天女と竜の里⑤
彼らのいる石造りの塔は、さらわれてきた男の牢獄……もしくは、女たちの後宮だった。
一人につき一部屋が与えられ、衣食住に不自由はさせない、とノエミは告げた。
そうして、リオンはエディットに、レネーはノエミに、それぞれ別の部屋に連行された。
エディットはリオンを、かなり高層にある一部屋に放り込んだ。
そして兜ごしのくぐもった声で告げる。
「夜になるまで、ここで待ちなさい。日が暮れたら仕事が待っているわ」
大柄な体と甲冑姿に似合わぬ、甘い声だった。
放り込まれた部屋は、なかなか小奇麗な造りをしていた。
大きなベッドがあり、給湯用の小さな炉が隅にしつらえられ、テーブルと椅子も趣味の良いセットが置かれている。
ただ、一つだけ回廊側に開いた窓には、頑丈な鉄格子が嵌められていた。扉も頑丈な上に鉄格子との二重構造になっていて、体当たりくらいでは壊れそうもない。
彼は顔をしかめた。
いずれにせよ、両手両足を拘束されたまま床に放られ、身動きがとれない。
腹筋で起き上がり、ぴょんぴょんと両足飛びで何とかベッドに落ち着く。
「……」
足の縄をほどこうとしばらく格闘したが、一時間を経ても進展しない。
何か尖ったものや、刃のかわりになるものを探すが、武器になりそうなものは徹底的に排除されていた。
炉があっても点火装置はなく、カーテンの紐さえない。
自殺もおいそれとできない環境だ。
不自由がない、とはいえやはり牢獄には違いないのだ。
いいかげんにあきらめて、ぐったりとベッドに足をのばしたとき、扉が開かれた。
入ってきたのは一人の女だった。
豪華な金髪が肩から背に流れ落ちる。
大柄である。リオンよりも少し、背が高い。
豊満な胸が前に突き出し、腰のぎゅっと締まった、長身に見合う迫力ある体格をしていた。
目も鼻も口も大きく、彫りの深い整った顔立ちだ。
白い肌は肉付きがよく、全体に匂い立つような女くささがあった。
腰の高い位置に切り替えのある、細身のドレスを纏っている。
胸もとに深く切れ込みが入っており、窮屈に収まった双の乳房の、動作のたびに互いに押し合う様がよく見てとれた。
リオンは思わず目をそらした。
「私よ。エディット。こんばんは」
女は彼の視線など気にも留めずに、自己紹介した。
甲冑の女の一人の名だ。
甲冑姿の寡黙な印象と、目の前の豪奢な女のギャップに、彼は少しだけ驚いた。
エディットはにこりと笑って、ベッドに近づいた。
「不自由させてごめんなさいね」
ずい、とベッドに乗り上げると、彼の足首を縛ったロープをなぞりながら、彼女は言った。
リオンは反射的に逃げようとした。ベッドの上で体を弾ませ、拘束された両足でエディットを蹴りつけようと。
だが、彼女は膝で彼の足を押さえつけ、いとも簡単に抵抗を封じた。
「あなたの暴れっぷりは、骨身に染みてるの」
手枷でまとめられた手を、これは腕で、彼の腹におさえつけながら彼女は続ける。
「その枷も窓の格子も、ノエミ様が、ご自分が脱け出せないものを、と特別に造らせたものよ。ナンバー12のノエミ様がね。あなたには無理よ、外せない」
のどにからむ、甘いしゃべり方が鼻について、リオンはふいとそっぽを向いた。
だが抵抗にも何もなっていない。エディットはクスクスと笑った。
「いやね、意地を張らないの。悪いようにはしないわ」
言いながら、体を移動させる。
リオンはほとんど何もできないまま、マウントをとられてしまった。
「あなたかわいいから、大事にしてあげてよ。どうせ首長のご夫君には選ばれないわ」
「ごふくん……ご夫君? 夫!?」
聞き捨てならない単語に、リオンは目を剥いた。一言もしゃべらないつもりでいたのに、うっかり声に出してしまう。
「そう。首長は面食いでね、なかなかご夫君をお選びにならないの。顔だけならあなた、見込みは十分なんだけどね」
女の指が、つう、とリオンの顔をたどった。
「ノエミ様が、あなたみたいに危険な子を、首長のおそば近くに上げるはずがないもの。ナンバーはいくつ? 15? 14かしら?」
