天女と竜の里④
遥か下方を、並行して無人の羽指竜が飛翔している。
しばらく右腕一本で足指にぶら下がりながら、私は思案していた。
大剣を持ってくる余裕はなかったから、むろん徒手空拳だ。考えなしに跳んだはいいが、ここから突き落とされては元の木阿弥である。
目を閉じて耳を澄ませた。状況を把握しておきたいところだ。
しかし、時おり起こる羽ばたきの轟音と、飛翔に伴う強風に、竜の背にいる連中の様子はほとんど伝わって来ない。
私はやむを得ず、竜の後肢に身を伏せて、女たちのいる背を覗き込んだ。
黒い鎧の女たちは、風の抵抗も揺れも苦にせず、まっすぐに立っていた。長い外衣がバタバタと風に煽られている。
竜の背の皮に直接鋲を打ち込んで設置された鞍に、二人が縛りつけられていた。
リオンはぐったりとして意識がない。レネーは起きて、大人しく様子を窺っている。外套と胴着の仕込みを剥がされているが、乱暴なことはされていないようだ。
二人の荷物が一箇所にまとめられていた。
レネーの短剣と背嚢、リオンの持分の荷袋と、鉄刀。
確認したところで、バルディッシュの女がこちらに顔を向けた。
「!」
乱れる髪を押さえながら、私は顔を引っ込めた。
しまった、と思うが後の祭りだ。女が危なげない足取りでこちらに近づいて来る。
一か八かで飛び出すか。そう覚悟を決めかけたときだ。
不意にレネーがこちらに転がり寄ってきた。
なぜか真っ赤にただれた手を、こちらに伸ばす。焼き切られた縄が彼のいた場所に残っていた。
彼が眉を寄せると、ボ、と手が発火した。シュウ、と肉が焼ける音がする。
彼は揺れる竜の背に身を伏せたまま、バルディッシュの女に炎を投げつけた。
彼の炎は火球の形に収束しておらず、風にあおられ小さな火が散乱する。女は避けようともしなかった。腕を軽く振っただけで、火は簡単に掻き消える。
だがほんの一瞬、視線が私から離れた。
ぐい、と体を引き上げ、鉄刀に飛びつくには十分だった。
視界の隅でレネーが、剣の女の手で気絶させられるのが分かった。だが、今は気にしていられない。
鉄刀を両手で構え、ほんの一瞬、二人と対峙する。
剣の女が飛び掛かってくる。私は同時に踏み込んでそれを受けた。そして鍔際まで滑らせてぐいと押さえ込み、女の胴体に蹴りを入れた。
「ぐッ、」
うめきととも女の体が後方に吹き飛ぶ。
女がからくも転がって体勢を整えるのと、私が竜の背を蹴るのが同時だった。
私はタイミングを見計らって、竜の背から飛び降りた。
「!?」
女たちが虚をつかれて立ち尽くすのが見えた。
そのまま、四肢を開いて滑空するように落下する。
別に自殺しようというのではない。
気づかれた以上、鉄刀で二人を相手にするのは無理だとわかっていた。ならば、まともにやり合って相手に突き落とされるよりも、望みのある方を選んだのだ。
みぞおちがぞくりとする浮遊感が数秒間。
私は下方を飛ぶ竜の背に着地した。
進行方向に、ひときわ高く険しい岩山が見えた。
旋回する巨大な鳥のような影も。
だが、落ち着いたのも束の間、女がこちらに飛び移ってくる。
予想していた。本拠地まで私を連れて行くのは得策ではない。
ただ、そうでなければいいと思っていたが、来たのはやはりバルディッシュの女だった。
槍を掲げて迫ってくる。
そのとき突然ぐらりと竜が、わずらわしい背中の人間を振り落とそうと、翼を傾けた。
支えの退き足が、ずる、と滑る。
バルディッシュに圧されるまま、抵抗なく私の体は空中に投げ出された。
幾度か上空を旋回してから、竜は進行方向に飛び去った。
「うまくごまかせた……かな」
高い木の枝葉に仰向けに引っかかった姿勢で、私はそれを確認した。
下方の羽指竜はかなり低空飛行をしていた。
岩場の地形は起伏が激しく、時にはかなり地面に近づくこともある。タイミングさえ良ければ、助かると踏んだ。
もっとも、あのタイミングは予期した通りのものではなかった。
計算ずくでなく、確かに落ちて死んだと思わせる必要があったからだ。
落ちたのは岩間の、木が密集している一帯だった。
上空からそれらしい場所を見計らっていたとはいえ、無傷ですんだのは運が良い。
女たちの帰還先は分かった。
岩山を周回する竜の姿がここからも分かる。
「さて」
木に引っかかったまま、私は腕組みをした。
冷静になってみると、綱渡りもいいところだった。私らしいとは言えない。
