天女と竜の里⑨
玉座には一人の女が、けだるげに肘かけにもたれていた。
鮮やかな扇を手に、胸元の開いた、白っぽいドレスを纏っている。
簡素に見えるが、薄くまといつくような生地に繊細なひだが施されており、胸の下の高い位置で締めた帯や肩ひもは金細工や宝石で飾られていた。
肌が、蝋のようになめらかで青白い。
暗く燃え立つような赤毛の、一部を結い上げ、残りはゆるく波打ちながら、あらわな白い肩を飾り立てる。
小さな顔に、まなじりの切れ上がった大きな目と小ぶりの鼻、紅を刷いた唇がバランスよく配置されている。
唇が少し薄めで酷薄な印象を与えたが、暗褐色の切れ長の目は、長い睫の下で誘うような妖気を持っていた。
美人だ。
好みかどうかは別として、リオンはそう判断した。
彼女は赤い唇を、物憂げに開いた。
「お前が下界から来たと申す男か」
鈴を転がすような、可憐な声音だった。
「おもてを上げよ」
彼が目をそらしたままでいると、ノエミがぐい、と彼の顎をつかんで前を向かせた。
ぱちり、と音を立てて、玉座の女が扇を閉じる。
そしておもむろに立ち上がると壇を降り、そのまま、リオンの前に立つ。
「あまり近くに寄られましては、危のうございます」
「かまわぬ。お前がひかえておるのに、何を恐れることがある」
女は、止めようとするノエミを手を振って制すると、ずい、とリオンに顔を近づけた。
ほのかに、鈴蘭の香りがした。
「わしの名はミュゲ。我が『峰』の一族、第四十二代の長である」
静かに、事実を語る口調で、彼女はそう宣言した。
リオンの返答を、その宣言は必要としていなかった。一氏族の長の名乗りだ。声音は愛らしく甘いが、その持つ響きは堂々たるものだった。
彼は眉を寄せた。以前にも、こんな声音をした人物がいたことを思い出したのだ。声質自体は威厳とは無縁なのに、その人物がしゃべりだすと、誰しも注目せずにはいられなかった。
どんな集団でも、長となるとこういうしゃべり方になるのだろうか?
ミュゲは、まじまじとリオンの顔を注視した。
「あの水鏡では、微細にはわからぬゆえ、こうして呼んでみたのじゃが……」
玉座の脇に置かれた水盤をちらりと見る。
「なるほど。近くで見ればいっそうかわいらしいこと」
閉じた扇を、彼女はリオンの頬に触れさせた。
ひやりと冷たい感触に、触れられた方の頬が攣る。
「のう、ノエミ?」
ミュゲは部下を振り返った。
「あの水鏡も、便利ではあるが大したものではないのう。竜一匹と引き換えにするほどとは思えぬわ。あの老爺の名、何と申した?ノエミ」
「……スルツミでございます、首長」
ノエミは、数秒ためらってから、答えた。
リオンの息が一瞬止まった。
その面が驚愕にゆがむ。
だがミュゲは何も気づかぬ風に、そうそう、と手を叩いた。
「左様、『するつ身』じゃ。妙な名であろう?わしの竜が欲しいなどと申しおって、くれてやったはよいが、対等な取引きとは言えぬ。次に参ったら、差額を請求しておやり」
「……御意」
「スルツミ、だと?」
ノエミの敬礼を遮ったリオンの声は、震えていた。
めったにないことだ。その声には明らかに、畏怖の響きがあった。
「何でそんな奴と関わりが、」
「ただの取引き相手です」
ノエミはきっぱりとそう言い切った。そして、それ以上のことは何も語ろうとしなかった。
ミュゲは、二人の会話の意味がわからないようだった。
小首をかしげるしぐさが、やけに幼く見える。
「その目の赤いのは、下界では珍しゅうはないのですか?」
彼女はそう訊ねながら、扇で彼の顎をくいと持ち上げた。
「我が峰にも、これまで見た下界の者どもにも、このような目をした者はおらぬ」
彼の髪も目も、目立つ色合いではあるが、北方ではさほど珍しいものではない。
ハンゼはトルプテン大陸では南方に位置する国だ。加えて、ここのように他から隔離されたような環境では、遠方の人間を目にすることはほとんどないのだろう。
……と、リオンは考えたが、口には出さなかった。
ふむ、とミュゲは、視線を上下させて彼を眺めながら頷いた。
「器量は十分。声も、わしの好むところじゃ」
「では、」
決定が下ったかと、ノエミが顔を上げる。ミュゲは、彼女を手で制した。
「お待ち」
彼女は、ひどく楽しそうにリオンに手を伸ばした。気に入りの玩具で遊ぶ機会を、逃すまいとしている子供のようだ。
ミュゲの繊細な手指が、彼の髪を一本つまんだ。
と思うと、いきなり引っこ抜いた。
「いって!」
不意打ちにリオンがわめくと、ミュゲは声を立てて笑った。
「はは。すまぬな。かような髪は初めて見たのじゃ、許せ」
反省のかけらもない調子で、彼女はそう言った。
謝罪された気はちっともしないリオンだったが、ミュゲがあまりに無邪気にうれしそうにしているので、腹立ちが持続しなかった。
ミュゲはリオンの、光を弾く髪の一筋を両手の指につまんでシャンデリアにかざした。
「光っておるのう。美しいこと」
彼女は上向いた姿勢のまま、うっとりとささやいた。
「真銀の糸のようじゃ。あれは、触れると指が落ちるが……お前の髪は柔らかいの」
「お決まりになりましたか」
「うん」
ミュゲは軽く頷いた。
「決めた。この子にする」
あっさりとそう宣言する。
そして笑った。
若い娘特有の驕慢な笑みだ。だが、なぜか腹が立たなかった。彼女の態度には、いち氏族の長としての論理があり、見るものにそれを納得させてしまうのだ。当然のこととして。
だが、次の言葉は、予想ができたにも関わらずリオンを驚かせた。
「わしの夫となってついて参れ。悪いようにはいたしませぬ」
リオンは、彼らしくもなく絶句してしまった。
「婚礼の式は何どきになさいますか」
「すぐにも」
即答に、ノエミが顔を上げた。
首長は断固たる口調で繰り返した。
「とく支度を。今宵のうちに終わらせよう」
※※※※※※
ガラ、と手をかけた岩が崩れた。
「……っか、」
勘弁しろ!
