天女と竜の里⑧
マクシムに連れられて外に出ると、日はだいぶ高くなっていた。
たっぷりと睡眠をとり、気力は充実している。
道中マクシムは、私に峰のことを知る限り語ってくれた。
最初に想像したよりも、彼はよく女官たちのことを知っていた。年の近いものならば、名とナンバーもわかるのだ。
それもそのはずで、女官の子供たちは、八歳までは同じように育てられていたという。
幼児のうちは、崖底に降ろしても生きられないからだ。
ブロンズクラスの女官が、彼の知る限り十二名。
そしてシルバークラスが三名。うち一人は首長その人だと彼は言った。
「首長のナンバーは18だ。妹といっても、次期首長として隔離されていて、俺は見たこともない。年は君と同じくらいかな。それからナンバー16が、金髪のエディット。黒鉄の第一種兵装を許されているのは、彼女ともう一人だけだ」
もう一人。
その名がそのまま続くものと思って、私は待っていたのだが、彼はなかなか口を開かなかった。
「マクシム?」
「……もう一人、」
うながすようにのぞきこむと、彼ははっとした顔で続けた。
「ナンバー12のノエミという女がいる。……できれば、殺さないでほしい」
私は彼の言葉にあきれてしまった。
「ナンバー12にかすり傷でもつけられたら御の字だ。心配する方向が間違っている」
そのノエミが、あのバルディッシュの女であることは間違いない。
マクシムの台詞は、的外れもいいところだった。
こちらは、あの女との遭遇を何としてでも避けたいのだ。
「そうか。ならいいんだ、忘れてくれ」
「忘れるのはかまわないが、いったいどういうわけだ。女官を憎んでいるんだろう?それなのに命乞いをするのか」
マクシムは答えをためらった。明らかに。
だが結局こう答えた。
「ノエミは、幼なじみなんだ」
静かな口調だった。
浮かぶ表情は、私にはなじみのないものだった。あきらめ、期待、何かそのように、募ってあふれ出す感情だ。
うとい私でも、彼のその言葉が、表情が何を意味するものなのか、わかった。
「……そういうことか。他の仲間に私を引き合わせようとしないわけは」
「まあ、そういうことだ」
他の労働者ならば、首長とそのノエミをこそ、殺してほしいと言うだろう。
搾取される側が、体制を覆そうと望むならば。
崖底をぐるりと回って、山の北西に連れてこられた。
日が当たらず、山の影になってひどく暗い。
「この真上に、竜がいつもとまっている台地がある。父は連れてこられたとき、そこから峰の内輪に続く地下道をのぼったそうだ」
マクシムは、まっすぐ上を指差しながらそう言った。
「それが、さらわれた男のいる塔につながる通路だ」
「なるほど。この岩山を登れ、と」
眼前にそびえる断崖絶壁に、頬がひくりと引き攣った。
「羽指竜は人間の男を襲うように調教されている。巡回飛行に見つかっても、君なら見逃されるはず。たぶん」
「たぶん?」
「警邏女官が騎乗していることがあるので」
「……」
「……」
行き当たりばったりを絵に描いたような作戦である。
だが、上の女たちが降りてくるかどうかもわからない現状では、他に手も思いつかない。
貧乏くじを引いたような気がするが、見捨てる選択肢がない以上、どうしようもなかった。
「マクシム」
腹を決めて岩にかけようとした手を止め、私はふと気になったことを訊いた。
「なぜ、あんな時間に外に出ていたんだ?深夜の当番ではなかったんだろう」
マクシムは、一旦きょとんとした。
それから、はっきりと照れ笑いを浮かべた。
「星を見ていたんだ」
「星?」
「この時季は長く見られるから、つい沈むまで眺めていたら、君が降りてきた」
意味が分からず首をかしげた私に、彼はふと、遠くを見る目をした。
「ノエミと約束したんだよ。無明使星がのぼったらお互いのこと思い出す、ってさ」
「……」
「幼いころのことだから、向こうは覚えてはいないだろうが。バカみたいだが、俺にとっては支えなんだよ」
彼は静かにそう告げた。
「別に、バカみたいだとは思わない」
私は、何と言っていいかわからず、とにかくそれだけは訂正した。
「……あなたは、」
口走りそうになった言葉を、私は意図して止めた。
私にどうしてほしいのか?
