天女と竜の里③
ガッ、と真正面から刃が噛み合った。ぎりぎりと圧し合う。
一瞬、撃ち合いが止まった。
相手の攻めに対応していくだけの、余裕のない攻防に、好転の兆しがうっすらと浮かんだ。
集中しろ!
意識的に私は、感覚を研ぎ澄ませた。
す、と血が下がるような心地。
キィンと耳鳴りがする。支配するのは静寂だ。
私の耳が常に広範囲で捉え続けている音が、一切聞こえなくなる。いや。
聴覚が、視覚や触覚に切り替わる、とでも言うべきか。
敵の筋肉のきしみが、血の流れる音が、砂の一粒子の挙動にいたるまで、はっきりと認識できるのだ。
その中でひときわ、自らの心臓が、どくりと脈を打つ様が、手にとるようにわかった。
そうして、何もかもが遠くで起きているような境地に至る。
全身の粘膜が剥き出しになっているみたいに、感覚器の全てが敏感に、空気の振動を拾い出す。
音が他の感覚に影響し、見えずとも聞こえる物事が、目に映ってくる錯覚が起きる。
切っ先が裂く空気の音、撃ち合う金属音、心臓の音、血の流れる音。
剣と私は音の世界に在って、分かち難く一つだった。
高揚……というには静かすぎる、だが明らかな、闘いの狂乱。
この感覚が好きだった。
久しく味わっていない。
目の前の敵に、感謝すべきだろう。自分と互角かそれ以上の相手との、瞬間が生死を分ける闘争、これに勝る愉悦はない。
快楽、と呼ぶのが正しいのかもしれない。
一度覚えたら止められない。
めまぐるしく繰り出される一連の攻撃を全ていなす。
最後の一撃を受けようとしたとき、女の姿が眼前から不意に掻き消えた。
本来ならば見えなかっただろうが、今の私には、目に頼ることなく全てがわかる。女は高速で横にステップし、体ごと死角に回りこんだのだ。
ガキッ。
ほぼ真横から放たれた突きを、私は前を向いたまま、剣を逆手に弾いた。
女が兜の下で息を呑んだのがわかる。
完全な死角だった。私が目で追えていないのも、計算にいれていたのだろう。
ほんのわずか、刹那の間、隙ができた。
私は弾いた槍が復帰する前に、女の胴体を横薙ぎに払おうとした。
視線を動かす間すら惜しんでの攻撃は、女の虚を突くことができた。決して後退しなかった女が、地を蹴って後ろに跳ぶ。
追い討ちをかけるべく踏み込む。
武器と私自身の重量、さらに踏み込みの加速の全てを込めた、上段からの渾身の振り下ろしを見舞った。
女は槍柄を跳ね上げて受けた。ガン!と鈍い音が響く。
重い手ごたえが、全身を通り抜けた。
女は、わずかに膝を屈しながら堪えている。
面頬の奥で、す、と深く息を吸い込むのがわかった。
女に押しのけられる前に、私は剣を退き次の攻撃に移った。集中しても力ではかなわない。
組み合っていても圧し負けるのがわかっていた。
実力の差はいかんともし難いものだ。
本気を出そうが集中しようが、ランキングは覆せない。
だが、この状態になると、そんなことはどうでもよくなる。勝敗も生死も、問題ではなくなる。
周囲の全てが認識できるのに、思考の視野は逆に狭くなる。
この上なく冷静なのだが、考えることは一つだ。
相手に剣を叩き込む。
殺そうというのではなく、ただそれを成し遂げる一念で攻防を組み立てる。
その後の何合かは、私が攻勢だった。
だが、必殺の突きを、わずかに体をずらしただけでかわされたときに構図は逆転した。
女は槍を背に回すと、柄頭を片手で握り、その片腕をのばしきった……すなわち最長の射程で、突いた剣の下を通して薙ぎ払ってきたのだ。
例によって、死角から刃が迫っていることに気づくことはできた。
だが速すぎた。気づいていても、対応できる速さには限界がある。私は苦し紛れに後退しながら背を大きく反らした。
喉もとすれすれの空間を斧が切り裂いて行く。
剣とは違う。槍先についた重い斧のために振り子状態の上、槍柄も金属製だ。
片腕で扱える代物ではない。
だが女の腕は関節が外れもせず、振り子に振り回されもせず、すぐに私を追ってきた。
女は強かった。力もスピードも、わずかながら私を上回っていて、思い通りにはいかない。
しかし思惑を外されるたび、歓喜は大きくなっていった。
こうでなければ。
思い通りに運ぶ闘いなど、何の意味もない。
崖際で、私は後退する足を止めた。
波状に尖った槍先が突き出される。
私は膝を沈め、下段に剣をかまえた。
「……ふっ!」
呼吸とともに、急に真上に跳ね上げる。突きを弾かれるのを警戒したのか、女は無理やり軌道を換え、真下に振り下ろした。
シィィンッ……
金属のかする音が長く響いた。パチ、と火花が明滅し、振動が双方の武器から腕を伝った。女の足が一歩退く。
その隙に、私は崖側から岩肌側にダイブした。女が追ってくる。
低い姿勢のまま、上段からのカチ割りを私は頭上で受けた。
「っ、」
地に膝をついてしまった。歯を食いしばってその体勢に耐える。
ギリギリと圧され、私自身の剣の刃が眼前に迫る。
その瞬間。
「クリス!」
レネーの短剣がこちらに飛ばされた。
音でそう判断しただけで、私の目には映らなかった。が、女は気づいた。