内心絶叫しつつ、数m滑落したところで何とか岩のへこみに片手を引っ掛けることができた。
片腕でぶら下がりながらため息をつく。
延々と登り続けて、やっと目的地が見えてきていた。
崖を登りきると、マクシムの言葉どおりの平坦な広場があった。
羽指竜がとまる、というだけあって、岩に囲まれた平地はかなり広い。
その奥に、これも教えられたとおり、奥まで続く洞窟がある。天井は低く、大柄な男ならば頭がつかえそうだ。
真っ暗な中、長い階段を登り、私はようやく、目的の塔にたどり着いた。
峠の外側では、羽指竜が厳重な警備を敷いているのに対して、内側は全くの無警戒と言えた。
石造りの塔に侵入するまでに誰とも出会わなかったのだ。
もっともマクシムによれば、この塔は女官の住む塔ではない。侵入者も逃亡者も、外の警邏竜に任せておけばいいという考えなのだろう。
下層の何階かまでは、人の気配一つしなかった。
上った階数が二桁に達するころ、ようやく、塔で最初の人間に出くわした。
コツコツという足音が耳に入り、まだかなり離れた段階で身を隠す。
回廊を、一人の女がこちらに向かって歩いてきていた。
ちらりと見ただけだが、警邏のものではないようだった。ひらひらと裾のはためくドレスをまとい、シーツらしき塊を両腕いっぱいに抱えている。
眼前を通りかかったその女官を、私は近場の一室に引きずりこんだ。
「きゃ、」
声を上げようとした女官の口に手を突っ込み、そのまま床に押し倒す。
みぞおちを膝で押しつけながら、刀を喉に押し当てた。
「質問に答えてもらう」
私は声を低めて女に言った。
「口を解放するが、妙なことは考えるな。大声をあげようとしたら殺す」
いいな、と確認すると、女官はおびえきった目で頷いた。
「栗毛の子供と、銀髪の男。昨日ここに連れて来られたはずだ。居場所を言え」
数分後、私は顔を伏せて扉を閉めた。
室内には、拘束した女官が半裸で気絶している。
目撃されてもごまかせるよう衣服を借りたのだ。鉄刀はベルトの鞘ごと脚の内側に留めてある。
厚手の衣で体を覆うハンゼの民族衣装とは全く違う。薄くさらさらと肌に触れる生地だった。
女らしい衣服は別に嫌いではないが、これほど薄手のものはあまり着たことがない。なんとなく落ち着かなかった。
数人の女官とすれ違ったが、夜闇の助けもあって気づかれずに済んだ。
あの女官が吐いた通り、かなり上層の一室にレネーがいた。
音を立てないように扉から忍び入ったとき、少年はベッドに座ってぼんやりとしていた。
室内は薄暗かったが、確認できるかぎり拘束されてはいない。
「レネー、無事だったか」
「クリス?」
レネーは怪訝な顔でそう質してきた。
扉近くの暗がりから、彼に近づく。私の姿を確認すると、レネーは破顔した。
「わー、クリス? 本当に?」
レネーはなぜか好奇のまなざしで、私の全身をじろじろと眺めている。
「……何を見てる」
「いやー、なんか新鮮だからさ。きれいだよクリス」
「誉めんでいい」
私はふいと顔をそらした。レネーが笑う。
彼は腰掛けているベッドの脇を叩いて、座るようにと示した。
「助けに来てくれたんだ?」
「そう言えるかどうか。来るだけは来たが、どうやってお前たちを逃がすかは、今考えてる」
正直にそう告げると、レネーは目を丸くした。
「外ではあの羽指竜が警邏をしているし……どっちにしろ、お前にあの崖を降りるのは無理だろうから」
「ふーん」
レネーは他人事のように首をかしげた。私は腕組みした。
羽指竜を奪えれば一番いいのだ。
ブロンズクラス以上の兵装女官なら操れるという話だ。
向こうの建物に渡って最初に出くわす警備の女に言うことを聞かせればいい。
男のリオンとレネーは塔を渡れないから、一旦こちらに竜をつけさせなければならないが……
「あ、それだけど」
考えを話していると、レネーが急に手を上げた。
「リオンなら今、向こうにいるよ。首長の旦那に選ばれそうなんだ」
私は耳を疑った。
レネーは手短に経緯を話してくれた。
私は頭を抱えたくなった。
「面倒なことに……」
レネーは肩をすくめた。
「どうするの?」
