「休んでください。吐き出したっていっても、あんたもあれに飲み込まれたんだ。体調、異常はないんですか?」
「私は平気だ。お前はもう部屋に戻れ」
彼の方を見ないまま、手を振り払う。
冷静なリオンの声を、聞いているのがつらかった。
飲み込んだ集合樹を吐き出して一晩もすると、あの夢の記憶は薄れてしまっていた。
ただ、心臓を掴まれるような、個人的孤独の感触だけがかすかに、残っている。
あれが本当にレネーの意識だったのだとしたら私は、彼のそばにいなければならなかった。単なる自己満足でしかない、少年にとっては無意味なことだろうが、それでも。
後悔や責任を、他人のために負ったことなど今までになかった。それは思っていたよりずっと重苦しいものだった。
「だから……連れてくのは反対だって、言ったんだ」
リオンがぼそりとつぶやいた。
ひどく驚いた。吐き捨てるような口調だったのだ。
「そんなこと、今さら……」
「だから、今さらだって言ってるんです。こいつには確かに、あんたのために働く義務があるけど……」
リオンは、今まで聞いたことのない調子でしゃべり出した。
「だからって、そうするかどうかはこいつの勝手だ。契約に反してあんたを見捨てるのも、従って死ぬのも自由なんだ。
こいつは自分で選んで、今、こうしてる。あんたが責を負うようなことじゃない。最初からわかってたじゃないか」
「……よくそんなことが言えるな」
泣きたいような気持ちになったのは、リオンの言うことが、よく理解できたからだった。
私にとっては、レネーの行動の方がずっと不可解なのだ。
その場での最善をはかるときに、自分の安全を考慮にいれないのは、愚かなことだ。賢しいレネーがなぜそれをしないのか、理解できない。
だがリオンの口からそれを、聞きたくなかった。
「お前にはどうでもいいことなんだろう。私もレネーも、暇つぶしに眺めて関わってみただけで……楽しかったか?一人旅じゃできないこともいろいろあったな」
とても嫌な言い方だと、自分でも思った。
けれどずっと、感じていたことだった。
リオンは優しい。
出会ってこのかた、彼はずっと、私に優しかった。何度も危機を救ってくれたし、私の身を本気で案じてくれているように見えた。
だから何度も、錯覚してしまった。彼が私やレネーを、少しでも、仲間のように思っていると。親近感というのだろうか、私が彼らに感じるようになった繋がり、絆、共有の感覚を、彼も持っているのだと。
錯覚だ。
期待するたびに、そう、思い知らされる。
他人の感動に疎い私が、出会った最初のころから、漠然と感じていた。
私自身にもある傾向だったからだ。
隣に誰かがいて、私を畏れも妬みもせず、好意的に接してくれる。
語りたくないことを語る必要もなく、相手に訊ねる必要も感じない。
心に何の負担も負わせず、ただ、孤独を紛らわせてくれた。ある意味では、メリットしかない存在だった。相手が彼らである必要はない。条件が同じならば……私を傷つけないなら、誰でも同じことだ。
……人形や玩具と同じ。
リオンにとっての私も、おそらく似たようなものなのだ。
いやもしかしたら、もっとずっと、軽い。
「……潮時だと思う」
「潮時……って?」
「もう、限界だ。お前とはいられない」
リオンはかすかに、目を見開いた。
「お前が悪いんじゃない。私の……問題だ」
レネーが私についてくるのは、契約上の関係のためだ。彼自身の意思も加えて、そこには明確な理由がある。明確な。
リオンとは違う。
リオンと私を結ぶものは、何もなかった。最初から。
彼がここにいるのは、ちょっとした縁と互いの気まぐれの結果だ。
利害のからまないこういう関係も、存在するのかと、少しだけ期待した。
もしかしたら、あり得るのかもしれない。けれど、私には無理だ。
「いつ寝首をかかれるか、わからない男と一緒にはいられない」
「そ……んな。そんなことしない。どうしてそんな」
声がわずかに震えている。
私は首を横に振った。
「お前にとって私は、必要なものではないだろう。行きずりに会って、気まぐれでついてきただけで」
信じるだの、信じないだの、そんな言葉を使いたくはなかった。
けれど、結局そういうことなのだ。
何か利害が生じたときに、彼が私を傷つけることがないと、とても信じ切れない。……私には、信じられない。私の問題だ。
今までは、そんなことを考えずに済んだ。そこまで考えが及ばなかった。
けれど、一たび疑心が生まれてしまった。
ふたたび消すことはできそうもない。
「ここで別れよう。お前の旅を再開してくれ。私はレネーの具合を見て出発するから……」
さよならだ。
そう告げようと、立ち上がり、彼に向き直る。
眼前にあるリオンの顔を見上げて……絶句した。