不意に力が抜ける。斧の刃を盾にしようと、身体に引き寄せたのだ。
隙ができた。
膝をついた体勢のまま、私は女の脚を狙って剣を横薙ぎに振るった。
結論から言って、二方向からの攻撃に、女はただ斧を身体の脇で回転させただけだった……ギュルル、と空気を巻き込む速度で。
まず、キン、と短剣が弾かれた。
同時に、ひざ下を払い斬ろうとした私の剣が、逆方向へ回転する柄にがちりと受け止められる。柄は私の剣を巻き込んで、水平な軌道を変え、斜め上に弾き飛ばした。
そのまま降りてきた斧が回転の方向をわずかに変え、勢いよく下から振り上げられた。
「くっ」
刃先を弾かれた剣を、引き戻す余裕はなかった。私は剣を手放し、低い姿勢のまま背後に思い切り跳んだ。
間一髪だった。パラ、と胴着の袷の紐が、盛り上がった胸の部分だけ切れて落ちた。
仰向けに無様にスライディングする前に、手を付いて横向きに体をひねり、何とか足で着地する。
女はなぜか追って来なかった。
ただ静かに、見据える視線を感じた。小細工は通用しない。
ナンバー12か、11か。
心のどこかが、11であることを期待している。
だが、そうでないことを祈らざるを得ない。
ナンバー12と13の間と11と12の間では、数値の差が大幅に違う。
ナンバー11は、文字通りナンバー10予備軍だ。世界に名だたる十名に、ぎりぎりで入れなかったというだけの、超人である。
正直、私の戦える相手ではない。
だが、女は私を押してはいたが、圧倒してはいなかった。押されながらも、せめぎ合うことがかろうじてできている。
ナンバー11ならばこうはいかない。
間合いを保ったまま、私はちらりとリオンの方を見遣った。
リオンは剣を持った女とやり合っていた。
鉄刀で弾いては懐に飛び込み、拳と蹴りを浴びせている。
甲冑に阻まれクリーンヒットは出ない。女の方も器用にかわし、受け流している。
リオン相手に善戦しているのだから、それなりのナンバーを持っているのだろう。
だが目の前の女ほどではなかった。リオンよりも下だ。
私は目の前の女に意識を戻した。
どう転んでも、私一人ではこの女には勝てない。嘯くつもりもない。
だが、リオンと協力すれば何とかなる可能性があった。
何とかして、リオンと私の二人対目の前の女一人の図式に持ち込めれば……
そう考えたと同時に、女が突進してきた。反射的に剣を身体の前に構える。
だが女は、私の眼前まで来てトン、と上に跳んだ。
「なっ、」
私は目を瞠った。
重い甲冑を纏い、バルディッシュを手にしている。
にも関わらず女は、軽く私の頭上を越えて行った。
信じられない跳躍力だ。私では、同じ条件でこの高さは無理だろう。
驚愕に気をとられた一瞬に、女は数メートルも離れた地点に着地し、身軽く駆け出した。
闘争の恍惚から、一瞬のうちに覚めた。
しまった。
私は女を追った。
同じことを考えたのだろう。私を相手に時間をつぶすのは、目的がある以上得策ではない。
目的。そう、女たちが、宿の女主人の言う『天女』であることに私は気づいていた。
飛竜に乗って現れ、男をさらう。
追尾できないのも納得できる。
「リオン!」
女は速かった。リオンに注意を喚起するが、彼は先刻の私同様、目の前の攻防に夢中になっている。私の声への反応が遅れた。
リオンが背後から近づく女に気づいたのは、延髄に手刀を打ち込まれた時のことだった。
リオンの身体ががくりと、闘っていた女の腕に崩れ落ちた。
恋人の抱擁のようだ。
そう思った瞬間、頭に血が上った。私は脇に剣を構えて走った。
だが地を蹴った瞬間、バサ、という音とともに突風が背後から叩きつけられた。
倒されはしなかったが、足を踏ん張り立ち止まってしまう。
背後の羽指竜が翼を広げて羽ばたいたのだ。
砂埃が舞い上がり、おぼろになった視界の中で、剣を持った女がリオンを脇に抱えて、もう一頭の竜の頭に飛び乗ったのが見えた。
バルディッシュの女が、風に足をとられたレネーをやすやすと捕らえる。
そして同じ竜に乗り込んだ。
「待っ……!」
待てと言われて待つやつはいない。
二人の女とリオンたちを乗せた竜は、地を蹴って崖に飛び出した。
少し落下してから空中で身体を反らし、バサリ、と巨大な両翼が開く。
ふと、竜の背に立つバルディッシュの女が、顔をこちらに向けた。
面頬の奥で、黒ぐろとした目が私を見留めたのがわかった。
冷たい目だと思った。敗者への憐れみの色が見えた。
思い込みではない。女は、中断した闘争に未練一つ残さず、私から視線を外した。
それを見て私は。
私は、明らかに冷静さを欠いていた。
でなければこんな無茶はしない。闘うことも命のやり取りも決して嫌いではないが、無駄に命を投げ出す趣味はなかった。
敗北の二文字と、二人をまんまとさらわれた無力に、逆上したのだ。
私は助走をつけて、崖から跳んだ。
竜が、もしもう少し速く推進を始めていたら、そのまま落下してジ・エンドだっただろう。
だが運はまだあった。
私は竜の短い後肢に、取り付くことができた。