「とりあえず、向こうの様子を探ってみる。助け出せるかどうかは、状況によるが」
「状況?」
「首長の側近に、ナンバー12とナンバー16がいる。ナンバー18の首長と三人相手は荷が重いな」
「ふーん。何て女?」
「12がノエミ、16がエディットと聞いた」
「へえ。あの人ナンバー16なんだ」
「知っているのか?」
「エディットなら次の相手だよ。そろそろ来るんじゃないかな。ノエミってのはほら、あのバルディッシュの女。おれは相手してないけど」
「相手、というと……」
私は、マクシムの話を思い出して何とも言えない嫌な気分になった。
顔に出たのだろう。レネーが笑って手を振る。
「おれなら楽しんでるから、気にしなくていいよ。最終的には助けてくれないと困るけど。一週間もいたらカラカラになりそうだし」
何がだ。
と思ったが、口に出さない常識は私にもあった。気を遣われてしまったようだ。
私はためらいながら、レネーに訊いた。
「ナンバー16の足止めを頼めるか」
レネーは気楽に頷いた。
「余裕。あの人けっこう気持ち良いのに弱いから。他のことなんか何にも考えられなくしたげるよ」
自信たっぷりの様子に、なぜか胸をつかれた。
「すまない」
「いいんだってば」
少年は笑ってひらひらと手を振った。
「何か他に気づいたことはあるか?」
レネーは腕組みで首をかしげてから、得たりと笑った。
「そうそう、リオンさ。首長に選ばれたから、まだ童貞のまんまだよ。よかったね、クリス」
「そんな情報はいらん!」
部屋を出るべく立ち上がったところで、がちゃ、と扉が開いた。
ぎょっとする間もなく、人影が入室してくる。
すばやくあたりを見回すが、身を隠せそうなものはない。覚悟を決めて鉄刀に手をのばしかけると、ふいにレネーが腕をぐいと引っ張った。
「!」
視界が反転する。
気づくと、レネーにのしかかられる形でベッドに折り重なっていた。
反射的に押しのけようとすると、レネーは、シ、と唇に人差し指をあてた。ひどく楽しそうな笑いを浮かべながら。
扉からは、上になったレネーの体で、私の顔は隠されている。意図を悟って、私はおとなしくすることにした。
女の声が響いた。
「まだいたの? とっととおさがりなさい」
耳元でレネーが、エディット、と告げた。
レネーの腕の隙間から確認する。金髪の女だ。
形のよい頭に、長い髪をきっちりとひっつめて後頭部にまとめている。
「こんばんは、レネーくん」
女は甘い声で挨拶すると、後ろに手をやって髪を解いた。ばさり、と肩に豪奢な巻き髪が流れ落ちる。
レネーは軽く身を起こした。
「何だ、もっと遅くなると思ってたのに」
「ノエミ様にあの子を引き渡すだけよ。すぐに決定も下ったようだしね。それより」
ベッドに近づいてくる。
「お前。聞こえなかったの? そこをおどき」
「いじめないでよ。おれが引き止めたんだからさ」
「まあ」
エディットはあきれたような声をあげた。力ずくで引き起こされる前に、私はレネーの下から抜け出した。
乱れた髪を直すふりをして顔をそむける。
幸運にも、と言うべきか、彼女は私に見向きもせずにレネーの前に立った。
「仕事、疲れてるんじゃない? マッサージしたげようか」
「そんなことないわ。首長がご夫君をお決めになったんですもの。喜んでいてよ」
少年の頬をゆっくりと指でたどりながら、彼女はそう言った。
「これからさっそく、婚礼の式ね。あの子が父親なら、お生まれになる次期様もさぞ……ぅん!」
高い声が上がる。レネーが胸元に手を伸ばしたのだ。
少年の手には余る胸を、服ごしに指先が巧みに愛撫する。
……別に、観察していたわけではないのだ。
「今ごろ……っ、銀髪の、あなたのお友だち、首長の御寝所で……『結婚』っあっ……しているわね」
言葉の内容も内容だったが、レネーの手がどこに伸びるのかを悟って、私は慌てて目をそらした。
顔が熱くなる。
いい加減に踵を返そうとしたところで、エディットが顔を上げた。
「何を見ているの、さっさとお行き」
軽くこちらを睨みつけている。
薄暗い一角に立っていたおかげで、顔は見られずにすんだ。
レネーがエディットに気づかれないように、ひらひらと手を振っていた。




