天女と竜の里⑩
婚礼と言うには、少々手順を飛ばしすぎのような気がする。
ノエミの手で豪華な天蓋付きベッドに仰向けに転がされ、リオンはぼんやりとそう思った。
首長が彼を夫と決めてから、数分しか経っていない。
謁見の間の奥にある首長ミュゲの私室に、いきなり放り込まれてからもしかり。
ノエミ以外の女官は退室し、部屋には三人きりだ。
自ら放り投げたリオンを追うように、ノエミはベッドに乗り上げてきた。
「これより婚礼の式を執り行います。わたくし、第四十二代首長ミュゲ様の女官長、ノエミが謹んで祝意を奉ります」
婚礼などという形をとるのは、一族のうち首長だけだからだろうか。全く儀式の体をなしていない。ノエミはそれだけ言ってリオンの襟に手をかけた。
苦し紛れに身をよじるリオンを無視して、拘束具の間から、器用に上体の衣服を取り去ってしまう。
わざわざ着せられた金糸銀糸の縫取りだらけの豪華な礼装が、無造作にベッドに放られるのを、リオンは視界の隅で確認した。
「なかなか良い体をしておるのじゃな」
ミュゲは、ベッドの脇に置いた椅子にもたれ、楽しげに二人の様子を眺めていた。
「善哉。続けよ」
閉じたままの扇の先を、うながすように二人に向ける。
短く御意を述べ、下半身に手を伸ばす途中で、ノエミはふと眉を寄せた。
「この傷は……」
ノエミは彼の右上腕に走った小さな縫い傷に触れた。
「何事じゃ、ノエミ」
「は、ただの古傷のようです。ご安心を、すでにふさがっております」
そう言いながらも、不可解そうに傷痕をなぞる。リオンは顔をしかめた。
「触んな、この、」
「黙っていなさい」
彼女はマウントをとり、リオンの鳩尾を膝でぐっと押さえつけた。リオンは屈辱に唇を噛んだ。
ノエミは表情ひとつ変えずに彼の体を眺めた。時折指で直に触れながら、冷たい眼差しが、上から下まで検分する。身を捩る余裕すらリオンには与えられなかった。
やがて、ノエミはすっと手を引いた。うやうやしい仕草で彼の上から退いたかと思うと、背後のミュゲに合図をする。
「もう良いのか?」
ミュゲは扇を置いて立ち上がった。
そのままベッドに乗り上げると、体をずらし、リオンの上に膝立ちになる。
「女児じゃ。よいな、女児を産ませておくれ」
どうしようもないことを、ミュゲは言った。
「先代である母上は、最初の子からわしを産むまでに四年かかった。母の夫は、四年の間にずいぶん弱っておったそうじゃ。そうなりたくはあるまい」
過去の人間なんかどうでもいい。お前らの都合なんか知るか。リオンはこみ上げる悔しさと屈辱に、ぎゅっと眉を寄せた。
ふと、思いついたようにミュゲは顔をあげた。
「お前の名を、聞いておらなんだの」
リオンは顔を背けた。教えてやる義理などない。
「首長に答えなさい。無礼な」
黙ったままのリオンに、ノエミが苛立ったように促したが、ミュゲは手を振ってそれを止めた。
「言いたくないのならばよい。わしには関係なきことゆえ」
夫として受け入れる男の名を、関係ないと言い切る。
リオンには、一瞬、ほんの一瞬なのだが、なぜかミュゲが哀れに思えた。
※※※
バン、とドアを蹴破って、私は部屋に飛び込んだ。
そして最初に目にしたのが、つまり……
「……!」
最初は状況を見て、行動するつもりだった。
ナンバー12とナンバー18を一人で相手はできない。リオンが拘束されているとなればなおさらだ。
かわいそうだが、リオンには一晩二晩我慢してもらって、私は塔に潜伏し、連れ出す機会をうかがおう。そう考えていたのだ。
謁見の間の奥にある首長の寝所から、漏れ出るかすかな音声が、私の頭からそんな計画を吹き飛ばしてしまった。
私は豪華な天蓋付きの寝台に突進し、リオンに乗り上げている女に攻撃を仕掛けたのだ。
「リオン、生きているか!?」
リオンの上にまたがっていた女は、紙一重のタイミングで私の一撃に気づき、長い赤毛を乱して床に転がった。
が、さすがというべきか、すぐに復帰して身構える。
波打つ赤毛の若い娘。マクシムの言っていたナンバー18の女首長だろう。髪と目の色が彼とぴったり同じだ。
「何やつじゃ?」
「……お前は!」
部屋の隅に控えていた女が、首長に駆け寄りながら鋭く声を上げた。
私を知っているのだ。兜がなくとも、私にもそれが誰かわかった。
女の目が、部屋の隅に置かれたバルディッシュに向く。
そちらに行かせまいと間合いをつめようとしたところで、リオンがうめき声を上げた。
「リオン?」
私は視界から女たちを外さぬように、そちらを振り返った。
拘束ベルトでぐるぐる巻きにされ、膝にズボンが引っかかっている他は、ほぼ裸のリオンが転がっている。
