天女と竜の里⑥
翌朝。
二人の女にいいようにされた悔しさと、他にもいろいろ考えることがありすぎて、リオンはまんじりともできなかった。
隈のできた目を二の腕で擦っていると、
「おーい」
とレネーの声がした。
鉄格子のはまった窓からだ。彼は、例によって両足飛びでそちらに向かった。
「おはよ、リオン」
「こらお前」
格子から顔をのぞかせるレネーに、リオンは思わずつっこんだ。
「何でそこにいるんだ?閉じ込められてんじゃないのか?」
しかも、レネーは縛られてもいない。大手を振って歩いてきた。
「さらわれてきた男って、この塔の中は出入り自由なんだって。……って、おれはそう言われたんだけど」
レネーは首をかしげたが、すぐにおかしそうに言った。
「やっぱ危ないから外に出しちゃだめだって、あの女たちもわかってんだね」
「どういう意味だ」
「リオンが強いってこと。ほめてるんだよ」
彼は調子のいいことを言うと、話題をかえるべく窓に近づいた。
「で?」
「で、って」
リオンが首をかしげる。
「どうだった、昨夜?」
わくわく、と顔に書いてレネーは尋ねた。
「どうって」
「鈍いなあ。女だよ、来たでしょ夜。おれんとこもわらわら来たよ」
大変だったんだから、と彼はいたって平気そうにうそぶいた。
「んで、どうだった?うまくできた?」
リオンは嫌そうな顔をしながら、昨夜の経緯を短く話した。
聞いたレネーは、へえ、と一言言って、それから笑った。
「よかったじゃん。ここの一番えらい女でしょ。美人だろなー」
ガコ、と音を立てて、レネーの眉間に手枷つきの手刀が見舞われた。
彼は鉄格子から離れてのけぞった。
「いいわけあるか。好きでもない女と結婚なんか」
「殴らなくても、いいと、思う……その手枷凶器だし……」
涙声で、額をさすりながらレネーが抗議する。
「殴られるようなこと、言う方が悪い」
リオンの悪びれない様子に、レネーはため息をついた。ここは、口ゲンカする場面ではない。
「とりあえずさ、他の女に襲われる心配はなくなったわけじゃん。その首長?だっけ、そんなえらい女の部屋に鉄格子もないだろうし。逃げられるかもよ」
レネーの言葉に、リオンは黙った。
脱出手段について考える間がなかった。ダメ元の抵抗は、ノエミに完封されたのだ。
この部屋から出され、且つ、彼女から離れられる機会は、首長との謁見をおいて他にないだろう。
しかし、首長の閨に入ったところで、そこにノエミがいないという保証はない。
そんな状況を想像して、リオンは顔をしかめた。
「まあ、うまくやりなよ。なるようになるって。殺されるわけじゃないんだし」
レネーは彼の表情の変化を眺めながら、こともなげに笑った。
「他の女は引き受けるよ」
そう言ってひらひらと手を振るレネーを、リオンはにらみつけた。
恩着せがましい言い方だが、レネーはこの状況を楽しんでいるに違いないのだ。
「……」
何か痛烈なことを口にしようとしたのだろう、リオンは数秒押し黙った。
だが、結局あきらめた。他に話さなければならないことがある。
「おい、耳貸せ」
「やだよ。殴るでしょ」
「いいからもっと近づけ。聞かれたくねえんだ」
レネーはしぶしぶ鉄格子に耳を近づけた。
「お前の荷物、あれどうなった?」
「荷物?捕まったときにとられてそのまんまだけど」
何を言い出すのかと、レネーは眉をひそめた。
「荷物に関して、何も聞かれてないな?」
「うん。……どういうこと?」
リオンは声量を落とした。
「あいつらまだ、あの本の価値を知らないはずだ。さっさと取り戻せ」
「本の価値って……親父の形見、そんなに高く売れんの?」
レネーはリオンの態度に目を瞠った。
