天女と竜の里⑦
何だか殺伐とした光景だ。
岩陰から垣間見える集落を見て、私は失礼にもそんなことを考えた。
目にうつる限り、男の姿しかない。
そしてどの顔もみな一様に薄汚れ、労働に倦み疲れていた。
子供と老人の姿は極端に少なかった。
二十台前半の若者か、四、五十台の壮年。この二つの世代が半々で、老人と子供が数人ずつ、というのがこの集落の構成だった。
子供といっても、幼児は皆無だ。一番幼いものが、レネーと同じくらいだろうか。
「マクシム、ここは一体……」
疑念にかられ、私は前を歩く男の名を呼んだ。
彼は燃えるように発色する赤毛を揺らして振り返った。
「話は後だ。とりあえず落ち着ける場所へ」
※※
話は数時間前に遡る。
二人を誘拐した女たちは、高い岩山に帰って行った。
竜の飛翔速度ならばすぐにも到達しそうに見えた岩山だったが、足を使ってとなると話が別だ。岩場は平坦とは程遠い。
ふもとに到ったのは、日付もかわって久しい時刻のことだった。
岩山は高くそびえ立っているが、周回はさほど広くなかった。が、少々難儀な地形だった。
そのふもとは、周囲がそこだけ穿たれたように、険しい崖になっていたのだ。
直線にすれば目と鼻の先に、目指す山がそびえているのに、底が見えないほどの深い溝に阻まれてそれ以上進めない。
橋らしきものも見られない。だが、時折崖下まで羽指竜が旋回して降りてきていた。
あの女たちは羽指竜を飼っているのだ。確かに橋は必要ない。
思案は長くはかからなかった。
私は意を決めて、取り付きやすそうな崖を降り始めた。
階段状とまではいかないが、岩壁は起伏が多く、降るのにさほど苦労はない。
ひやりとしたのは、羽指竜の旋回ルートに引っかかったときだ。
できる限り岩陰に身をひそめるものの、完全には隠せない。
暗闇にまぎれて気づかれないことを祈りながら息を殺していた。背中すれすれを暴風とともに通り抜けたときには、本気で覚悟を決めかけた。
実際、目が合った気すらしたのだ。
いや、気のせいではない。確かにこのとき、竜の丸い目の、縦に裂けたような虹彩は、私の姿をとらえていた。
だが、どんな幸運が働いたものか、羽指竜はそのまま通り過ぎて行った。
私は、竜の後姿を見送りながら首をかしげた。
見逃された……のだ。
しかし、なぜ?警備の目的ではないとでもいうのだろうか。
疑問を抱えつつも、私は急いで崖を降りきった。
下弦までまだ二日ほど足りない月が、東の空に浮いている。背後を見ると、無明使星が西に沈もうとしていた。
もう日の出が近い刻限だ。
崖底に飛び降りたとたん、ヒュ、とかすかな他人の息遣いが耳に入った。
「あんた、今」
男の声だ。私は大声を出される前に、そちらに飛び掛かった。
反応できずにいる男の左肘に左手をかけ、右手を手の甲に添えてそのまま反転し、体を入れ替える。
関節を極めて背中側に締め上げた上で、空けた左手で鉄刀を抜いた。
「動くな」
低くささやきながら、鉄刀を喉元に当てる。
「待ってくれ!あんたは今、そこから降りて来たのか?」
「?」
とがめだてではなかった。
意外な、そして意図のつかめない奇妙な質問に、私は刃をわずかに首から離した。
「警邏竜に見つからずに、『外』から降りてきたんだな?」
「外?」
「崖の上、ここの外側だ。『峰』ではなくて……そうなんだろう?」
「……」
私は黙った。
男の言う『峰』が、女たちの帰って行った山であることはわかる。私はこのまま崖底を歩いて渡り、内側の山の登山口を見つけるつもりでいた。
なぜか、彼女らが崖底に住んでいるという発想はなかった。天女の話を聞いていたせいだ。
だが、山の周囲にいる以上、この男もあの女たちの一味であると考えるのが妥当だ。油断させて捕らえる心算かもしれない。
「昨日の午後、ここに二人連れてこられたはずだ。どこにいる」
男を無視して、私は問い質した。
彼は抵抗せずに体を弛緩させながら答える。
「ああ、つまり……そうか!あんたは、さらわれた男を取り戻しに来たんだな?」
私は刃を傾けて男の喉に押し当てた。男は慌てたように言った。
「さらったのは峰の女官たちだ。俺たちは違う。俺たちはその『兄弟』だよ」
「きょうだい?」
「そう。外の言葉だと、ええと、奴隷、か?」
意味不明である。
私が黙っていると、男はまくしたてるように、『峰』に住む一族の話をした。
女首長を戴く、数百名からなる氏族。
首長の適齢期に合わせて外界から男をさらう。
その中から首長の夫を一人選び、残りを首長に仕える女官たちが共有する。
私は思わず顔をしかめた。
