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第九話:結界

「いけませんね、日向さん」


咲の病室。

ベッドの上で眠る咲に、治癒の魔術を施し終えた月城さんが、責めるような視線をこちらへ向けた。


「咲を、殺人者の娘にするおつもりですか?」


「うっ……」


何も言い返せなかった。


拳へ力を込め、あの男の顔を殴り飛ばしてやりたいと、本気で考えていた。


いや――あれは殺意だ。

ごまかすわけにはいかない。


そもそも月城さんにはお見通しだ。


「……ごめんなさい」


他になにも言えなくて、頭を下げる。

自分の感情に任せて行動した結果、咲がどうなるかを考えていなかった……それこそ父親失格だ。


「白昼堂々、それも結界の外で人を殺されては、いくら私でも隠しきれるものではありませんわ」


「……結界、ですか?」


聞き慣れない言葉に、思わず顔を上げた。

月城さんは一度瞬きをしてから、納得したように小さく息を吐く。


「ああ。そういえば、まだ説明していませんでしたわね」


月城さんは、ベッドの脇に置かれていた椅子へ腰を下ろし、眠る咲の髪をそっと撫でる。


「魔術師が人目を避けて魔術を行使する際、周囲から無関係な人間を遠ざける、心理的な干渉を空間に展開します」


「心理的な干渉……?」


月城さんは窓の外へ目を向けた。


「そこへ近づいてはいけない。自分がいるべき場所ではない。そのような感覚を抱かせることで、人払いを行います」


その説明には、心当たりがあった。


『ここにいるべきじゃない』みたいな感覚。


月城さんの言う通り、まるでそこが『自分のいるべき場所ではない』ような。

すぐに立ち去るべきだと、警告されているような、そんな感覚。


「あれか……」


「……日向さんは、結界の効果を認識しながら、足を踏み入れたということですか?」


月城さんが、わずかに目を見開いて言う。

そんなに驚くようなことだろうか?いやまぁ確かに、そう言われるとちょっと無理やりだった気がしなくもない。

でも、そればかりはしょうがない。


「そりゃぁ……咲が入院している病院ですから」


そう言うと、彼女の表情がふっと和らいだ。


「まあ、お説教はここまでにしておきましょう。ここは咲の病室ですもの」


「そうしてもらえると助かります……」


娘と同じ年齢の少女に説教されている自分が情けなくて、思わず苦笑いが漏れた。

それも、よりによって娘が眠っている病室で、だ。


いや、笑ってる場合じゃないよな。

僕はこのわけのわからない『力』を『殺意をもって行使しようとした』


そこから目を逸らしてはいけない。


僕は咲を幸せにすると、そう決めたんだ、あの時に。

怒りも悲しみも、あの夜に置いてきたはずだろう。


振り回されるな。


ましてや理解のできない『力』なんかを振りかざして、咲を不幸にするなんて許されない。


反省しよう。

二度と繰り返さないために。




病院を出た頃には、すっかり日が暮れていた。

最寄り駅で電車を降り、見慣れた夜道を歩く。


アパートへの道中には商店街がある。

いや、あったというのが正しいか。


咲が中学校に上がったころ、2つ隣の駅前に大型ショッピングモールができた。

それからシャッターを下ろす店が増えていって……今ではもう、営業しているのはコインランドリーだけだ。


「……ん?」


雑貨屋だった店の前を通るあたりで、違和感を覚えた。


『ここから先に進んではいけない気がする』


『ここは自分の居場所ではない気がする』


さっき、説明を聞いたばかりだ。

なにより、『誰もいない』


駅から住宅街に続く道だ。

いくらさびれた商店街だといっても、これぐらいの時間なら、人がまったくいないというのは考えにくい。


「結界……?」


思わず周囲を見回す。


まさか、魔術師がいるってことだろうか?

だとしたら僕が知らなかっただけで、割とどこにでもいるのか?


とりあえず月城さんに連絡するべきだろうか。

それとも、すぐに背を向けて逃げるべきか。


「グアァッ……!」


そんなことを考えていると、突然、獣のような咆哮が響いた。

次の瞬間――何か『大きなもの』が凄まじい勢いで飛んでくる。


「うわっ!?」


反射的に身体を引くと、僕の数メートル横、呉服屋だった店の壁に『それ』が激突した。

壁の一部が砕け、砂埃が舞い上がる。


一瞬遅れて、激しい風圧が全身を叩いた。


「何が……」


近づいて確認しようとすると、砂埃の向こうで影が動いた。


……熊?

最近はこんな市街地まで熊が出てくるっていうのか?


いやどうだろう。砂埃が晴れて改めて直視すると、熊というよりクマのぬいぐるみだ。

ボロボロの、そしてどういうわけか人間の大人ぐらいのサイズのぬいぐるみがよろよろと立ち上がろうとしている。


ただ、僕の知っているクマのぬいぐるみは、あんな凶悪そうな牙が何本も口から突き出ていたりはしなかったと思う。


なんなんだあれ、魔術ってのはなんでもありか……?



その時、怪物が飛んできた方向から、澄んだ少女の声が響いた。


「とどめ!マジカル・アイストルネーード!!」


声のした方へ顔を向けると、そこにいたのは、青と白を基調とした派手な衣装に身を包んだ少女だった。


何重にも重なったフリフリのスカート。胸元や肩には大きなリボン。

鮮やかな青い髪が、夜風に揺れている。


小柄な身体と幼い顔立ちを見る限り、小学校の高学年ぐらいだろうか。


左手には、先端に雪の結晶のような装飾がついたステッキ。

高く掲げ、人差し指を伸ばした右手の上空では、周囲の空気を凍らせるような凄まじい吹雪が、激しく渦巻いていた。


「こ、子供……?」


少女の右手がこちらに向けられる瞬間、思わず声が漏れた。


それに反応したのか、少女の肩が大きく跳ねる。

こちらに顔を向けた途端、その目が驚愕に見開かれた。


「えっ!?ちょっ、なんで人がいるの!?」


少女が慌てて、こちらに向いた右手を逆方向に向けようとしている……ように見えた。


「ま、曲がって!お願いだから曲がってぇぇぇっ!」


悲鳴のような声と同時に、上空を漂っていた吹雪の渦が少女の指し示した方に殺到し――街路樹を凍り付かせながら巻き込んで、バラバラに粉砕した。


「……嘘だろ」


背中に冷たい汗が流れる。

あれが当たっていたら、僕も同じようになっていたのか?


「あうぅ……」


少女は情けない声を漏らすと、その場にへたり込んだ。


「オオォォォッ!!」


その瞬間、巨大なクマのぬいぐるみ――いや、怪物が素早く立ち上がった。

怪物は重い足音を響かせながら、猛烈な勢いで少女の方へ向かっていき――体勢を立て直しきれていない少女に向けて、丸太のような腕を振り上げた。

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