第八十話:噂話
「ねえ、口裂け女って……知ってる?」
昼休み。
給食を食べ終えた後。
成瀬さんの口から、あまり思い出したくない単語が飛び出した。
「く、口裂け女……? 聞いたことあるけど、どうしたの?」
「うちのクラスの子が、見たんだって……」
もちろん知っているし、なんなら実物を見たこともある。
ふと隣を見ると……小春さんが固まっていた。
以前、僕の職業が魔法少女じゃなかった頃、一緒に追いかけられた時の恐怖を思い出しているのかもしれない。
「そうなんだ……怖いね」
「うん。それでね、本当にいるのかどうか、確かめようってことになって」
「え……」
「今日の帰りに、口裂け女を探そうぜって、男子が」
「だめっ!」
突然、小春さんが顔色を変えて大声を出した。
いつも冷静な小春さんからは考えにくいほどの大声に、成瀬さんは一瞬びくっとした後、きょとんとしてしまった。
「口裂け女はだめ、絶対にだめ……!」
それでも小春さんは、震える声で言葉を続ける。
……僕だってそう思う。
もし本当に口裂け女なんかを見つけてしまったら、怖いで済む問題じゃない。
命に関わるのだ。
「私も、あんまりよくないと思うな。近所の人に迷惑だと思うし」
「……そういう問題じゃないよ。口裂け女はだめなんだよ」
「う、うん……わかったよ、小春さん。ね? 成瀬さん、やめとこう?」
「そ、そうだね……ごめんね、小春ちゃん」
小春さんが、かすかに震えている。
僕は少しだけ考えて……月城さんにならい、そっと手を握ってあげる。
すると、成瀬さんも同じように手を添えてくれた。
「あらあら、坂口小春。口裂け女なんかが怖いのかしら?」
白峰さんだ。
なんというか、いわゆる高笑いでもしそうな感じで顔を上げ、小春さんを見下している。
成瀬さんが、咄嗟に間に入って小春さんを庇った。
僕も前に出て、成瀬さんと白峰さんの間に静かに割り込む。
「白峰さん、なにか用ですか?」
「え、あ、その……」
冷たい声で威圧的に対応すると、途端にうろたえ、目を泳がせる白峰さん。
普段ならちょっと可愛いと思わなくもないけれど、この状態の小春さんにそういう態度で接するというなら、話は別だ。
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい……」
よろしい。
「仲間に入れてほしいなら、そう言ってください」
「はい……」
すっかりしおらしくなった白峰さんが、空いていた椅子にちょこんと座る。
しばらくすると、小春さんの震えもおさまり、落ち着いてきたようだ。
あの時はサプライズニンジャが現れなければどうなっていたかわからない。
恐怖の記憶が強く残っていても、おかしくはないだろう。
「あのね……わたくしも見ましたの……」
ぽつりと、白峰さんが口を開いた。
「見たって、く……じゃない、アレを?」
おっと、危ない。
『口裂け女』は禁止ワードだ。
「いえ、そうじゃなくて……わたくしが見たのは赤マントですわ」
「赤マント……?」
成瀬さんが疑問の声をあげる。
……赤マントは、口裂け女よりも遥かに歴史が古い都市伝説だ。
普通の小学生は知らないだろう。
「先週の水曜日のことですわ」
白峰さんが、少し声のトーンを落として話し始める。
「学校帰りに、真っ赤なマントに身を包んだ男を見かけましたの」
「……そういう派手な服の人もいるんじゃないですか?」
「いえ、あれは間違いなく『赤マント』ですわ」
真剣な目で、こちらを見る白峰さん。
そういえばこの人は、人間と吸血鬼の間に生まれたダンピールだという話だから、なにかそういうものを見分ける能力でもあるのかもしれない。
「ま、まぁ……怪しい人に近づいたり、人気のない場所に一人で行くのは避けた方がいいかもね、しばらくは」
「うん……そうだね。男子にもそう言っておくね」
「ええ。そうするべきですわ」
小春さんは、話を聞きながらずっとなにかを考え込んでいる。
……僕も、思うところがないわけでもない。
最近――こういう噂話を、妙によく聞くようになった。
『口裂け女』『八尺様』『メリーさん』
そして、昨日の『生首ドリブル』。
本当に見たのか、それともただの噂なのか。
注目を集めるための嘘ということも考えられる。
それぞれの『噂話』の真偽は不明で、それがゆえに……どれが本当なのか、判別のしようがない。
ただ、なんとなく……嫌な空気を感じるのだ。
如月さんの話では、本来こういう怪異みたいなものは、滅多なことでは一般の人間に認識されることはないらしい。
魔力みたいな特殊な力を持った人間や、特別勘のいい人間は認識しやすいという話なのだけど……
うん、わからない。
考えてもわからないことは考えないのが、我が家の流儀だ。
こういうのは頭のいい人に任せよう。
そう決めてから、小春さんの手を握ったままだということに気がついた。
少しだけ照れくさくなって、そっと手を離す。
小春さんはこちらを向いて、少しだけ笑ってくれた。