彼は金に執着するタイプではないのだ。……ウルカに財布をすられてあれほど怒ったのは、あれが金だから、ではなく、彼の『所有物』だったからだ。
二ヶ月も一緒にいれば、さすがに人となりの一端くらいはわかってくる。リオンはそういう人間だった。
もちろん、本人には言わないが。
「お前なら、女どもに取り入って、取り戻せるだろ」
レネーは詳しく訊ねなかった。
「まあ、できると思うよ。わかった、取り戻しとく」
リオンの真意を測りかねたのだ。
自分のものでないものに執着するリオンは、彼の想定の範囲外だ。違和感が明確になるまで、逆らわない方が得策だろう。
「じゃ、おれ行くね。塔ん中見ておきたいし」
レネーはそう言って、その場を離れようとした。
だがリオンが彼を呼び止めた。
「待て、もう一つ」
リオンは、いっそう低く声をひそめた。
「……あのひとは、無事か」
たぶん、一番最初にそれを聞きたかったに違いない。
レネーはそう思った。リオンの押し殺した声音が、そう思わせた。
「クリスのことなら……おれは、じかにはどうなったか見てない。途中で殴られてオチちゃったから」
ぞくり、とレネーの背に悪寒が走った。
リオンの目、その纏った空気の重さ、冷たさ、激しさに……殺気に。
一瞬本気で、殺されるのか、とレネーは思った。
彼は、恐怖にすくみかけた自身を励まして、続けた。
「でも、生きてるってさ。あのノエミって女は、そう言ってたよ」
「あの女が?」
「うん。竜から落ちたけど、低く飛んでて、下も木の密生地帯だったから」
『お前たちが心配することはありません』
ノエミの淡々とした語りを、レネーは思い出した。
『一たび刃を合わせれば、相手の実力はわかります。あの娘ならば、あの条件で死にはしないでしょう』
「あの人、信用できると思うよ。カンだけど。少なくとも、クリスは生きてる」
反論が来るかと思ったが、リオンは何も言わなかった。
かわりに、脱力するように鉄格子に突っ伏した。
「……そうか」
張り詰めた絶望を全て吐き出すかのような、深いため息とともに彼はつぶやいた。
安堵……だろうか?
何となく、それだけではない気がした。もっと複雑な……憤りや、焦燥や、自嘲、その他もろもろの感情が、溶けあい入り混じっている。
レネーにはそう感じられた。
自分の部屋に戻る間、レネーはずっと、意外の感に打たれていた。
リオンがあれほど深く、クリスの身を案じているとは、正直思っていなかったのだ。
この二ヶ月の付き合いで知ったリオンの性格は、一言で言って気まぐれだった。
悪い人間ではないし、妙に善良なところもある。
だが時おり施す善行も、心底同情してのものではなく、あくまで『善いことしてみるのもおもしろいか』という、暇つぶし的な発想から生まれていた。
彼は暇なのだろう。
ナンバー14ともなれば、生きていくのには困らないし、人付き合いに気を遣うこともない。嫌なことをする必要がない。
そういう人生は、きっと暇だろうとレネーも思う。
クリスの旅に同行しているのは、その暇を紛らわすためなのだ。
一緒にいて不快ではない相手を見つけたから、人付き合いのまね事をして遊んでいる。
まるでクリスにべた惚れしているかのように振舞っているが、そんな自分をおもしろがっている節があって、とても本気には見えない。
……見えなかった。
少し、認識を改めるべきかもしれない。
最前の彼のため息を思い返しながら、レネーはそう考えていた。
日が沈むと同時に、彼ら被軟禁者の労働は始まる。
白亜の塔に暮らす女官たちが、吊り橋を渡ってやってくるのだ。
この日最初にレネーの部屋を訪れた女は、酒瓶と杯、それからレネーが見たこともない高級食材のつまみを載せた盆をささげ持っていた。
彼女は嫣然と微笑みながら、レネーの隣に座って杯を勧めた。
何だろうここ。天国?