言葉にする前に、私はその答えに思い至ったのだ。
そして結論した。応じられない、と。
「だが何も約束はできない。私の目的は連れを取り返すことだ。目的を果たすのに、必要なことをするだけだ」
マクシムは小さく笑った。
「君は少しノエミに似ているよ。あれも、変なところで真面目な娘だった。今はどうなってるかわからないが、きっと君とは気が合うだろうな」
マクシムの言葉に、バルディッシュの女を思い出す。
「悪いが、それはごめんこうむる」
「だろうな。残念だ」
本気なのか冗談なのか、よくわからない調子で彼は言った。
鉄刀を、ガツ、と岩に刺しながら、体を引き上げる。
いくら丈夫と言っても、こんな使い方をしたら刃がこぼれて使いものにならなくなりそうだ。
もったいないと思わないではないが、何時間登り続けるはめになるかわからない状況だ。
素手で岩壁に取り付くよりは、消耗も少しは減るだろう。
壊れたってかまうか、とも思った。
……どうせ、この刀はもうリオンのものだ。
※※※※※
リオンの部屋を、エディットが再び訪れたのは、夜もとっぷりと暮れてからのことだった。
「心の準備はいい? 首長にお目通りがかなうなんて、運のいいこと」
リオンは不機嫌だった。
礼装女官と称する女たちによって、風呂に入れられ洗われた上に、手枷つきの手を、さらに肘を曲げた状態で胸にベルトでぐるぐると固定されてしまったのだ。
今までより、さらに自由がきかなくなった。
エディットは、礼装女官に合図して扉を開かせた。
扉の向こうに置かれたものを見て、リオンは鼻の頭にしわを寄せた。
車輪付きの檻だ。猛獣を運ぶのに使うような。
檻に入れられたまま、吊り橋を渡ることになった。
鉄格子ごしに見る限り、何の変哲もない石橋だ。
両端が二つの塔の中腹に突き出した橋台に固定されているのみで、他に支えるものは何もない。
床版はごく薄く、揺れを吸収する構造が内蔵される余地もない。
下部アーチにもなっていない。中央に向かって自重でわずかにたわんでいる以外は、ただまっすぐに伸びている。
だがぼうっと眺めているうちに彼は、橋の欄干の一部が、光る索状の金属でできていることに気づいた。
「……あ」
彼は目を瞠った。
彼の知識は、その金属の正体を正しく判別したのだ。
信じられないことではあった。加工の難しい金属なのだ。このように繊維状にしてより合わせ、綱にする技術など、今まで聞いたこともない。
そして、黒鉄よりもいかなる宝石よりも価値ある鉱物だ。これほど多量に使われる例も、彼には覚えがなかった。
「真銀索の吊り橋、なのか……」
リオンは思わず、感嘆の声を漏らした。
単純な構造だった。
数本の金属索を渡し、そこに薄い石板を張りめぐらせているだけだ。木と縄の吊り橋と、何も変わらない。
理想の、と形容される金属……あらゆる方向の応力に耐え、環境、経年による劣化もない……真銀が、この高度でのこの規模の、橋の存在を可能にしていた。
見かけはただの石橋だ。
だが世界中どこへ行っても、これほど高価な、美しい橋は他にないだろう。
……幸運だった。
リオンは、はからずもそう思っている自分に気づいた。
状況は全く良くなっていない。むしろ最悪に向かって橋を渡っているわけだが……こんなものを見ることができたのだ。
感慨にふけっているうちに、白亜の塔にたどりついた。
巨大な円筒状の階層建築には、塔という呼び名はつくづくふさわしくない。
あちらの塔と違って外部に開いた回廊はなく、開口部は無数の窓と、橋の入り口、その真下にある竜の離着陸デッキだけだ。
だが内側は、だだっ広いある種の開放空間だった。
竜の巣の階層より上が、吹き抜けになっているのだ。
