天女と竜の里⑪
手枷をつけられ、首長共々柱に拘束され、ノエミの目は憎悪に燃えていた。
軽く小気味よさを感じながら、私は室内を見回した。
「あー、やっとわかった」
リオンが急に明るくそう言った。
何事かと振り向くと、彼はノエミの前に立って彼女を見下ろしていた。
「俺、どうもあんたを痛めつけたくて仕方なかったんだけどさ」
つ、と顎を持ち上げる。
「その顔が見たかったんだ」
「顔……とは」
ノエミがまっすぐにリオンを見つめた。
「負けたって思ってるだろ?」
「……」
「守る相手も守りきれなくて、無様に負けた、ってさ。ひと思いに殺された方がましだって。そう思ってんだろ。そんな顔してる」
「こんな顔が、見たかったのですか?おかしな男」
「俺は借りは返すたちなんだ」
「借り……」
額に脂汗をにじませながら、彼女は思案げに眉を寄せた。
リオンは笑いまじりに、低くささやいた。
「……覚えてろって、言ったろ?」
リオンの言葉に、ノエミの表情がふと和らいだ。
「ええ」
苦痛にさいなまれているだろうに、目元に笑みらしきものが浮かぶ。
「ええ、そうでしたね。覚えていますとも」
笑みは、どこかいとおしげに見えた。
憐れみに似ている。あの岩場で私を敗った彼女は、兜の下でこれと似た目をした。あのときは、笑ってはいなかったが。
「お前にとっては、これは勝ちか負けかという話なのですね。目的の問題ではなく、死や殺意を論じるのでもなく」
リオンは少し嫌そうな顔をした。
だが、反論らしきことはしなかった。図星だったのだろう。
おかしな空気だ。二人の間に何が起こったか知らないが、どうにも割り込めない雰囲気があった。
私はそのことに、軽い不快感を覚えている自分に気付いた。
リオンとの会話をうち切るように、ノエミはこちらを向いた。
「要求は何です」
「……私と連れ二人を、無事に元の場所に戻してもらう」
ノエミが驚いたように、軽く目を瞠った。
「それだけでよいのですか」
「ああ。十分だ」
私が頷くと、別の方向から同じ質問が上がった。
「それだけでいいんですか?」
リオンだ。納得いかない風に首をかしげている。
「それ以上何を要求しろというんだ」
「えーと、」
何も考えていなかったらしい。リオンは腕組みした。
「迷惑料とか?」
「金は別にいらん」
「あと、ええと、ほら、悪事の償い的なことさせたり、何かあるでしょう」
「捕まっている他の男たちを解放したり?」
「そうそれ」
リオンはぽんと手を打った。
「私たちのすることじゃない」
リオンはぽかんと口を空けた。
「私たちは、帰してもらう立場なんだぞ。ここのやり方に口をはさむ権利はない」
「それじゃ、さらわれ損じゃないですか。俺たち、好きでここに来たわけじゃないのに」
「不注意で連れて来られたんだと思え。だいたい、お前が勝手せずに最初から二人がかりでこの女に対していたら、こんなことにはならなかった」
……かもしれない、と私は内心で付け足した。
あの段階では私だって、こんなことになるとは思っていなかった。
リオンはごまかされてくれたようだった。ちぇー、と子供のように口をとがらせる。
要求がすぎると報復を招くことになりかねない。禍根を残したくなかった。
彼女たちが、これ以上の被害が出る前に私たちにお引き取り願おうと思ってくれるのが一番良い。二人返すだけで、二日前と同じ日常に戻れる、と。
リオンを夫に選んだという首長はのびている。ノエミならば、……私は彼女と話したこともないが、彼女ならばきっとそう考えるだろうと、なぜか確信していた。
「……それで、要求は決まりましたか」
切りがないと思ったのだろう、ノエミが口をはさんだ。
「ああ。それだけでいい」
ノエミは、一度だけ目を閉じた。
敗北をかみ締めるように。しかしなぜか、悔しそうではなかった。
「早速手配しましょう」
首長の謁見の間に詰めていた女官は、侵入するときに眠らせてそのままになっていた。
ノエミはその一人を伝令に走らせた。
少し間ができた。
「クリス、こっち」
「何だ?」
リオンに手招きされ、近寄る。
「顔、汚れてます」