あの二人と道連れになってから、どうも調子が狂っている気がする。
命を懸けてまで助ける義理は、本当はないのだ。
改めて、よく考えてみる必要がある……とそう思ったところで、手に残された唯一のものにふと気づいた。
短い鉄刀だ。
出会ってすぐに、リオンにやったものだった。
「……くそっ」
私は一人、悪態を吐いた。
※※※※
頭を小突かれて起きるのは、彼にとってあまり気分のよい目覚め方ではなかった。
「起きなさい」
小突いておいてから、女の声がそう言った。
低めで柔らかく、どこか悲しげな響きのある声だ。
嫌いな声ではないが、聞き覚えは無い。覚えのない声に、命令される筋合いはなかった。
「……先に口で言えよ」
リオンは目を閉じたまま、不機嫌そのものの口調で言った。
「ちょっと、起きてよ」
今度は聞き覚えのある声に、リオンは目を開けた。
岩場での出来事が鮮明に戻ってくる。
彼は飛び起きようとした。が、つこうとした手が動かない。やむなく腹筋で身を起こす。
「何だこれ」
見れば、両手が体の前でまとめられ、妙な拘束具をつけられていた。
手首をまとめる輪に加えて、金属製の手袋のような形状のものに手がすっぽりと嵌まっている。握ることもできない。
隣に縛られているレネーには、こんなものはついていない。リオンの両足と同じく、縄で括ってあるだけだ。代わりに、手全体を包帯でぐるぐる巻きにされている。
「何でお前は手だけなんだ」
レネーの足は縛られていなかった。
リオンは思わず不平をもらした。
「誰だってそうするよ。おれだってそうする。自分がどんだけ暴れてたと思ってんの」
そんなことを言っている場合ではないのに、とレネーは呆れた。
「おとなしくしていれば、枷はすぐに外して差し上げます」
先ほどの女の声が、二人のやりとりを遮った。
リオンとレネーは、ばっ、と女に顔を向けた。黒い甲冑の女が二人、岩場で見たのと同じ姿のまま眼前に立っている。
声の主は、小柄な方の女だった。クリスと対峙していた、バルディッシュの。
リオンは女をにらみつけた。
すると、女は兜に手をかけた。
カシャ、と兜を脱ぐと、女は軽く頭を振った。
短めのまっすぐな黒髪が、さらりと揺れた。
目は大きく、吊り気味だが黒目がちで、唇が小さくふっくらとしていた。頬や顎に丸みがあり、造形だけを見ればあどけなくも見える。
だが、目に浮かぶ光は厳しかった。
少女とは呼べない空気を彼女は持っていた。威圧感とでも言うべきか。
否、とリオンは内心で否定した。
表情にどこか悲壮感があるのだ。引き締められた唇や、伏せがちの目に。
拉致誘拐犯の持つものではなかった。凛々しさと……覚悟、だろうか。はりつめたような緊張感。
なんとなく、誰かに似ている。リオンはそう思った。
「私の名はノエミ。首長のもとにて、第一種兵装女官長を務めています」
女は表情を変えずにそう告げた。
「お前たちの名とナンバーを述べなさい」
命令口調に、リオンは顔をしかめた。
「……」
彼は沈黙を守った。
レネーは迷うように彼の方を見たが、結局口をつぐんだ。
「……いいでしょう」
女はあっさりとあきらめた。
「お前たちを首長に目通りさせます。エディット」
「は」
大柄な方の女が、胸の前に手をのべて敬礼した。
「二人をこちらへ」
エディットと呼ばれた女が、二人を引っ立てる。
レネーは自分の足で歩けるが、両手両足を拘束されているリオンは、女に首根っこを引っつかまれて、そのまま引きずられてしまう。
扉を開くと、石造りの回廊に出た。
手すりの向こうに見える空が、やけに高く見える。
ヒュ、と吹き抜ける風が冷たい。標高が高いのかもしれない。
どこかの塔なのだろう、と二人は考えた。
だが、引き出された先は手すりの切れ目であり、そこから広がる光景に、二人とも絶句した。
「あれが首長と我ら氏族の住まう塔です」
ノエミは、遠くにそびえる巨大な、白亜の階層建築を示すと、全く感情のこもらぬ口調でそう告げた。
まず彼らのいる建物は、石造りの灰色の塔だった。
ただ、建っている場所が尋常ではない。
上から見ると、山の頂上が円形に深く穿たれたような地形であることがわかるだろう。
そのへこみの外輪が、二箇所を残して崩れている。
二箇所のうち、高い方の内側に建てられているのが、首長のいるという白亜の塔であり、低い方が彼らのいる石造りの塔である。