リオンに答える気はなかった。
「照れることないのよ」
そう言って、上体を倒しながら体を下にずらしていく。
「あっちの男の子が、あなたは奥手だから優しくしてやってって言うから、一人で来てあげたのよ。みんな来たがってたのに」
レネーのことだ。
あのガキ!リオンは一瞬状況を忘れて怒り狂いそうになった。だが、そんな場合ではない。
彼の膝上あたりまで後退すると、彼女はリオンのベルトに手をかけた。
「待った、待て、待て!」
焦るリオンの制止など聞こえてもいない。エディットは恍惚としながら言った。
「あなたみたいにきれいな子、初めて見たわ。髪と目の色がすてき。さあ、怖がらないで。大事にしてあげるわ」
「くうっ!」
リオンは危機感を覚えていた。
こんなところで無理やり奪われるために、今まで童貞を守ってきたわけではないのだ(別に好きで守ってきたわけではないが)。
やばい、別のことを考えよう……と思考をめぐらせるが、こんなときに限って浮かんだのは、一人の女の顔だった。
彼のバカ話にあきれたように笑う横顔。魔法の高熱に浮かされ上気した顔。彼を見て、安堵にほどけた無防備な顔が。
もっとやばいわ!と慌てて振り払おうとした、その瞬間。
バン、と音を立てて扉が開かれた。
「おやめ、エディット」
「きゃあ! ノ、ノエミ様!?」
エディットは悲鳴とともに、動転したためだろう、なぜかリオンをベッドから突き落とした。
「わあっ」
何で俺が!と、リオンはわめいた。
乱入したのはノエミだった。
さすがに甲冑姿ではなかった。
生地はエディットのドレスと似たような薄ものだが、立襟に長袖で、ハイウエストの切り替えから長い裾が広がっている。
彼女はじろじろと、無遠慮にリオンとエディットの全身を見回した。
「どうやら間に合ったようですね。……エディット」
名を呼ばれエディットは、はい!と裏返った声を発してベッドから転がり降りた。
「まだ同衾してはおりませんね?」
部下の狼狽など気にも留めない風で、彼女は念を押した。
「は!間違いございません」
エディットは片膝をついて敬礼する。
答えてから、彼女は上目遣いに、おそるおそるノエミをのぞきこんだ。
「……その、一体何事でございますか。もしや、」
ノエミはベッドの脇に転がるリオンを、冷静に見据えながらこう告げた。
「首長のお目に止まったのです。光栄に思いなさい」
「……は?」
リオンは思わず聞き返した。
だがノエミは彼に質問を許さず、淡白に続けた。
「首長がお前に謁見をお許しになりました。明晩、直々に接見され、お前をお選びになるか決定なさいます」
「お前らの首長になんか会わないし、そっちの勝手で選ばれる筋合いもないぞ」
リオンは、半裸で床に転がった姿勢という大変なハンデの中、可能な限り強がって見せた。
しかしノエミは反応も見せず、事務口調で続けた。
「首長のご夫君と決まれば、他の氏族との交配は一切許されぬからそのつもりで」
「聞けよ……」
リオンは、なんだかどっと疲れた気がした。
ノエミはリオンにかまわず、早々に踵を返した。
「用件は以上です。エディット、行きますよ」
「は!」
エディットは敬礼し、それに付き従う。
まさか、とリオンは慌てた。
「おいっ、放置かよ!」
二人の女が振り返った。
床に転がったままのリオンを見て、エディットが眉をひそめる。
「ノエミ様、このままでは少々……」
「構いません」
ノエミは即答した。
「この子がご夫君に選ばれれば、首長の所有物です。傷一つ付けることは許されません」
「ですが、転んだ拍子に額を打っておりますし……」
エディットが言うと、ノエミはわずかに眉を寄せた。
「……廊下へ出しておきなさい」
「廊下?」
「頭を冷やさせるのです。興奮して暴れられても困る」
そう言われて、エディットは納得したようにうなずいた。
「かしこまりました」
「ちょっと待て。誰が興奮してるって?」
