↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デッドエンド~孤高の女賞金稼ぎは年下のシルバーランカーに甘く崩される~  作者: 雨璃
神隠しの沼

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/45

神隠しの沼⑤

 気付けば、少女と手をつないでいた。

 金髪に、ガラス玉に似た丸い緑の目をした、ウルカ。ただ、覚えにあるより幼い。

『ウルカのとうさんが、はなしてるのきいちゃったんだ』

 ウルカの手を離さないまま歩き続けた。

『おまえ、うられちゃうんだよ』

『うられたら、どうなるの?』

『ウルカのかあさんみたいになるんだ』

 ウルカの母親は娼婦だった。ずっと幼いころに、病気で死んでしまった。

 皮膚の色がかわっていく、おそろしい病気だった。

『やだ、おかあさんみたいにしんじゃうの、やだ』



 よるべない少女を前に、湧きあがったのはまぎれもない、憐れみだった。

 これほど他者を憐れに思うことができるとは、信じられないほどの。

 それに伴う、えもいわれぬ優越感もあった。

 そして打算も。彼女には自分しかいない。手をさしのべてやれば、感謝されるだろう。一生自分を愛するようになるだろう。

 自分以外のものに手をさしのべられる彼女は、容認できないとも思った。



『おれも、ウルカがあんなふうになるのはいやだ』

 いやだ、と言う声は決然として、強かった。

『逃げよう』

『逃げるって……どこへ?』

『どこでも。おっきな町に行こう。大丈夫。おれが守るから』

 少女はうなずいた。それから、笑った。

 花が開いたような笑顔だった。

 これが見たくて、歯の浮くような台詞も言えた。何もかも犠牲にできた。


 厳密には、だから全ては彼女のためでなく、自分の欲望のためだった。

 これを見る、自分の愉悦のため。


 憐れみ、優越感、打算、独占欲。

 それらすべてがない交ぜになり、結果、発露した感情は。


 ……愛情としか、呼びようのないものだった。





 涙が瞼を押し開くまま、覚醒した。


「クリス」

「……リオン」


 リオンが私を覗き込んでいた。

「ここは?」

「昨日の宿です。大丈夫ですか?」

「え?」

「泣くのなんて、初めて見たから」

 言われて私は、耳まで零れ落ちようとする涙に気づいた。

「どんな夢見てたんです」

「わからない。たぶん……レネーの夢だ」

「?」

「ウルカが出てきたんだ。私は、レネーになっていたようだった」

 口にしてみるとバカげた夢だ。だがリオンは笑わなかった。

「大深度集合樹の影響で、『意識』を共有したのかもしれないですね」

 まじめな答えが返ってくるとは思わなかった。

 彼らしくもない物言いに、私は首をかしげた。

「そんなことも、あるのかな」

「さあ。よくは知りません」

 リオンは静かにそう答えた。

 私はそれ以上訊かず、ぐいと手の甲で目元を拭った。動くのに支障はないようだ。そのまま身を起こす。

 リオンが手を貸そうとするのを、断ろうとしてふと気付いた。

「……リオンは」

 顔を上げると、彼もこちらを見る。

「どこもケガはないのか?」

「俺?」

 リオンはあきれたように聞き返した。

「俺は何もないですよ。あれに呑み込まれたのはあんたたちの方。人の心配してる場合じゃない」

 嘘ではないようだった。彼はやせ我慢をするタイプでもない。

「二日、寝てたんですよ。レネーの奴はまだ起きないけど。あんたが起きたってことは、そいつももうすぐでしょ」

 示された隣のベッドに、少年が眠っていた。

 血の気のない真っ白な顔色だが、呼吸はしているようだった。胸が規則的に上下する。

「医者は、二人とも異常ないって。……あの、クリス」

「何?」

「一応言っておきますけど!体洗って服着せたの、宿のメイドですから」

 言われて初めて、自分の格好を見下ろした。

 前で打ち合わせて腰帯を締める形の、木綿の寝間着を着せられていた。宿で貸し出しているものだ。泥やあの緑の網の痕跡は全くない。

 泥の中でさえ異質な、あのべたつく粘液の感触を思い出し、私は身震いした。

「何だったんだあれは……」

 喉の奥に、まとわりつくものが残っているような気がして、頸もとに手をやる。

 そこで、黙ってこちらを見ているリオンに気付いた。

「リオン?何だ、その顔は」

 リオンは不満そうに口をとがらせていた。

「なーんか最近……」

「最近? どうした?」

「最近、さわっても近づいても平気な顔してる」

 何を言い出すかと思えば、リオンは意味のわからないことをぼそりとつぶやいた。

「何の話だ」

「いや、別にいいんですけどね。おもしろくないっていうか何ていうか。前はもっとこう……」

 私は顔をしかめた。

「何でお前をおもしろがらせにゃならんのだ。私はお前のおもちゃじゃないぞ」

「そりゃ、そうですけど。……まあいいや。何か食べたり飲んだりします? 持ってきてもらいましょうか」

