第八十九話:『哀惜の海』
「マジカル・ストーンバレット」
とりあえず、攻撃を継続する。
天使が妙に頑丈なのは、前回の戦いとさっきの奇襲で十分すぎるほどに理解している。
対して、こっちはそう頑丈なわけじゃないんだから、できるだけ守勢に回るのは避けたい。
それに――どういう理屈で防いでいるのかはわからないけど、無限に防ぎ続けることができるってわけじゃないだろう。
「マジカル・ストーンバレット」
牽制の攻撃を放つ合間に、こちらも防御手段を用意しておこう。
なにより、グリーマルを守らせないと。
「マジカル・クリエイトストーンゴーレム」
魔法の言葉に応え、『石』のゴーレムが生成される。
「……あれ?」
今回は、いつものゴツゴツした岩石のゴーレムじゃない。
黒に近い、暗赤色の『石』
艶のあるそれが寄り集まり、身長3メートルほどの巨人となってゆっくりと起き上がった。
見るからに堅そうだ。これなら――
「ゴーレムくん。グリーマルを守って」
「お任せください」
しゃべった……すごいな。
ゴーレムくんがグリーマルの前で頼もしく仁王立ちしているのを横目で確認しながら、横に飛ぶ。
直後、砂煙の向こうから伸びてきた炎の鞭が、それまで僕が立っていた場所を薙ぎ払った。
続いて、同じ攻撃がゴーレムくんの方にも飛んでいく。
……って、すごいな。ゴーレムくんが自身の太い腕で炎の鞭を打ち払い、爆ぜた炎がそのまま空中でかき消える。
頑丈で、知性があって、おまけに素早い。
優秀すぎないか?
……まぁいい。それなら、好都合だ。
あとは――どう攻めるか。
遠距離攻撃が通用しないなら、近接攻撃だ。
そう判断して、再び飛んできた炎の鞭をかわしながら高くジャンプ。
空を蹴って一瞬でクシエルに肉薄する。
顔面に拳を叩き込もうとして――止まった。
拳が、クシエルに届かない。
透明な――壁?
胡散臭いサングラスの奥で、クシエルの目が小馬鹿にしたように笑った気がした。
この野郎、お前の力じゃないくせに。
一旦離脱。
空を蹴って距離を取り、そのまま地面に着地する。
攻撃が通用していない。
……でも、あっちだって万全じゃない。
炎の翼は伊吹さんに切り落とされて使えないままだし、後ろにいるもう1体の天使は防御に専念しているのか、今のところ自分から攻撃してくる様子もない。
「ひよりちゃん、ダメだよ。私の攻撃も、全部防がれたから」
グリーマルの攻撃はどれも、ソリタスのそれとは比較にならないほど強力で、多彩だ。
それがすべて防がれたとなれば――
「『哀惜の海』も?」
「それは、まだ……邪魔力が足りなくなって」
「僕がいれば、使えるんだよね?」
「うん。ひよりちゃんがいれば……少し経てば使えるよ」
「わかった」
それなら話は簡単だ。
「時間稼ぐね」
『哀惜のグリーマル』の使う『哀惜』の邪界魔法は、だいたい僕が魔力源だ。
それに思うところがないわけじゃないけど――今はそれどころじゃない。
実際に殴ってみて、わかったことがある。
どういう原理なのかはさっぱりわからない。
でも、あそこには物理的な『壁』がある。
透明な壁。
……透明?
だったら――これはどうだ?
後方で浮いている『天使』を凝視しながら、『石化の魔眼』を発動する。
足元から立ち昇った炎を横に飛んで回避しながらも、視線だけは逸らさない。
「なっ……!?」
天使が初めて狼狽した。その腕を、少しずつ『石』が覆っていく。
……やっぱりだ。通用した。
天使はすぐさま上空へ逃げ、そこで石化も止まった。
『石化の魔眼』は、欠陥魔法だ。
視線を向けた対象に、遅れて石化の効果が到達する……絶妙に不便な仕組みになっていて、要するに止まっている対象にしか効果がない。
でも、必要な情報は揃った。
『物理的な作用』以外を、あの『壁』では防げない。
「グリーマル、いける?」
「うん。全力でいけるよ」
『哀惜のグリーマル』の切り札、『哀惜の海』。
『失われた掛け替えのないもの』の重みで、心を無限の哀惜の海に引きずり込む――恐るべき精神攻撃だ。
相手は、『天使』
これには絶対に耐えられない。そう確信している。
グリーマルが、ゆっくりと両手を広げた。
「戻ることのできない昨日。たどり着くことのできない明日。失われたすべて」
空気が変わる。
肌が粟立つほどの邪魔力が、グリーマルの小さな身体から溢れ始めた。
「『邪界大帝バーダス』の名において、その娘『哀惜のグリーマル』が命ずる」
ん? 今、なんて言った?
……いや、それどころじゃない。
「グリーマル!」
邪魔力の高まりを感じたのか、グリーマルへの攻撃が一気に激しくなる。
炎の鞭に、足元から立ち昇る炎。
いくらゴーレムくんが優秀でも、全部を任せてはいられない。
クシエルの『足元から立ち昇る炎』は、僕の魔眼と同じで、視線がトリガーだ。
僕は炎の鞭を掻い潜りながら、飛び回るクシエルとグリーマルの間に入り込み、その視線を強引に遮り続ける。
「邪魔をすルな、ヒロシ!」
「するよ」
「捉え、沈めよ。深淵の海底へ」
背後から、グリーマルの声が響く。
今まで聞いたこともないほど長い詠唱。
『邪界五厄衆筆頭』の――『全力』。
「邪界魔法――『哀惜の海』」
グリーマルの声が、静かに響いた。
その瞬間。
言葉にならないほどの重圧が――周囲を支配した。
「ぐあああああアあっ! なにをしたアぁ!?」
「ぬおおおおおっ……!?」
クシエルと、もう1体の天使。2人が同時に苦悶の声を上げる。
『天使』というのは、有名だ。
とても、とても有名だ。
少し調べれば、多くのことがわかってしまう。
かつて――『神』の愛は、天使たちに注がれていた。
土くれから、『人』が生み出されるまでは。
天使たちが永遠に失ってしまったもの。それは、あまりにも大きい。
大きすぎて――多くの天使がその『哀惜』に耐えられず、地に堕ちたほどに。
でも、堕ちなかった天使にだって、『哀惜』の想いがないはずがない。
失われたものは戻らない。
深い。あまりにも深すぎる哀しみに――ギリギリで耐え続けただけだ。
『哀惜の海』はその哀しみを、無限に拡大する。
……耐えられるわけがない。
「ああああアあ、主よ、ナぜ……!」
後ろの天使は、意識しなければ『壁』を作れない。
不意打ちが通用したのがその証拠だ。
苦しみ悶える天使の前に、もう『壁』は存在しない。
「マジカル・ストーンバレット」
ステッキを向けて、魔法の言葉を口にする。
さよならだ――天使クシエル。




