第九十話:いつもの河川敷
「ぐぅぅゥぅ……」
音速を遥かに超える速度で放たれた石弾の直撃。さらに、その魔法の副産物として発生した桁違いの衝撃波に巻き込まれ、クシエルは遂に地に堕ちた。
胡散臭いサングラスはひび割れて吹き飛び、文字通りボロボロになって、うめき声をあげている。
左腕が吹っ飛んでいるように見えるけど、血が流れているようには見えない。
そういえばこいつの血を見たことがない、天使だからだろうか。
これだけのダメージを受けてなお、息があるとは……本当にしぶといな。
天使ってのは、不死身なのか?
……もう1体の天使も倒れたまま、もがき苦しんでいる。
衝撃波に巻き込まれたダメージと……『哀惜の海』の精神攻撃から、まだ抜け出せていないのかもしれない。
周囲を見ると、河川敷のあちこちがえぐれ、土煙と焦げた匂いが立ち込めていた。
「どうシて、ヒロシがクシエルの邪魔をスるゥ……」
地面に這いつくばりながら、クシエルが恨めしげにこちらを睨みつけ、かすれた声でそう言った。
……またそれか。
「僕の周りの人ばかり狙って、なんで邪魔されないと思うんだよ。お前こそ、なんで僕の名前を知ってるんだ」
ま、どうせ答えないだろうけど。
「クシエルは、サキの代わリに……」
おっと、しゃべった。
こちらの求める言葉を口にするとは思わなかった。
しかし、言葉はそこで途切れた。
それきりクシエルは完全に沈黙し、糸が切れたように動かなくなる。
生きてるのか死んでるのか、正直わからない。しっかり止めを刺しておくべきかどうか……悩ましいところだ。
それにしても、やっぱり――咲か。
自分でも意外なぐらい、驚きはなかった。
それ以外に、こんな奴らが僕に関わってくる理由がないから。
ただ、『代わり』というのはちょっと意味がわからないけど……
それよりも、だ。
「グリーマル、大丈夫?」
「……うん」
『……うん』じゃないだろ。ぜんぜん大丈夫じゃない。
身体中が泥と煤にまみれてボロボロで、足取りもおぼつかない。
「ちょっと座って待っててくれる?」
「うん。わかった」
そう言うと、グリーマルは素直に河川敷の斜面に腰を下ろした。
いつもみたいに。
さて。天使どもを放置して、この場を去るわけにもいかないし……とりあえず連絡しないと。
「ゴーレムくん、そいつらが逃げられないように、捕まえててね」
「はい。マスターの仰せのままに」
マスターときた。
身長3メートルの暗赤色の巨人が、恭しく一礼してから、転がっている2体の天使を太い腕でがっちりと拘束する。
ゴーレムくんは僕が魔法を解除しない限り活動を続けるんだけど、なんかこう……
こうまであからさまに知性があると、用が済んだからといって、はいさようならとは消しにくい。
どうしよう。連れて帰るには大きすぎるし……もう、考えることが多すぎる。
ゴーレムくんについては、一旦忘れよう。
そう考えながらスマホを取り出して、メッセージアプリで如月さんに通話をかけた。
『はーい。お姫様は救出できた?』
「……できました。ただ、結構な怪我をしているのと……天使が2体転がってるので、動けません」
『おっけー、すぐそっち行くよ。待ってて』
「ありがとうございます」
通話が切れ、河川敷に再び静寂が戻る。
『お姫様』か。
そういえば、さっき言ってたよな。『邪界大帝バーダス』の名において、その娘『哀惜のグリーマル』が。とかなんとか……
ちらりとグリーマルの方を見ると、こっちを向いて力なく微笑んだ。
『お姫様』ねぇ……如月さんは適当に言ったんだろうけどさ。
そう考えてよく見てみると、確かにどことなく気品を感じる。
整った目鼻立ちも、ややウェーブしたエメラルドグリーンの髪も、もちろん元々綺麗なんだけど。
軍服めいたこのゴスロリファッションをドレスかなにかに着せ替えたって、なんの違和感もないんじゃないかと思う。
僕はこっちの服の方が好きだけどね。
いやまぁ、ただ……本当にそうだとなると、『パパ』が反対するのも当然というか、色々洒落にならないような気がする。
嫌な予感がするなぁ……
そんなことを考えながらじっと見ていると、視線が気になったのか、『お姫様』が不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたの?」
「ううん。なんでもないよ。助けを呼んだから、もう少しだけ我慢してね」
「助けって?」
「仲間……というか、警察だよ。こいつらは脱走犯と、その共犯者でさ」
「そうなんだ」
「グリーマルも事情聴取……後で色々話を聞かれると思うけど、被害者扱いになると思うし、協力してくれると助かる」
「うん。いいよ」
「ありがと」
素直に頷いてくれた彼女を見て、ホッと息をつく。
すると、グリーマルがふと何かを思い出したように口を開いた。
「……ねえ。ヒロシって?」
う……そこを突いてきたか。
これ、どうしたもんかな……いや、どうもこうもない。
この期に及んでごまかしてもしょうがないというか――それはなんだか、したくなかった。
「僕の、本当の名前だよ」
「そうなんだ」
反応が薄い。
思いっきり男の名前なんだけど……いや、グリーマルにはわからないのか。
僕だって、『グリーマル』や『ソリタス』がどの性別の名前かなんて、まるっきりわからない。
『ヒロシ』が人間界の日本において、一般的に男性の名前として使われる響きだなんて、邪界人にわかるわけがないか。
「ひよりちゃんって呼んだ方がいいよね?」
「うん、そうしてくれると助かるよ」
拍子抜けしながらもそう言って、僕も腰を下ろした。
いつもみたいに。
ただ、いつもと違うのは――
「……グリーマル?」
隣に座ったグリーマルが僕に身体を預けて、そのまま……ぎゅーっと抱き着いてきたことだ。
うん、まぁ。体力の限界だったんだろう。
支えてあげるのはやぶさかではないのだけど……これ見たら絶対あの人、大喜びでいじってくるんだろうな。
――まあ、別にいいけどさ。
それからは特に言葉を交わすこともなく。
如月さんが到着するまでの間、僕らは――この季節にしては少し涼しい、河川敷に流れる風に身を預けていた。




