第八十六話:『世界』の座標
「ほほう、つまりあれかな」
月城家の僕の部屋。
如月さんが、いかにも深刻そうな面持ちで腕を組み、可愛らしいベッドに腰かけた僕を見下ろしている。
「異世界から来た美少女と、ワクワクドキドキ大冒険の末に覚醒イベントまでこなしてきたと」
「言い方……」
「かぁー! 私という者がありながら!」
「ありませんよ……」
「私という者がありながら!」
「はぁ……」
例の『異世界』からの脱出後、『生首ドリブル』の排除は今日は諦めて、大人しく帰宅したのだけど……
現地――そのまんま『きさらぎ駅』と呼ばれているらしい『そこ』で起きた出来事を伝えた結果が、これだ。
僕の目の前で、大げさな身振り手振りまで交えて糾弾してくる。
面白がりやがって、覚えてろよ。
「お嬢様も言ってやりなよ、ほらぁー!」
話を振られた月城さんは、少しだけ困ったように僕を見る。
「日向さんが中学生ぐらいの女の子に妙な気を起こすことなんてあり得ませんもの。無事でなによりでしたわ」
そう言って隣に座ると、穏やかな微笑みを向けてくれた。
信用してくれているようで、とても嬉しい。誰かさんとは大違いだ。
「ええー、それだけぇー?」
「それより、『世界』の座標でしたか。その……敵幹部の少女が口にしたのは」
「はい。そんな感じのことを言っていました」
「『異界からの侵略者』みたいな奴らがいる以上、当然そいつらは『世界』を超える手段を持っていると考えるべきだ」
如月さんが、声のトーンを変えて、腕を組みながら話し始める。
急に真面目になりやがって……覚えてろ。
「だが、これまでその手段を人類が特定したという公的な記録は存在していない」
「それは、その『手段』が厳重に管理されているのか、それとも特定した『誰か』が隠蔽したのか……どちらの可能性も考えられる」
「『世界』の座標というのは実に興味深い。世界間の移動に関する重要な手がかりになる可能性は高いんじゃないかな」
言ってることはもっともなんだよなぁ……
邪界人や聖魔界人は、『異世界』から来ているわけだから、当然そういうことになる。
ちなみに聖魔界人であるピューイさんは、本人いわく『下っ端だからなにも教えられていない』とのことだった。
『気が付いたら移動していた』ということなんだけど、聖魔界の下っ端に対する扱いってどうなんだろう。
すぐ死刑になるらしいし……怖いなぁ。
なんにせよ、『哀惜のグリーマル』はあからさまに幹部なわけで、正直そういう知識について期待していなかったと言えば嘘になる。
「ってわけでさー、そのグリーマルちゃんだっけ? その子がそんな感じなら、聞けば教えてくれるんじゃない? パパっと連絡して聞いちゃおうよ」
しゃべり方をコロコロ変えるんじゃないよ。
今更言ってもしょうがないんだけどさ。
「そうは言っても、あからさまに利用するみたいなのはちょっと……」
「うぇー、真面目人間!」
「うるさいなぁ……」
「ですが、重要な情報です。手段はともかく、情報を提供してもらう必要はありますわ」
如月さんの態度はともかくとして……月城さんの言う通り、確かにグリーマルから話を聞く必要はある。
多少の罪悪感はこの際飲み込んで、とりあえず連絡してみるか……
そう考えて、スマホを取り出す。
「おや? 次のデートの約束でもするのかな?」
……ほっとこう。
えーと、なんて言うか。
いきなり情報をよこせって言うのは、なんだか感じが悪いよな。
そうだな……まずは『今日はありがとう』でいこう。
送信。
……
…………
既読がつかない。
いつもなら、10秒以内に必ず返事が返ってくるのに。
「……既読がつきません」
「ん? そりゃまぁ、あっちにも都合があるんじゃないの」
「いえ、普段ならどんな時でも10秒以内に返事が返ってくるんですよ」
「ひぇー、愛が重い」
そんなことを言いながら、如月さんもスマホを取り出した。
誰かからの着信があったらしく、おどけた顔のまま、耳にスマホをあてる。
「はいはい、如月ですよん」
軽い調子で返事をしながら、しばらく相手の話を聞いていたと思ったら、スッと――表情が、険しいものに変わった。
「……いつ?」
短く問い返す。
僕と月城さんも、なんとなく顔を見合わせた。
「封印は? ……いや、わかった。詳しい状況がわかったらすぐ連絡してくれ」
それからしばらく状況についてやり取りした後、如月さんは通話を切った。
そして、僕たちを見る。
「……クシエルが脱走したらしい。まいったね」
「クシエルが……脱走は不可能って言ってましたよね?」
「ああ。厳重な封印を施した部屋に閉じ込めていたはずなんだが……」
「ですが、現に脱走しているのですから、対策を考える必要がありますわ」
月城さんが真剣な表情で考え込んでいる。
僕はまだ状況を整理しきれていないのに、頭のいい人は切り替えも早い。
「そう。問題は、なんのために脱出したか、だ」
「クシエルの狙いは、九条でしたよね。まずはそっちを狙うんじゃないですか?」
あの時、クシエルは確かに九条を狙っていた。
如月さんが狙われたのは、たまたま『悪魔』だったからだ。
なら、脱走してまず狙うのは九条なんじゃないだろうか。
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。天使なんて元々わけわからないからね」
「そういうものですか?」
「例えば、奴には熊みたいに……おあずけされた餌を執念深く追いかける習性があるかもしれない。そうだった場合、最悪奴は――『ここ』に来る可能性がある」
「……だとしたら、狙いは……咲と如月さん、ですね」
「だろうね」
もし本当にここに来るなら、今度は絶対に好きにさせない。
戦う武器を増やしてくれたグリーマルに、心の中で感謝する。
「その時は守ってね、ひよりちゃん。あの時みたいに情熱的に抱きしめてね」
緊迫した空気をぶった切って、如月さんがわざとらしく両手を広げてウインクしてくる。
隣に座っていた月城さんがゆっくりと、そちらに顔を向けた。
微笑みを浮かべたままで。
「……聞き捨てなりませんわね」
「はぁ……」
許さないぞ、クシエル。