いやがるリオンの気が知れない。
「確かにクリスは美人だけどさ……」
「レネーくん?」
「んや。独り言」
レネーはにっこり笑った。杯を受け取る手に包帯はもうない。
火傷はごく軽いもので、レネーのつたない治療魔法でも二日間でほぼ回復した。自分に使う分には、少しは効くのだ。
レネーはこの状況を楽しんでいた。
こういうのは久しぶりだ。クリスは、彼に身売りを許さなかった。
食い扶持は稼ぐ、と言ったのに、ここまで結局、旅費は全額彼女持ちだ。
雑用や荷物持ちで元は取れると彼女は言うが、それほど世の中甘くはない。彼女は慈善家なのだ。
別に嫌々やっていた稼業ではないのに、とレネーは思うが、クリスには通用しないのだ。
昨夜来た女たちもそうだったが、この女も大柄で体格が良い。
総じて豊満で、均整のとれた彫刻のような肢体をしていた。
顔立ちも一様に美しく、みなどこか似通っている。だが無理もない。
彼女たちのシステムでいくと、父親はさらわれてきたほんの数人の男しかいない。
大多数が異母姉妹ということになる。
レネーの見た例外は一人だけだった。ノエミである。
一人華奢な体躯の彼女が、しかし話によればナンバー12の猛者で、首長の側近筆頭なのだという。
クリスとの闘いを見ていたレネーには、そのナンバーも頷けるが、見かけではわからないものだ。
ウルカもそうだった。見ようによってはクリスもだ。
クリスは小柄な方ではないが、リオンよりは小さい。体は、よく鍛えられてはいるが、全体にしなやかでほっそりしている。
胸も、触るとかなりのものだとわかるが、戦闘の邪魔にならないようにか、押さえつける仕様の下着や胴着を着けていて、外からは並に見える。
……脱線した。
レネーは思考を戻した。
彼女の場合、背負った巨大な剣から上位ランカーだと判断できるが、姿かたちだけではわからないだろう。
「……でも、ないかな」
レネーは首をひねって、自らの考えを否定した。
むしろ上位ナンバーほど、筋骨隆々からは遠かったりもする。
隆々たる筋肉は俊敏な動作には邪魔だ。そこまで鍛えなくとも十分膂力に優れた上位ナンバーには、必要のないものである。
強ければ強いほど、スマートな外見に拘泥する余裕も出てくるのだろう。
そしてそういった余裕は自然、面に表れてくる。
滲み出る自信と矜持が、彼の知る上位者には共通してあった。
物腰低く振舞っていても、どこか堂々としているのだ。
細かな挙作や、表情や、声の出し方に、世間の目から完全に独立しているかのような、超然とした部分が垣間見えた。
生き方と、行く方を、自分で選び取れる強者だけが、あんな風でいられる。
『好きでもない女と結婚なんか』
リオンの言葉はその最たるものだ。
レネーに言わせれば、クリスもリオンも我がままだ。
そしてそれが、統計上、ランカー同士がくっつかない最大の理由だとレネーは考えていた。
贅沢なのだ。
本当に好き合っている相手でなければいやだ、と本気で考えているのだろう。このご時世に二十歳と十七歳で異性経験がないなんて、よっぽどのことなのに。
それなりにコンプレックスは持っているようだが、そもそも出発点が違う。相手がいないわけではないはずなのだ。
二人とも容姿は極上、性格も凶悪というほどのことはなく、上位ランカーで金回りもいい。
いくらランカーが疎外されるとは言っても、それは忌避される存在という意味ではない。
むしろ擦り寄る人間の方が多いはずなのだ。
それで経験がないなら、彼ら自身の問題だ。
無意識に、選んでいる。
何が基準になるかは知らないが、彼らはそばに寄せる人間を選別している。
ウルカにも、そういった傾向はあった。
育った環境が環境だったから、二人とはおのずと違うけれど、それでも、選別する立場であるという傲慢さを、どこかに持っていた。
きっと、あのノエミという女もそうなのだろう。レネーは勝手に決めつけた。
そういえば。
レネーの脳裏にふと疑問が浮かんだ。
白亜の塔に男はいない。こちらの塔の男は、種付けのために外から誘拐されてくる。
数百人いる全ての氏族が女児を産むまで、男たちは酷使され続けるという。
女児を産むまで。ということは、当然ながら男児が産まれることもあるわけだ。
……女児より先に産まれた男児は、どこへ行ってしまうのだろう?




