七十七話:月城澪と愚かな男
最初の印象は――『愚かな男』
だって、そうでしょう?
咲のために申し出た資金援助を、彼はあっさりと断ったのだ。
『咲は僕の娘ですから』なんて、馬鹿げた意地を張って。
何度も病院ですれ違う彼は、みるみるうちにやつれていった。
サイズの合わなくなったよれよれのスーツを着て、目の下には濃い隈を作って。
そのうち限界を迎えて、私に泣きついてくるだろう。
そう思っていた。
だけど――そうはならなかった。
私はそれが不愉快で、冷たい言葉を何度も彼に投げかけたのを覚えている。
そう、ちょうどあの九条が彼にぶつけていた言葉と同じような言葉をだ。
そのたびに彼は、少しだけ気まずそうに頭をかいて、苦笑いをしていた。
言い返すこともしないで。
それがますます不愉快で、咲が倒れて半年が過ぎる頃には、最低限の言葉だけしか交わさないようになっていた。
護衛たちも、私の態度からなにかを察したのだろう。
いつしか彼に対して、威圧的に接するようになっていた。
咲が眠るあの病室は、彼にとって――ひどく居心地の悪いものだったはずだ。
それが正しいと思っていた。
そうしていれば、そのうち諦めて投げ出すだろうと。
そうすれば咲を、設備の整った最高の病院に入院させることができると。
でも――そうはならなかった。
彼はますますやつれていって、いつ倒れてもおかしくなさそうだったのに。
血の繋がらない娘のために働いて、働いて、時間さえあれば真っ直ぐに病室へ通い詰めた。
どうしてそんなことができるのか、その時の私にはわからなかった。
――最初は、ほんの気まぐれだった。
咲とそっくりの姿で、震えていたから。
怯えるように、小さな体を震わせていたから。
ほんの少しだけ、不憫に思って。
だから、彼の手を握った。
ただ、それだけだったのに。
そうしているうちに、理解してしまった。
彼は咲の『父親』だ。
あの子の、不器用でぎこちない笑顔も。
嫌いだったはずの私と一緒に泣いてくれた、あの子の優しさも。
決して折れず、前へと歩き続ける、眩しいばかりのあの強さも。
ぜんぶぜんぶ、『彼』が――
今更、許されるわけがない。
きっとあの時、彼は世界全部が敵に回ったような気持ちだったはずだ。
私が、すべてを失った時のように。
なのに、私は彼の――『敵』だった。
『あの時はごめんなさい』
そう言えば、きっと彼は困ったような顔をする。
なんのことを言っているのかわからない。そんな顔をするだろう。
『どうして謝るんです?』
きっと、そんなふうに言って、簡単に許してしまうのだろう。
彼は、許してしまうだろう。
だけど――私が、私を許さない。
許したり、しない。
なのに、どうして涙がこぼれるのだろう。
涙を流すことなんて、もう二度とないと思っていたのに。
手の中には、小さなヘアピン。
咲が大切にしていた物と、お揃いの。
だって、ひどいじゃない。
まるで、まるで本物の家族みたいに。
彼と咲だけだったはずの二人の世界に、私を迎えてくれた。
こんなの、ずるいよ。
咲がこのヘアピンをどれだけ大切にしていたか、この人は知っているの?
『それ』が、血の繋がる両親を持たない咲の心を、どれだけ支えていたか、本当にわかっているの?
『それ』を私に贈ることの意味が、本当にわかっているの?
ねえ、わかっているの?
私は――月城澪は。
彼を愛している。
これは、言葉にしてはいけない気持ち。
それは『私』が許さない。
絶対に。




