天女と竜の里②
隣国との国境までには、険しい岩山沿いの回峰路を通らなければならない。
複雑な地形だ。舗装のきいていないゴロ石の道を、上がったり下がったりが延々と続く。
荷物の大半は火トカゲに負わせているとはいえ、半日も歩くとレネーが参ってしまった。
「……お荷物め」
休憩に入って程なくして、リオンがぼそりとつぶやいた。
「やめろ、リオン」
私はすかさず聞きとがめた。レネーが反撃して、また言い争いになるのを防ぐつもりだった。
だが、レネーは無反応だ。ひたすら呼吸を繰り返し、岩肌にうずくまっている。
「大丈夫か?」
「うん、平気……ごめんね、クリス」
「謝るな。どのみち休憩は必要なんだ」
レネーは気弱に微笑んだ。
荷を積んだ竜を何頭も率いる隊商が行き来する道なので、幅は十分にある。
だが時折、雨風に削られてか道が崖側に傾いている。竜も人も、足が知らぬ間に崖っぷちに向かっていることがあるので、常に注意を払っていなければならない。
レネーには、竜の手綱を任せていた。そのために余計に神経をすり減らしたのだろう。
風が強くなってきていた。
岩間を渡る風の発する高音に、崖下や中腹に生えた貧相な木々の葉ずれの音、それから鳥の羽音がまじり、ざわりと寒気を生じさせる。
レネーはランキング外の十四歳にしては体力があり、今までの旅程でも彼のせいで遅れたと感じたことはほとんどなかった。
だが、表に出さないだけで無理をしていたのかもしれない。
気の利かない自分自身に腹が立った。
レネーの隣に座り、少しでも呼吸が楽になるように、背を撫でてやろうと手を伸ばした。そのときだ。
「……?」
私は、ふと妙な胸騒ぎを感じて手を止めた。
そのまま、無意識に空を仰ぐ。
私の動作を不審に思ったのか、つまらなそうに竜の手綱をもてあそんでいたリオンが、同じ方向に視線を上げた。
薄くかかった雲の間から、太陽がのぞいていた。
私は胸騒ぎの原因を考えた。
なぜか見上げてしまった空には何の影もない。
道に何者かの潜む余地はない。
不毛の地に、生命の気配を発しているのは私たち三人のみだ。ある種の静けさが、一帯を支配していた。
そこまで考えて、私ははっと思い至った。
空にもどこにも、姿が見えないにも関わらず、私の耳にははっきりと、鳥の羽音が聞こえていた。
今でも聞こえている。
「何だ、あれ」
『それ』を最初に捉えたのはリオンだった。
彼は私を振り返り、太陽を指差した。
「クリス、あれ何だと思います?鳥かな?」
言われるまま、太陽に目を凝らす。
白光が目を焼くようだ。私は手をかざし、目を細めた。
そして見つけた。
白熱する円の中心に、一点の黒点があった。
それは見る間に二つの点であることが判明した。さらに数秒後には、二点が小さな鳥の形をしていることもわかった。
羽音の発生源がその二羽の鳥だと私は確信した。そして、軽い戦慄を覚えた。胸騒ぎの原因が、ようやくわかったのだ。
いかに私の耳が良くても、目に映らぬほど遠方を飛ぶ、鳥の羽音を捉えるような性能はない。
距離に対して音が大きすぎ……重すぎる。
意識が向いた時には、羽ばたく様が確認できるほど、姿は明瞭になっていた。
上空で、比較するものがないため距離感が狂う。だが、それは明らかに、鳥としては常軌を逸したスケールと、スピードを持っていた。
そう、二羽の巨鳥は降下してきていた。長く続く岩壁の道の、私たちのいる一点を指して。
ジャリ、と小石を踏む音がした。リオンが一歩後ずさったのだ。
最初に動いたのはレネーだった。彼が立ち上がって、火トカゲの手綱に取り付いた。
「クリス! リオン!」
レネーの叫びと同時に、私とリオンは弾かれるように地を蹴った。
自分の荷物を引っ掴んで、進行方向に駆け出す。
だが、逃げようがなかった。相手は私たちが走った分だけ、わずかに進行角度を変えるだけでいいのだ。
とうとう巻き上がる風を感じるほどまで近づいた。
もはやそれが鳥でないことは明白だった。太陽が遮られ、視界が暗くなる。うるさいほどの羽ばたき音。足元の石や砂がごうと吹き飛ばされる。
思わず腕で目をかばう。あおられてわずかに体が浮いた。
轟音とともに、『それら』は降臨した。
鳥と見えたのは、二頭の巨大な竜だった。
私たちの前方と後方にそれぞれ着陸する。
人が何人分、というスケールではなかった。建築物と比べるのが正しい。青面竜の上位種にも、これほど巨大なものは少ないだろう。
体色は濃い灰色で、岩石に溶け込んでいる。
羽毛のない薄い皮膜の翼が、前肢にあたる部分と身体の側面全体から広がっていた。
後頭部に突き出すとさかがあり、嘴状のとがった口が特徴的だ。
「羽指竜……!」
誰かが感嘆の声を上げた。
火トカゲの原種に近い亜種に、トビトカゲと呼ばれる四肢に加えてさらに一対の翼のある竜がいるが、これは全く別の種だ。羽指竜と呼ばれていた。
羽指竜の生態はよくわかっていない。
捕獲されたサンプルが皆無なのだ。絶対数も目撃例も少ない、幻の竜である。
羽指竜は、翼をたたむとほっそりとしていて、回峰路に窮屈ながらも収まった。
