七十三話:強くなりたい
朝起きると、大きな箱がありました。
なにこれぇ……
ベッドのすぐ横に、見覚えのない箱が置かれている。
大きさは、小学生の僕なら余裕で中に入れそうなぐらい。
表面はきらきらと光っていて、見る角度によって色が変わる。
赤、青、緑、黄色。
要するに、虹色の箱だ。
なにこれぇ……
昨日の夜の時点では、こんなもの影も形もなかった。
だとすると寝ているうちに誰かが置いたのかな……なんで?
クリスマスにはまだ早い。
「如月さーん。これなんですかー」
「えー、なに?」
眠そうな声が返ってきた。
少しして、部屋着姿の如月さんが扉から顔を出す。
「朝からどうしたの」
「これです」
「これって――」
僕が指差した先を見て、如月さんが固まった。
そして、数秒の沈黙。
「……なに?」
「わかりません」
「またなんかしたの?」
「『また』って、僕がなにしたって言うんですか。人聞きの悪い」
「へー?」
ひどい。本当になにもしていないのに。
寝て起きたら、虹色の箱が置いてあっただけだ。
如月さんは警戒しながら箱に近づき、周囲をぐるりと回った。
「箱……だね」
「箱ですね」
「よくわかんないけどさ、開けてみたら?」
「なに言ってるんですか。いやですよ」
無茶を言う。
わけのわからない箱を開けて、爆発でもしたらどうするつもりなんだ。
「でもさぁ、もうしょうがなくない?」
「しょうがなくないですよ」
しょうがないってなんだよ。
如月さんは警察官なのだから、もう少し慎重になってほしい。
「それより僕、予定があるんで、そろそろ行かないと」
「こんな朝から?なんでー」
「いや……原口くんと約束があって」
「被疑者と?」
「被疑者とです」
原口くんは、ご存じ『変身能力を持つ敵性宇宙人』の案件における、最も有力な被疑者だ。
彼と個人的に接触できる機会はそれほど多くないから、これをおろそかにするわけにはいかない。
「……ああもう、わかったよ。これはこっちでなんとかしとくから、行きなよ」
如月さんは頭を掻きながらため息をついた。
よし、箱のことは忘れよう。
僕は軽く朝食をとり、学校に向かった。
「おはよう、原口くん」
「ああ。ありがとな、佐倉」
早朝の、まだ誰もいないグラウンド。
原口くんは練習着を着て、足元にサッカーボールを置いている。
朝から呼び出された時は、まさかまた告白かと少し身構えていたのだけど、その様子ではなさそうでほっとした。
「それで、用事って?」
「俺を強くしてくれ」
はい?
「ごめん。強くって?」
「サッカーだよ。次の大会で優勝したいんだ。どうしても」
なるほど? そういう話か。
大会というのはフットサルの大会だ。
必殺の暗殺拳を教えてくれとかそういう話じゃなくてよかった。
「佐倉ってさ、いつも本気出してないよな」
「えっ……?」
「わかるよ。いつも負けてるんだから」
原口くんとは、部活のミニゲームなどで別のチームに振り分けられることが多い。
僕と原口くんを同じチームにすると戦力が偏りすぎて、練習にならないからだ。
そして、確かに僕は原口くん相手にいつも勝利している。
どういう意図かはわからないけど、それが如月さんからの指定だ。
――僕は、運動能力を意図的に制限することによって、自然に『全力を出している』ように装っている。
だから普通は『それ』に気づくわけがない。あの鋭い小春さんでさえ気づかない。
気づいているとしたら、彼は本当に素晴らしい才能を持っているか――別の理由だ。
「佐倉が本気を出せば、全国どころか世界を狙えると俺は思う」
「そんな大げさな」
「大げさじゃない」
原口くんが、正面から僕を見る。
これは――本気の目だ。
「次の大会だって、俺とお前なら絶対に――」
そこまで言って、原口くんは言葉を止めた。
それが本題じゃないということだろう。
「だけど、佐倉は次の大会に出られないだろ?」
「うん。もう選手の登録は終わってるって、先生が」
「だから少しでもいいんだ。大会までに俺を強くしてほしい」
「……どうして、そんなに優勝したいの?」
原口くんはすでに強い。
全国大会に出場する代表メンバーの中でも頭一つか、二つぐらい抜けている。
もちろん、優勝したいと思うのは当然だろう。
でも、『次の大会でどうしても』というのは少し気になる話だ。
「佐倉、最近、野球部の奴とかに告白されてただろ?」
「えっ、なんでそれ……」
「そんなの、みんな知ってるよ」
そうだった。
『みんな』知ってるんだよなぁ。困ったね。
「それで、その時どう思った?」
「どうって……」
これは……真剣に答えないといけないやつだ。
原口くんの顔を見ればわかる。
こんなに真っ直ぐな目で問う少年に、適当な答えを返すなんて……できるわけがないじゃないか。
「……悪いなって、思ったよ」
「悪い?」
「そういうの、考えられないからさ。受け入れられないのがわかってるのに、そう思わせたなら、悪いなって」
「そうか……」
俯いた原口くんを見て、なんとなく……わかってしまった。
わかるべきでは、なかったのかもしれないけれど。
「成瀬さん?」
「……さすが佐倉だな」
「わかるよ、そりゃあ」
「なぁ。俺が灯火に告白したら、灯火どう思うかな」
――そんなの、決まってる。
「絶対、喜ぶよ」
成瀬さんは、いつも原口くんの話ばかりしている。
本人に言ってあげればいいのになって話も、たくさん聞かされた。
それを勝手に教えることはできないけれど、彼女が原口くんのことを大切に――特別に思っているのは疑いようがない。
「俺、大会に優勝してさ……灯火に告白したいんだ」
別に、優勝しなくても告白していいと思う。
気持ちを伝えるのに、なにかを成し遂げる必要なんてない。
だけど、原口くんにとっては大切なことなのだろう。
彼がそうしたいと決めたのなら、水を差すのは野暮な話だ。
「わかったよ。本気でやればいい?」
「……ああ。頼む」
原口くんは、力強く頷いた。
これは『男』の顔だ。
誰もいないグラウンドで、僕と原口くんが向かい合う。
ボールは、僕の足元に。
「始めよっか」
「ああ」
もちろん、本当に『本気』を出すわけにはいかない。
でも、限界まで。
本当に、限界ギリギリまで。
身体のギアを一段階……いや、二段階上げる。
小学生としてあり得る限界の、速度まで。
「ついてきてね」
「おう!」