つまり、二人がさらわれた理由は……
「この崖底にいるのは、俺たち、つまり労働者だけだ」
男が続ける。
「奴らに家畜同然に扱われている。誰も密告なんかしてやらないさ。あんたの敵じゃあない」
「……」
「なあ、そろそろ腕を放してほしいんだが」
私は少しの間迷った。
この男自身は信用してもよい。だが、労働者全てが『峰』の者に逆らうとは限らない。
ランク外が何人かかってこようがかまわないが、万に一つでも、あのバルディッシュが出てくる可能性はつぶしておくべきだ。
せめてリオンと合流し、有利な条件に持ち込むまでは。
「信用してくれ。峰の女官のことも、侵入の方法も、知っている限り教えよう。俺たちは全員、女官たちを憎んでいるんだ」
「……いいだろう」
右手を離してやる。
解放され、男は肩をぐるぐると回した。
私は鉄刀を、ベルトに据え付けたつくりの鞘に納めた。
右向き、背中側に差した鉄刀の重みを、私はふとなつかしく思った。
鞘は柔らかな革製なので、刀を抜いた後はつぶれて、邪魔にならないようになっている。そのため、リオンにやってからは、存在自体忘れかけていた。
それでも、長年なじんだ感覚は消えないものだ。
今しがた、ごく自然に手が鉄刀に伸びたことを思い出し、口の端が無意識に上がった。
月明かりから判別するに、男はまだ若かった。二十台前半といったところか、私とさほど変わらない。
癖のある暗い色合いの赤毛を少し長めに垂らしている。
目が合った。
褐色の目がじろじろと、無遠慮に私を眺めていた。それこそ、つま先から頭の先までじっくりと。
その視線が、ある高さで釘付けられるように止まった。
私は反射的に胸を手で覆った。
バルディッシュの女にやられた胴着の破れ目から、白いシャツがのぞいている。
つまり胴着の下にもちゃんと着込んでいるので、別段隠す必要はない。
しかし締め付ける胴着の袷紐が切れているせいで、胸の部分だけ内から押し広げるように開いていて、まあ人目にさらすような格好とは言えなかった。
「悪かった、その、女官たち以外の……『外』の女を、初めて見たもので」
彼は慌てて目をそらしながら謝罪した。
「俺はマクシム。君は?」
あんた、から、君、に替わっている。
態度の変わりように、不信感がわいた。
私が短く名前だけを告げると、マクシムがずい、と身を乗り出した。
「クリス。言った通りだ、君に協力しよう。俺たちの集落に来てくれ」
そんな経緯で、彼の集落に案内された。
みんな味方、と言いつつも、彼は他人の目に触れないよう、私に岩陰を歩かせた。
奇異とは思わなかった。前述の通り、そうそう全員は信頼できまい。
話は後、とはぐらかされたものの、私はどうしても気になって問いを重ねた。
「女の姿が見えないが、隠れてでもいるのか?」
マクシムはおかしそうに笑った。
「おもしろいことを言うな。さっき言っただろう、俺たちは女官の『兄弟』だ。ここには男しかいないよ。女は峰で女官になるんだ」
ようやく合点がいき、私は一人頷いた。
女官たちと、さらってきた男の間の子供のうち、女児はそのまま上で女官に、男児はこの崖底で労働をさせられる。
つまり、そういうことなのだろう。
「ここでは男はあまり長生きできない。さらわれてきた男もな。数百人からいる女官どもを、数人で相手にするんだ。皆、何年も保たずに死んでしまうらしい」
話の内容に、私は思わず顔をしかめた。
マクシムが不意に立ち止まった。
「何だ?」
「俺の班の部屋だ。他の連中は午後まで帰って来ない。ここで休むといい。何か食べるものも持ってこよう」
石を積んで作られた、粗末な小屋だ。
中は案の定ワンルームで、隅に寝床らしき布が数枚畳まれ、粗末な木卓と椅子が置かれているだけだった。
マクシムが持ってきたのは、木椀に満たされた食餌液だった。
無味無臭だが舌触りは最悪、栄養価の摂取だけが目的の非常食糧だ。
旅の途中、それしか食べるものがない状況になったことがある。
リオンは一人、『まずいから』とわがままを言って食べず、飢え死にしかけたのだった。
リオンのように命までは懸けられないが、私だって好き好んで口にしたいものではない。
だが、それを目にしたとたん、私は強烈に空腹を意識した。
木椀からドロドロの流動体をすすり、水を一杯口にして、ようやく落ち着く。
一日歩きどおしでも、疲労はそれほど苦痛ではない。
ただ、空腹や渇きは、自覚してしまうとそちらに気をとられてしまう。敵地に乗り込む前に、一心地つけるのはありがたかった。
私を椅子に座らせ、マクシムは床にあぐらをかいた。