彼は、キャビネットから適当に引っぱりだした手布で私の顔を拭った。
なぜか腕をいっぱいに伸ばして、その距離を保っている。それ以上近づいてこない。
妙な距離感だった。
もし上半身裸のリオンが、眼前に迫ってきたり、頭を固定しようとしたら、突き放してしまったかもしれない。付かず、離れず、汚れを拭っていく皮膚への軽い圧迫感だけがある。
そのために逆に、私はされるままになっていた。
最後に目元を丁寧に拭ってから、とれた、と彼は言った。私は瞼を開けた。
目が合う。
すると、彼はにこりと笑った。
「クリスが無事でよかった」
それはこちらの台詞である。誘拐されたのは彼らの方なのだ。
だが、そう言ってやる前にリオンは繰り返した。
「……ほんとに、よかった」
低い、吐息まじりのつぶやきだった。
安堵の響きに、何か別のものが混じっていた。何かはわからない。だがなぜか、顔が熱くなってくる。
「心配してたんですよ」
顔を見ていられなくて、私は目を伏せた。
「……そんなのは、私だって……」
「俺を心配してくれたんですか?」
リオンはなぜかうれしそうだった。
はしゃぐ子供のような調子で、彼は続けた。
「心配しなくていいです。ほら、先っちょしか入ってなかったから」
パコン、とリオンの頭がいい音を立てた。
「だれがそんなことを心配しとるか!」
「何やってんの、二人とも」
あきれたような声が耳に入った。
私とリオンは、はっと我に帰ってそちらを振り向いた。
「感動の再会を、もうちょっと何とか、いい感じに演出できないもんかね?」
女官に連れられたレネーが、扉から顔をのぞかせた。
「早くお行きなさい。女官たちが騒ぎ出す前に」
そう言ったノエミに、私は向き直った。
「別に頼まれてもいないが、一応伝えておく」
彼女らのやり方に口をはさむ気はないが、一宿一飯の恩もある。一言くらいはいいだろう。
「下の男たちの待遇を良くしてやれ。あんな食事ばかりでは、やる気も起きないだろう」
ノエミがはっと顔を上げた。
「男女で住み分けるのは結構だが、外からさらってくる労力を使うより、その場で調達した方がずっと楽なはずだ」
彼女は、何か不安げに顔を強ばらせていた。
「谷底の者に……会ったのですか」
「一人だけ。彼の助力でここに来た」
「……彼」
ノエミはつぶやきのように繰り返した。
マクシムの言葉を思い出す。無明使星。幼い約束。
……八歳。
彼は覚えていた。今でも想っている。彼女はどうだろうか。
彼とは条件が違う。彼にとってそれは、希望のない地底の日々の、かすかな過去の光だ。後生大事に抱え持つだけの価値がある。
特に、何か効果を期待したわけではない。
単純に、私自身が気になった。彼女にとっては、どれほどのものなのか。
だから私はこう言った。
「マクシムはお前を、覚えている」
ノエミの表情が、はっきりと変わった。
少し驚くほどの変化だった。リオンが隣で息を飲む。
凛々しい、はりつめた戦士の顔は瞬きの間に消え失せ、そこにいるのはよるべなく、途方にくれた一人の女だった。
困り果てたように眉を寄せ、目には迷いの色しかない。
求めるものがあるのに、それを認めることを迷っている。
武器も使命も剥ぎとられ、戦士としての己の薄れた一瞬に放たれた名だ。
狙ったわけではなかったが、結果としては考えうる最大の効果をあげたのではと、私には思えた。
もっとも、その後彼女やこの氏族がどうなったかは、私のあずかり知らぬ話だ。
女たちの峰は国境寄りにあったが、私たちは誘拐された地点に戻ることにした。
捨て置かれた荷物が気がかりだ。リオンとレネーは自分が持っていた荷物を取り返していたが、私は大事な得物を置き去りにしている。
盗まれていたりしなければいいが……
案の定、火トカゲは、負わせていた荷物ごと消えていた。
岩につないだ綱が、明らかに人の手で断たれている。通りすがりか近辺の者かは知らないが、盗まれたのだ。
だが剣は残っていた。柄の象嵌の銀細工が少々削り取られているが、何日も放置されていたにしては上出来だ。重すぎて運べなかったのだろう。
一旦、村に戻って装備を整え直してから、旅程を再開した。