基盤は岩壁と一体化しているようにも見えた。外輪の岩山を掘削して造られているのかもしれない。
岩壁沿いの白亜の塔は、塔よりは階層都市とでも呼びたいような形状だ。
こちらよりもかなり幅も大きく、高さにいたっては、何十階層あるものか数え切れない。
二つの塔は、円のちょうど北西と南東にあり、完全に向き合っていた。
そして……繋がれていた。一本の、石の橋によって。
二人が引き出された手すりの切れ目から、延々と伸びているのがそれだった。
寒気のするような高度の空中橋だ。
どうやったらこんな建築が可能なのか、想像もつかない。
白亜の塔の中腹で、何かがうごめいた。
リオンは思わずそちらを注視した。
「あれは……」
「あれ、あの羽の生えた竜?」
レネーが同じものに気づく。
「あれは竜の巣箱です」
ノエミが、抑揚の欠けた調子で応じた。
「橋の真下に離着陸デッキがあります。お前たちが単独で渡れば、すぐに竜どもが目を覚ますでしょう。逃亡など考えぬように」
中腹に突き出したデッキの奥には、うごめく影がいくつも見えた。あの巨大な羽指竜が、少なくとも五頭以上いる。
二人は思わず顔を見合わせた。
女たちはそれ以上進もうとしなかった。
「首長とやらに会うんじゃないのか?」
「恐れ多いことを申してはなりません。いち候補者に過ぎぬ身で」
「……候補者?」
リオンは片眉を上げた。
「何の候補だと?」
問い質そうとしたところで、ノエミが、シ、と黙るよう合図した。
「声を出してはなりません。首長の御前です」
「御前って」
首長がいるという塔の天辺まではかなりの距離があった。どんなに視力が良くとも、肉眼で顔の細部までは見えまい。
だがノエミは、彼らの疑問に応じず、回廊の壁石の一つを外した。
小さな隠し扉がガコンと開き、何かが取り出される。
武器ではないようだ。彼女は手にした箱のようなものを、不意にリオンの鼻先に突きつけた。
逃げる間もなく、彼の眼前で何かが、チカリと光った。
鏡だ。立方体の箱の一面が、鏡になっていた。
いや、よくよく見ると、面が鏡なのではない、目の錯覚が起こりそうになるが、鏡は箱の内部に斜めについていた。
他の内面も全て鏡になっているようだ。合わせ鏡になり、リオンの顔が何重にも映し出される。
女はすぐにリオンからそれを引っ込めると、今度はレネーの方に突き出す。
うつむこうとするレネーの顔を、ノエミは無理やり上げさせた。
その動作で、リオンはそれが何なのか悟った。
「鏡面写像転送機か!」
リオンは思わず大声を上げた。
「きょうめん……何それ」
大深度集合樹と呼ばれる、『受けた刺激を同株の兄弟にそのまま送る』特性のある植物がある。
それを利用して、鏡に映した像を光刺激として受信株に送らせるシステムを、鏡面写像転送機という。
おそらく送信先は首長とやらだろう。そちらでは、特殊な染料で染めた布が、受信株とともに水にさらされているはずだ。
受信した信号に反応して、染料が水中をうごめき、布の上に鏡像を再構成する。
リオンは不審に眉を寄せた。
大陸広域銀行や賞金稼ぎの組合が、同様の植物を使って本部・本社とやりとりし個人の照合を行っているが、あくまで指先を送信株に押し付ける、という物理刺激を伴ってのことだ。
鏡像に反応させる技術は、それとはわけが違う。
ハンゼ自体は交易が盛んで、最新技術の入りやすい国ではある。
だがこれは、強国の中枢が独占するような高度なものだ。
こんな僻地の一集落が、持っていていい技術ではない。
「詳しいね、リオン」
「本で読んだんだ。……ってことは、山道で俺たちを襲ったのも偶然じゃないってことか」
さぐるようにリオンはノエミを見上げた。
「どういうこと?」
「俺たちがあの場所を通るのを、ここから確認して飛んできたってわけだろ?」
ノエミは軽く肯定した。
「ええ。岩場に置いた鏡に通行者が映れば、すぐに伝わる仕かけになっています」
「そんな凝った仕掛け使ってまで、何のために男さらうわけ?」
レネーの疑問に、ノエミは機械をしまいながら答えた。
「我々が、女だけの氏族だからです」
「は?」
ノエミの口調はあまりにも事務的だった。
どうでもよいことを語っているように、錯覚してしまう。
「ですから繁殖のために、下界の男を連れて参るのです」