壁側に回廊と無数の扉があり、吹き抜けの中心に太い一本の柱が立っている。柱は壁に接しておらず、塔を支えるためのものではないようだ。
彼らは回廊から柱に伸びた渡廊を渡った。
柱は中空の構造で、内部を昇降機が行き来していた。
塔の最上階に首長はいる、とエディットは言ったが、昇降機が止まったのはその手前の階だった。
吹き抜けではなく床と天井があり、放射状にかなり広く部屋が取られている。
エディットは一室の扉を叩いた。
円形に区切られた部屋は、鍛錬場のようだ。
あらゆる武器が壁に設置され、黒鉄の、男物らしい全身鎧がまばらに立ち並んでいる。
中心にノエミがたたずんでいた。
装いは女官のドレスだが、あの巨大なバルディッシュを手にしている。
エディットがひざまずく。
「候補者を連れて参りました」
「ご苦労でした。お前たちはもうよい、お下がりなさい」
ノエミは軽く頷くと、部下たちを下がらせる。
檻に入ったままのリオンと彼女の、二人だけが残された。
「首長のお支度が整うまで、しばらくここで待ちなさい」
そっけない言葉と同時に、彼女はふいと顔をそらした。
ゴウ、と風音をたててバルディッシュが閃いた。
だが振り下ろした斧は床に叩きつけられる前にぴたりと止まり、次の動作が始まる。
リオンは目を瞠った。先ほどから、驚いてばかりだ。
ノエミの斧はあまりに速かった。
ぐい、と柄を持ち上げたと思った瞬間に、予備動作もなく、彼女の前の鎧が破砕されていく。
彼が息をのむうちに、全身鎧の脚部が消失し、右腕が宙を舞い、兜が潰れて胴にめり込んだ。
一呼吸の間に三度、対象を斬りつけているのだ。
あれと、彼女は互角に闘っていたのか。
リオンは唇を噛んだ。
それは彼にはあまりなじみのない感情だった。悔しい。
自分が弱いなどと、感じるのは初めてだ。ノエミの刃を、目でとらえることすらできない。
だがなぜか、目で追えないにも関わらず、避けられないとは思わなかった。
実際に対峙してみてわかることもある。リオンの経験ではそうだった。
目で見ることと体感することは違うのだ。
「何を見ているのですか」
ノエミの静かな声に、リオンは我に帰った。
「別に何も」
そう、彼は答えた。ノエミが興味もなさそうに顔をそらす。
彼女がバルディッシュを構えなおしたところで、リオンはふと思いついたことを口にした。
「訊いてもいいか」
「?」
ノエミが首を傾ける。
「何でそういうでっかい得物を使おうと思ったんだ?」
「それは、利点があるか否かという話ですか?」
リオンは頷いた。
「重いし……まあ、あんたには重さなんかどうってことないんだろうが、それでも他の軽い得物を扱うよりスピードは落ちるし、自由もきかないだろ?」
「そうですね」
ノエミはしばし思案の表情になった。
「こうして……」
ブン、と彼女はバルディッシュを水平に薙いだ。
音もなく、前方に置かれた甲冑が両断される。全身鎧の胸部から上が、支柱ごとガシャンとその場に落ちた。
「この武器は、当たればその者を殺せます。技術も何も必要ない、振り回す腕さえあれば。何より」
そのまま、軽く石床に柄頭を立ててリオンに向き直る。
「殺意が、必要ないのです」
「殺意……」
「お前がその拳で人を殺そうとすれば、殺意が必要でしょう。拳で叩いて殺せる急所を、殺意をもって打たなくてはなりません。やみくもに殴打しても、アザができるか骨が砕けるだけのこと」
彼女はリオンの檻に近づいてきた。
「このバルディッシュならば、あるいは、お前のいう巨大で重い得物を用いたならば」
槍を脇についたまま彼を見下ろす。
「自由が利かぬ分だけ、殺すのはこの武器であって、この手ではない……という名分ができるわけです」