翼の途中から指が突き出していて、手にあたるようだ。翼はそこから折りたたまれ、前足を地に着くような姿勢になる。
進路も退路も断たれてしまった。
私たちをじっと見ていた竜が、不意に長い首と頭を前に突き出した。
思わず身構えるが、竜の口は閉じられたままだった。そのままゆっくりと、顔を伏せるように竜は鼻面を地につけた。
何が起こるのかわからず、私たちは固唾を飲んで竜の動作を見守った。
そこで突然、カシャン、と金属音が響いた。
思いがけない音だった。
竜の首に、人間が立っていたのだ。
一頭に一人ずつ、二名が、巨大な竜の鼻面を伝って地に降り立った。
頭部をすっぽりと覆う流線型の兜の、面頬を深くおろしていて顔はわからない。
だが二人とも女であることは間違いなかった。
ツヤの無い黒い鎧は、薄く打った黒鉄を細かく重ねて接ぎ合わせ、筋肉に沿うような造りになっている。重そうだが、刃の通る隙間はなくそれでいて可動性は抜群の品だ。
体にフィットしているため、なだらかに隆起した胸や、肩幅の狭さ、腰のくびれが見てとれる。
すらりと伸びた脚は黒い鎧下に包まれ、同じような造りの脛当てで保護されていた。
また、腰に装着した、前の開いたスカートのような外衣が長く裾を引いている。
そのせいか、兜さえなければ、女達は真っ黒なドレスをまとっているようにも見えた。
進行方向に降り立った女を、私は見据えた。
小柄だった。背後の女は正反対に大柄だ。
女も、私に向き合った。見えない視線が、こちらに向くのがわかる。
女は地に突きたてていた槍状の武器を、ブン、と音を立てて一振りし、下段に構えた。
槍のように柄が長いが、刃は装飾的な意匠の斧だ。流線型に反っており、槍柄より上部にはみ出した部分が、波状に突起していた。
刃の両面に複雑なつる草の文様が刻まれていて、反射光を美々しく散乱する。
バルディッシュ。だが背よりも柄が長く、斧部分が通常よりかなり大きい。
重量自体も半端ではないだろうが、それが槍柄の突端にあるのだ。
軽々と振り回した女の膂力は、驚嘆すべきものだった。
とりたてて害意を感じたわけではなかったが、私は背中の剣の柄に手をかけた。
いきなり威嚇動作に入る以上、友好的な相手ではないだろう。
私は背後のリオンに向かって、
「リオン、レネーを……」
頼む、と続けようとした。しかしみなまで言えなかった。
リオンが言葉の途中で、ザ、と背後の女に突進したのだ。当然レネーは置き去りだ。
背後の女は段平の剣を上段に掲げていた。リオンは恐れもせずにその懐に組み付こうと踏み込む。
レネーはリオンに巻き込まれないよう、火トカゲとともに岩肌に身を寄せた。
「こらリオン!」
私は呆れて、完全にそちらを振り返ってしまった。
その一瞬に、ガシャ、と前方の女の甲冑が鳴った。
「っ!」
鎧姿で跳躍し、大上段に斧を振りかぶった女が目の端に映る。
私は反射神経だけで、大剣を引き上げた。
ガキン、と重い金属音が一帯に響き渡った。
強烈な一撃に、がく、と膝が折れた。衝撃で腕がしびれる。
手加減なしの、必殺の一閃だった。油断している場合ではない。私は目の前の女に、完全に意識を切り替えた。
女は長く組み合ってなどいなかった。
渾身の力で押し戻す私の剣からあっさりと刃を退くと、縦にギュル、と柄を回転させ柄で懐を突いてくる。
「く、」
ぎりぎりで身体をそらし、横にかわす。尖った柄頭が脇腹をかすめた。
ブン、と音を立てて、女が柄を横に払う。私はそれを、剣を地に突き立ててガチ、と受け止めた。金属音。槍柄も金属製なのだ……その総重量を想像して、戦慄を覚える。
女は止められたと見るやすかさず槍を引き、流れるようなムダのない動作で手を持ちかえて、ぐるりと回した。槍を背中に通し、今度は逆方向から斧刃の方で薙ぎ払う。
私は今度こそ、後ろに跳んで逃げた。
槍柄による牽制ならともかく、斧の渾身の薙ぎ払いを受ける自信がなかった。
変わりに、大振りを外した隙を狙って突きを叩きこむ。……叩きこもうとした。
だがその速さを見誤った。
空振りした斧は、一旦空に放たれたが、そのまま流線を描いて帰ってきた。降下に伴って速度を増している。私はとっさにぐいと突きを引き戻し、何とかそれを受けた。
が、先刻の腕の痺れがとれておらず、体勢も万全ではなかった。弾くことも受け流すこともできず、受けた剣ごと、踏ん張った足元が地を滑る。
そのまま倒される寸前に、私は自ら横に跳んだ。
女は追ってきた。縦横に、あるいは上下に、回転を交えて自在に斧を振るい、襲いかかってくる。
私はそれを何とかかわし、弾きながら後退し続けた。
幾度かは、目に映らない斬撃もあった。背に冷たいものが流れ落ちる。
非常識なスピードだ。
バルディッシュは本来、思い切り振り下ろして重量で叩き斬る武器であって、ただの剣や槍のように軽々操るものではない。私の大剣も同様だ。
最近は複数の弱者相手がほとんどで、攻撃も防御もすっかり大味になってしまっていた。
だが、反省は後でもできる。
問題は、撃ち合った瞬間にも分かった事実。
女は私より強いのだ。