 リオンはあっさりと話題を切り替えた。

 食欲はなかったが、彼の言葉によれば、二日間何も口にしていない。無理にでも胃に入れておくべきだろう。

「そうだな、頼む」

「やらかいものがいいんですよね。注文して来ます」

 彼は食堂になっている一階に降りていった。




 リオンが退室してから数秒間、ベッドに座ったまま放心していた。

 それからふと口を漱ぎたくなって、立ち上がった。少し立ちくらみがした。

 洗面所へ向かって歩く。

 自分でももどかしいほど、歩みはのろのろとしていた。

 だが体に異常はなかった。どこも痛くないし、めまいも去った。普通に歩けるはずだ。

 できない理由はわかっている。


 夢の中の『私』の感情が、私をさいなんでいた。

 あれほど深い……深い、何と言うべきなのだろう。

 絶望、が一番近い。

 何一つ求めていない。何一つ、必要としていない。

 平坦で、安定していて、足りている……死者のように。

 それは、体が生から死へ切り替わる瞬間へ、向かうだけの日々だ。


 わきあがった憐憫が、夢の『私』にとって初めての、熱を伴う感情だった。

 少女の笑みを見て生まれたのは、欲求だ、空虚である自分を、強烈に自覚させる。

 居ながらにして隔絶された『私』と、世界との接点。唯一の。


 すがりつくしかなかった。

 彼女しかいないのは、『私』の方だった。



「クリス?」


 いつの間に戻ってきたのか、リオンが私をのぞきこんできた。

 やけに驚いた顔をしている。知らぬ間に、夢にとらわれて立ち止まり、涙が顎先からしたたり落ちていた。

 彼はなぜとは訊かなかった。

 かわりに、どういうつもりか、ふわりと肩を抱かれた。

 寝間着の薄地ごしに感じる彼の手は、現実的な質感と熱を帯びていた。何となく、されるまま受け入れてしまう。


 夢の『私』の抱える孤独は、私の許容を越えていた。

 私が人生の中で感じてきた疎外感など、比較にもならない。現に私は今まで、ずっと平気で生きていた。

 ……この絶望のただ中に置かれたら、私はきっと、立って歩くこともできなかっただろう。

 育った環境の問題ではない。夢の『私』はそのことにだけ自覚的だった。

 もし貧しくなく、保護者に愛され満たされていても、同じだった。生まれながらの体質のように、孤独が『私』を覆っている。


 リオンの触れ方はひどく優しかった。

 そのせいだろうか。身を預けることに、逆にわずかに羞じらいを覚えた。

 正確には、身を預けてはならない気が、した。

 警鐘が鳴ったのだ。脳裏で、ごくかすかな。

 彼のしぐさに不審な点はない。何かみだらな意図は一切感じられなかったし、そう勘ぐっているつもりもなかった。それはさすがに、自意識過剰というものだ。

 私は意識的に、警鐘を無視した。

 彼の、他者の手の温かさと優しさを、体が求めていた。渇いた喉が水を求めるように。


 リオンの手が、ぽんぽんと背中を叩く。

 子供のような扱いに、思わず笑ってしまった。

「え?笑うとこ?」

「いや、違、……っ、」

 最後まで言えなかった。

 不意に、強烈な吐き気に襲われたのだ。くっと上体を曲げ、リオンの胸に突っ伏す。

「え?えっ、クリス?何?」

 リオンは慌てた声を出すと、なぜか急いで肩から手を離した。

 答えられなかった。

「……グ、」

「クリス?」

「……吐く……、気持ち、悪……」

 胸に不快なつかえがたまり、喉もとまでせり上がる。

 身をかがめた私をリオンが支えてくれた。


 洗面所までもたなかった。

 ゴプ、と、抵抗なく、つかえていた何かが口内にあふれ出し、そのまま床に嘔吐してしまう。

 酸っぱい胃液とともに、出てきたのは緑色の、ドロドロに溶解した何かだった。

 味はなく、わずかに糸のような固形の感触が舌に残る。

「な、んだ、これ」

「飲み込んでた菌糸が出てきたんでしょう。よかった」

 よかった、とリオンはいうが、生理的な嫌悪はぬぐえない。

 だがリオンは、汚れるのもかまわず肩を支え、口元にタオルをあててくれた。

「リオン、汚れる」

「んなこといいから」

 背を撫でながら、彼はそういった。

「洗面所まで行けそうですか?」

「……うん」

 胃はすっきりとして、不快感もおさまっていた。動くのに問題はなさそうだ。

 うなずくと、リオンはよかったと手をさしのべてきた。


 頭のどこかが冷たく冴えて、リオンの動向を警戒する視点で見守っていた。

 異性に対する警戒などではない。何か明確な理由のために。

 私は考えないように努めた。深く考えることで、不快な事柄につきあたるであろうことが、予想できていた。

 ……不信の理由が、わかっていたのだ。

 自ら抱いた不信感の、その理不尽さもわかっていたから、私はことさらそれを無視して、のべられた彼の手をとった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。