灯りのもとで改めて眺めると、マクシムは体格もよく、凛々しく整った容貌をしていた。
色白だが、脆弱な印象はない。切れ長の目に、涼やかな色気がある。
外で見た男たちと同様、薄汚れ疲れ果ててはいる。だが、何もかもに倦んだような絶望の色は見られなかった。褐色の目は健やかに晴れていた。
過酷な労働にも消えない何かが、彼にはあるのかもしれない。
彼は峰の女官たちと、自分たちのことについて語った。
どのような労働を強いられているのか訊ねると、彼はこう答えた。
「黒鉄の採掘と精製だ。ここは黒鉄鉱山なんだ」
黒鉄とは、鉱石から精製する段階で、鋼以上の強度を持たせることができる鉱物だ。
合金加工も焼き入れも不要という扱い易さのため、武具や、特に防具には最高の素材とされている。
私の大剣も黒鉄製だが、一般には鎧一式どころか、剣一本でさえ一財産に相当する。
ただ極めて希少で、産出鉱山は二つの大陸でも数えるほどしかない。
「黒鉄が?それでか」
女たちの装備は高価なものだった。黒鉄一色の甲冑に、特注品であろう槍や剣。
あの巨大な羽指竜を飼うにも、かなりの財源が必要だと想像できる。
黒鉄が出るならば、それも納得だ。規模の小さな鉱脈だとしても、数百人で独占するには十分すぎる。
そう言うと、マクシムは憤慨した。
「そんなに儲かるものなのか。俺たちには食事もろくに出さないケチのくせに」
パイプから供給される最低限の水と食餌液が、彼らの食糧の全てだとマクシムは言った。
確かに栄養価は理想的で、それだけ口にしていれば活動には困らない。
が、生まれてこの方あんな気色の悪いドロドロばかり食べていて、しかも過酷な労働を強いられているとなれば、倦み疲れた表情も頷けるというものだ。
「なぜ、崖を登って逃げない?」
「警邏竜が飛び回っているだろう。ある高さより高くまで登ると、突き落とされるようになっているんだ」
マクシムは答えた。
「だから君が降りてきて、驚いたんだよ」
感嘆の眼差しを向けられ、居心地の悪い思いをした。
だが、マクシムの次の台詞に、私は驚いて顔を上げた。
「親父の言ったとおりだった」
「親父?」
「……ああ」
マクシムは、静かに頷いた。
「親父は言ってたよ、あの竜は女は襲わないんじゃないかと」
「父親というのは、さらわれてきた外の男だろう。塔に閉じ込められて、何年も保たずに死んでしまうんじゃなかったか。話す機会が?」
そう訊ねると、彼は少しためらってから、こう言った。
「それは、女官の相手をする男の話だ」
意味がわからず、首をかしげる。
「首長の夫に選ばれた男は、首長に女の子を産ませれば、それで役割は終わりだ。女官に手をつけることは許されず、……崖底に、降ろされる」
私は、またしても顔をしかめてしまった。
「それが、あなたの父親だと?」
「そう。何年も前に死んだがね」
彼は、さして悲しそうにでもなく、肩をすくめてそう言った。
「外では、もともと労働者じゃなかったらしい。体もあまり強くなかった」
「ちょっと待て。つまり、あなたは」
「つまり、今の首長は俺の妹だ」
マクシムは、自嘲するように口の端をゆがめると、目を上げた。
「だからと言って、ここでは何の意味もない。……剣を、引いてくれないか」
反射的に右手が背にのび、鉄刀を抜き放っていた。
私は少し迷ったが、マクシムの困ったような顔に、結局その要求を受け入れた。
ありがとう、とかすかなつぶやきが耳に入る。
「夜が明ける」
マクシムが、ふと気づいたように言った。
空が白みはじめている。
彼はランプを消したが、顔の判別のできる程度には、室内は明るくなっていた。
「班の連中が戻るまで時間がある。ここで仮眠をとるといい。起きたらすぐに、峰に入る道を教えるから」
「……今すぐ、教えてもらうわけにはいかないのか」
「君は見たところ上位ナンバーみたいだが、だからって疲れないわけじゃあないんだろう?休んでおいた方がいい。峰に入るのも楽じゃない」
「あなたは、その間どうするんだ?」
マクシムは目を丸くした。
「何か変な心配をしているのか?」
次いで、おかしそうに笑い出す。
「心配はいらない。俺は外で見張ってるし、変なことしようったって、君相手じゃ指一本触れないうちに殺されておしまいだ。俺は弱いからな」
マクシムが妙な振る舞いに及ぶと、本気で思ったわけではない。警戒するのは単に習い性というやつだ。
私は大人しく、彼の厚意に甘えることにした。
食事と睡眠は、とれるときにとっておくべきなのだ。
入り口付近の壁にもたれて膝を立て、刀を手元に置いて、眠る体勢に入ると、マクシムがなぜかあきれた顔をした。