抗議は完全に無視された。
リオンはまたしてもエディットの手で廊下に引きずり出された。
「寒っ!」
この標高に吹きさらしにされて、寒くないはずもない。凍りつくような冷気が、まともに体に叩き付ける。
女たちも薄着の上に、厚手のショールを巻き付けていた。
彼は体を伸ばすふりで、ぴょんぴょんと軽く飛び跳ねた。
エディットは止めずに、壁際で見張っている。
リオンは気づかれないように、視界の隅でノエミを窺った。
彼女は何を見ているのか、上空に視線を留めていた。
白亜の塔の天辺より、さらに上方。澄んだ夜空に星が広がっている。
リオンがつられるように見上げた先には、無明使星が光っていた。
この時季に見られる一等星の一つだ。白い清浄な輝きが目をひく。
ノエミが、ただ星を眺めているだけとは思えなかった。
その横顔には、どこかひたむきさがある。あきらめと必死さが半々の、熱のないひたむきさが。
何を見ているのか……あるいは、何を思って無明使星を見つめるのか。
少しだけ気になった。
それほど彼女は集中している様子だった。
リオンのことなど気にも留めていない。
今しかない。
深く考えなかった。したいようにするだけだ。今は、彼女を蹴飛ばしてやりたかった。エディットでなく、なぜかノエミを。
彼は三歩分、縛られた両足で跳ねて、彼女に迫った。
彼女に背を向ける体勢に体を捌き、倒れ込むように上体をひねり、ドン、と縛られた両足を背面にむけて蹴り上げる。体が完全に空中に浮いた。
横に倒した上体を軸に空中で回転する。そろった両つま先の回転軌道の上に、ノエミの頭がある。
つま先がヒットする寸前まで、彼女は気づかず振り返らなかった。
完全な不意打ちになった。
いけるかもしれない、そうリオンは思った……ほんの刹那の間。
「愚かな」
今度こそ、彼女ははっきりと憐憫の表情を浮かべた。
リオンは、その一瞬に何をされたのかわからなかった。触れられたという実感すらなかった。
ただ気づいたとき、彼の体は仰向けに床面に叩き付けられていた。空中の彼の蹴り足を瞬時に見定め、身をかわし、膝裏を軽く手で押したのだ。着地の軌道をずらされた。
反射神経で受け身だけはとったが、復帰の間を与えられない。
そのまま手枷ごと腹を、ガッ、と左足で踏みつけられた。
「ぐはッ、」
彼は背を反らせてうめいた。
ヒールのない、柔らかな素材の靴だったのは幸いだった。
それでも踏みつけは強烈で、呼吸もままならない。
華奢な体躯からは想像もつかない脚力だ。
「よしんば手足の拘束がなくとも、お前では私の敵にはならぬ。……重々承知の上でしょうが」
ドレスの裾をつまんでの優雅な姿勢で、ノエミは彼を見下ろした。
「首長の御前で、決してこのような無礼を働かぬようになさい」
す、と彼女は脚をどけた。
開放され、リオンは深く呼吸する。
「今夜はよくお休みなさい。首長がお選びになろうがなるまいが、明晩より役目を果たしてもらうことにかわりはないのですから」
エディット、と彼女は静かに部下を促した。
慌てて駆け寄って来たエディットが、リオンの襟首を掴んで引き起こす。
そのまま部屋に放り込まれる寸前、リオンは叫んだ。
「こっ……の野郎、覚えてやがれ!」
「……覚えておきましょう」
リオンのいかにも敗北者らしい捨て台詞に、ノエミはなぜか冗談のような返答をした。
ふ、と目元がわずかに和む。
「では、明晩」
鉄格子と扉が厳重に閉じられた。
当たると思っていたわけではない。相手はナンバー12だ。
当たっても殺せなかっただろうし、そうなれば逃げられもしない。
ただ一矢、報いてやりたかったのだ。
「……あの、女」
低くうなってはみたものの、おかしなことに、それほど怒りは感じていなかった。
扉の閉まる寸前に見た、かすかな笑みがなぜか脳裏に焼きついていた。
夜空を見据えるあのひたむきな表情も。
あれらの表情が何を示すものなのか。
それがなぜ気になるのか、自分でもわからず、リオンは首をかしげた。