「人殺ししたくないって言いたいのか?」
「有体に言えばそうですね」
ノエミはあっさりと認めた。
「刃向かうものは、のちの禍根となりますから、殺さぬわけにはいきません。それが私の務めです。しかし、殺戮は、好むところではない」
「禍根、ね」
リオンはふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあ、何であの人にとどめを差さなかったんだ」
「女の家族や恋人を殺してしまうと、連れて来た男は頑なになります。それでは困るのです」
ノエミはそう言ってから、何かに気づいたように笑った。
「お前が言うのは、あの娘のことですね。お前たちを連れていた……あの娘だけは、そう簡単には行きませんでしたね。ナンバー13なのでしょう?あれほどの相手は初めてです」
彼女のことを、思い出しているのかもしれない。
柄を掴む手に、力がこもったのがわかる。
「男の目の前で、女子供は殺さぬように気をつけてきましたが、あの娘にはどう対処するべきか迷いました」
そうするうちに竜から落ちたので、あえて追撃しないことを選んだのだ。そう彼女は語った。
「……そういうこと堂々と言うやつって、初めてだ」
リオンは、短い沈黙ののちにこう言った。
「そういうこと、とは?」
「そういう、殺すの嫌だとか。恥ずかしくないか?」
ノエミが軽く首をかしげる。
「愧じるところはありませんよ。好まぬだけで、務めは果たしているつもりです」
「変な女だ、あんた」
リオンのぶしつけな言葉に、彼女は目を瞠った。
「失敬な」
そう言いながらも、ふふ、とおさえきれぬように、小さく女の笑い声がもれる。
「お前のような子にはわからぬのでしょう。下界とこの塔では法が違います。私にとって人殺しは、さほど日常的な物事ではないのです。それに」
それに。
彼女は続けた。
「お前の、あの娘も同じなのではありませんか」
リオンは顔をしかめた。
「私にはそう見てとれました」
ノエミは、思い出すようにふと遠い目をした。
「闘いのさなか、明らかに身のこなしが変容しました。あのように、戦闘時と通常時の状態を切り替えるのは、戦闘を恐れている証拠でしょう」
「恐れて?」
「つまり、殺意を以って武器をふるうことを……己が内に宿る殺意を」
彼女は言葉を、慎重に選んで付け足した。
「殺意を振るう……楽しむ、己を、日常の自分から遠ざけておきたいのです」
リオンはまばたきをした。
「あの人が、そんなことを恐れてるって?」
そんなバカな、と彼は思っていた。
彼の目から見たクリスは、あまり敵対者に対する殺傷行為を躊躇するタイプではない。
旅の道中、ごろつきにからまれることは幾度となくあった。そんなときの彼女は、確かに無駄な殺生はしないものの、殺した人数は格段に、彼より多かったのだ。
「私にはそのように見えました。しかし所詮、他者の胸の内のことです。正否は本人にしか……いえ」
言いながら、頭を小さく横に振る。
「本人にも、分かりはしないでしょう」
理解しかねて首をかしげるリオンに、彼女はそれ以上語らなかった。
「戯れ言です」
ノエミは静かにそう締めくくった。
まもなく一人の女官が、首長の支度が整ったことを告げに来た。
首長の謁見の間は最上階にあった。
柱が立ち並ぶ、広大な石造りの広間は、十分な灯りがあるにも関わらずひどく寒々しい。
中心に、扉から奥へと向かう緋毛氈が長く敷かれていた。
最奥部にいたって、リオンはようやく檻から出された。
バルディッシュを手にしたままのノエミに、拝跪の姿勢を強要される。
壇上に首長の玉座があった。