……生きている。怪我も見当たらない。無事だ。
思いがけないほどの安堵感が胸に満ちた。
私は鉄刀を振り上げた。
逆手で払った鉄刀は、狙いあやまたず、リオンの上体と足首の拘束具を切り落とした。
「あ、ありがとうございま……」
リオンは礼を最後まで言えなかった。
ブン、と勢いよく、バルディッシュが振り下ろされたのだ。軌道に私とリオンの双方を捉えて。
リオンの腕を掴んで引っぱり上げ、もつれあうように一撃から逃れる。
一瞬前までリオンの寝転んでいた場所に、斧刃が食い込みシーツの中身が派手に散った。
「あっぶねー……」
ほっとしている暇はない。第二撃を、私たちは二人して、床に転がって避けた。床石が砕ける。
三撃目の間になんとか立ち上がり、距離をとろうとする……と、リオンをかばう形になった。背中が彼の胸に突き当たる。裸の、堅い胸筋に。
「~っ!何をしてる、さっさと服を着ろ!」
私は、薙ぎ払いを後退してかわした。
「いや、着たいのは山々なんですけどっ!」
リオンは体を隠すように前かがみで身をよじりながら、手枷を示す。
バルディッシュの強烈な振り下ろしが襲う。
私はその一撃の前に、リオンを押しやった。
リオンは虚を突かれたのか、無駄な抵抗はしなかった。だが、ナンバー14の反射神経が、頭を打ち砕く軌道上から彼をわずかに後退させる。
手枷でまとめられた両腕だけが、軌道上に残された。
ノエミは意図に気づいたのか、振り下ろしを逸らそうとした。だが先端に錘のついた槍が渾身の力で落下方向に加速している以上、それは彼女にも止められなかった。
鈍く音をたてて、リオンの手枷は砕け散った。
切れはしなかったものの、衝撃でリオンの左手首の関節が外れる。
彼は、関節を直すより先にズボンを引き上げながら、涙目でこっちを見た。
「あんた、絶対俺のこと嫌いでしょ……」
「手枷を外してやったんだろうが!」
ち、と小さく舌打ちが聞こえる。ノエミだ。
「ともかく、これで二対二だ」
13番と14番。12番と18番。単純計算ならば、力関係はこちらの方が上回る。
一番得意の武器がないのは痛いが、どうせ室内で振り回すには向かない。
「リオン、いいか」
「はいはい、何でもやりますよ」
リオンはよほど根に持ったのか、投げやりな返事をかえした。
言いながら、ゴキ、と音を立てて関節をいれる。
私はかまわずに続けた。
「お前は全力で首長を、殺せ」
言葉と同時に、す、とリオンがこちらに顔を向けた。
表情に変化はない。彼が何を思ったのか、私にはわからなかった。
「首長はナンバー18だ、お前の方が強い。ナンバー12は私が止めている」
「……了解」
彼は短く言うと、正面に向き直った。
ノエミが警戒するように、じり、と首長に寄ろうとする。
私は服の裾に手をかけ、動きやすいように裂いた。
鉄刀を両手で構える。同時にリオンが床を蹴った。首長に突進する。首長は身構えながら、ノエミの方にちらりと不安げなまなざしを送った。
ノエミがそちらへ駆け寄ろうとする。が、私の方が近かった。間に割り込むようにノエミの懐に飛び込む。
彼女は立ち止まり、繰り出した鉄刀を柄でガチリと受け止めた。懐の死角から、バルディッシュの間合いに弾き出される。低い体勢のままの私を、重い一閃が襲った。
私は、ドン、と床を蹴った。
背後の箪笥に飛び乗る。間髪入れずに次の一撃が来た。ふわりと視界の邪魔をするスカートを捌いて、壁を支点に箪笥を蹴り倒す。
ノエミは倒れかかる家具を避けようともしなかった。一瞬のうちに箪笥は砕け散った。
私は蹴った勢いで、下から斬り上げるバルディッシュから逃れるように体を反転させた。石壁の継ぎ目を蹴り上がり、天井に、着地するかのように一瞬だけ足裏がつく。
ノエミは片腕一本でバルディッシュを振り上げてきた。私は、壁からタピスリーを引き剥がしざま彼女に投げつけた。
「!」
そのまま渾身の力で天井を蹴り、加速して逃れる。無事に、ノエミの背後に着地できた。
重厚なタピスリーが瞬時に引き裂かれ、ノエミがこちらを振り返る。
ほんのわずかの間のことだった。
リオンと逃げる女首長は、彼女の背後に移動しつつあった。進路を妨害され、助けの間に合わぬことを悟ったのだろう、ノエミは叫んだ。
「首長、応戦を!」
突進してくるリオンに、ミュゲは何を思ったのか、扇を体の前でばさりと開いた。ダン、と強い踏み込みとともに、開いた扇をまっすぐに彼に突き出す。
リオンは虚をつかれた。のけぞって射程から逃れる。
カシン、と音を立て、扇の骨から刃が飛び出した。
「げ、」
直感的に、避け幅に余裕をとっていた。喉元すれすれに突き出された刃に、リオンが顔をしかめる。
避けられたと見るや、ミュゲは手首を返し、開いたままの扇を縦に振り下ろそうとした。上半身裸の胴体を切り裂こうというのだ。
リオンは扇の面を横ざまからフックで叩いた。扇が弾かれる。予想以上の硬度に彼は眉を寄せた。骨も扇面も金属製のようだ。
悪態をつきながらも、彼はバランスの崩れた体勢をそのまま後ろにひいて、脚を蹴り上げた。ミュゲが大きく後ろに跳んで避ける。
リオンは片手をついて着地すると、そのままミュゲを追い、左手でストレートを繰り出す。ミュゲは自ら踏み込み、扇で彼の手首をとらえ、くい、と巻き込むように回した。彼の拳はあらぬ方向へ軌道をずらされた。
空いた彼の懐に、そのままとびこんで鳩尾を突こうとする。が、リオンは舞踊にも似た彼女の計算された動きに付き合わずに、体ごと横にずらして逆腕で彼女の首につかみかかった。
は、と目を瞠って彼女は飛び退いた。
リオンはそれを追った。
首長の消耗が激しいのが見てとれた。
無理もない、シルバークラスで四つも順位に差があれば、その実力は天地ほども変わってくる。受け流すタイプの体術で善戦してはいるが、長くはもたないだろう。
ノエミはそちらが気になるようで、苛立ちも露に連撃を浴びせてくる。
さすがに冷静さは失っていない。丁寧に組み立てられた攻撃は大振りにも粗くもならず、避けるので精一杯だ。小さな鉄刀で受けたら、根元から折れてしまう。
だが、事あればすぐにも私を突き離して首長のもとに飛び込むつもりでいるのだろう、深く踏み込んでは来ない。
強さゆえの余裕が仇となっているのだ……おかげで何とか、こんな鉄刀でも渡りあえている。
が、この余裕もそう長くは続かないだろう。長く続けるつもりもない。
首長の限界が近かった。
リオンの蹴り足を牽制しようと突き出した扇が、真上から振り下ろされた拳にたたき落とされる。型など全く無視の彼の動きに翻弄されるように、首長が武器を失った。
リオンは扇を踏みにじり、逃げ腰になった首長に、思いきり蹴りを繰り出した。
ノエミが、はっと息を吸い込む。押し合っていた私は、そのまま力任せに押し飛ばされた。
「……っ」
壁に叩きつけられ、一瞬息が止まる。
ノエミは脇目も振らずにリオンたちの方へ走った。
ここだ。
これを待っていた。
私はノエミを追わなかった。
振りかぶったバルディッシュの逆側に、ノエミの進行方向を向いて走った。鉄刀を構え、突進する。……首長の方へ。
私の刀とリオンの蹴りが首長を、ノエミのバルディッシュがリオンを軌道上に捉えている。一番早いのは、リオンの脚だ。攻撃点が交錯する。
ノエミは冷静だっただろう。四人の位置を正確に見極めていた。
だから、彼女はバルディッシュを捨てた。振りかぶる動作もなしに、手首だけで私に投げつけてくる。
そして自らは、首長の前に身を投げ出した。
片腕はバルディッシュを投げ、片腕で首長を突き飛ばす。咄嗟に身をよじって急所を避けるほかに、彼女に防御の術はなかった。
ごき、と鈍い音がした。
ノエミは声一つあげなかった。
だが、甲冑もない生身の脇腹に、リオンの蹴りをまともに食らったのだ。常人ならば、骨どころか内臓破裂で命がない。
彼女は膝と手を床について着地した。白目をむいて倒れないのが奇跡だ。が、すぐにゴホ、とせき込みながら崩れる。
投げられたバルディッシュを辛くも避けた私は、間髪入れずに彼女に組み付いた。
うつぶせに突き倒し、腕を背にひねり上げ、脚のベルトで縛り上げる。
「ノエミ!」
「おっと」
部下のもとに飛び出そうとした首長の前の肩をリオンが掴んだ。
「どこ行くんだよ」
振り返った首長が、どけ、とばかりに扇を振るう。
リオンはそれを払いのけ、そのまま首筋に一撃を叩き込んだ。
首長の膝が崩れ落ちた。
「リオン、首長を拘束しろ。その女は私が」
「あれ? 殺さなくていいんですか?」
本気で言っているのか、と私は思わず顔をしかめた。
「何を言ってるんだ。大事な人質だぞ。殺したりしたらここから出られなくなる」
「殺せって言ったじゃないですか」
「心構えの話だ。ナンバー12を無力化するには、首長を餌にするのが一番早い」
首長を殺して普通に二対一になったとしても、確実に勝てるとは言い切れなかった。主を殺されて怒り狂ったナンバー12など、相手にしたくもない。
リオンは納得したのかしないのか、首をかしげながら気絶した首長に手をかける。彼女自身の帯で縛ろうとしたところで、彼はふと、砕けた箪笥の残骸に目をやった。
木片と収納されていた小物の散乱する中に、光る金属片があった。リオンの手を拘束していた、変わった形の手枷だ。
「ナンバー12にも壊せない枷、だっけか」
リオンは楽しそうにそれを拾い上げた。




