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第七話:手の届かないどこかに

暖かい。


肌を優しく撫でるような、柔らかい何かに包まれている。

そんな感覚と共に、目が覚めた。


「……ここ、どこだ……?」


重い瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは、見たこともないような豪華な意匠の天井だった。


細かな模様の施された白い天井。

中央には、淡い光を放つ大きなシャンデリアが吊るされている。


僕の住んでいるアパートとは、比べるのも失礼なぐらい豪華な部屋だ。


もちろん病院なわけがない。


少なくとも、僕の知っている病院にこんな部屋はない。

いや、すごいお金持ちが入院するような病室なら、もしかするとこういう景色もあり得るのかもしれないけど、そうだとしたらそこに入るようなお金がない。


どうして、こんな場所で寝ているんだろう。


最後に覚えているのは、病院のロビーで見知らぬ男と……

そうだ、男を殴ったら、なぜかガラスの向こうまで吹き飛んで。


手が、すごく痛くて。


そこからあまり覚えていない。


考えようとしたところで、右手が柔らかくて暖かいなにかに……本当に包まれている感触に気づいた。


視線を横へ向けると、ベッドの傍らに座った少女が――僕の右手を両手で包み込んでいた。


腰まで伸びた白銀の髪。

目を閉じたまま、祈るように俯いている。


月城さんだ。


「あの……月城さん……?」


ひどく掠れた声で問いかけると、月城さんの瞼がゆっくりと持ち上がり、透き通るようなアイスブルーの瞳が、僕をまっすぐに見つめた。


「あら。お目覚めになりましたのね」


「ええと……うん」


月城さんは、僕の手を握ったまま平然としている。


どういう状況なんだろうか。

娘と同じ年齢の少女に手を握られているという状況は、どうにも落ち着かない。


「その、手を……」


「ああ。もう必要ありませんわね」


月城さんは特に気にした様子もなく、あっさりと僕の手を離した。


なんだか置き場がわからなくて、右手を動かしてみる。


痛くない。


あれは夢だったんだろうか。

そりゃそうだよな、人間があんな風に吹っ飛ぶわけがない。


なら、なんでこんな場所で夢を見ていたんだろうか。


「……どうして僕はここにいるんでしょう」


もちろん聞きたいのがそれだけのわけがない。

聞きたいことが多すぎてまとめきれず、それしか声に出せなかっただけだ。


「そんなことより、日向さんに大切なお話があります」


月城さんは椅子から立ち上がると、服の襟元を軽く整えた。


「そんなことって……大切な……?」


にべもなく切り捨てられて、上手く言葉が出てこない。

声もまだ、掠れたままだ。


僕にとってはこの状況がもう大事件なのだけど、それよりも大切な話ってなんだろうか。

月城さんとまともに会話したことがほとんどないから、なにも想像できない。


いや、月城さんと言えば――咲だ。

嫌な予感がする。なにか悪いことでもあったのかもしれない。


「今からお話しする内容は、全て事実です」


「『信じられない』『そんなわけがない』『頭がおかしいのではないか』等。あとは……『マジかよ』もですね。そのような凡庸な反応は不要ですので、全て事実として受け入れてください。その方が話が早くて助かりますわ」


なにも言っていないのに、選択肢を片っ端から潰されてしまった。


だけど、その言葉には、有無を言わせない迫力がある。

いや、迫力よりも……無表情のまま話す彼女の声音に心無しか悲痛な響きが混じっているような気がして、ただ頷くしかできなかった。


「わ、わかりました……まずは聞かせてもらえますか?」


とりあえずは話を遮らず、最後まで聞こう。

そう決意して身体を起こすと、月城さんは小さく頷いた。


「まず、日向さんが負った怪我についてです」


視線が、僕の右腕へ向けられる。


「右腕全体の複雑骨折。それに、腹部や内臓にも深刻な損傷がありました。現代医学による治療では、命を失っていた可能性が高いでしょう」


「え……」


夢じゃ、なかったのか……?


咄嗟に自分の腹に手を当てる。


痛みは……ない。


「ですので、私の魔術で治療しました」


「ま、魔術……?」


思わず聞き返してしまった。

月城さんの視線が、咎めるような色を帯びる。


だってしょうがないじゃないか、魔術って……いや、やめとこう……


「……続きをどうぞ」


最後まで聞くと決意したばかりだ。

それをすぐに覆すのは、大人として正しい姿勢とは言えない。


「病院で私たちを襲ったあの男も、魔術を使っていました。自身の筋力を三倍にまで強化する魔術です」


「その男の拳をまともに受けて生きていたこと。さらに、その男を殴って中庭まで吹き飛ばしたこと。どちらも、普通の人間にできることではありません」


「日向さん。貴方には、あの力に何か心当たりがありますか?」


あれ……?ちょっと待ってほしい。


「あの、すみません……月城さん。もし間違っていたら申し訳ないんですが、後半の話は、僕のことでしょうか」


「……そうですか、心あたりはない、と。では、その話は今のところどうでもよろしいことですわ」


「どうでもいいんですか……」


僕にとってはかなり重要なんだけど。

それがどうでもいいことってなんなんだよ……


「枝葉に気を取られて、本題を見失うべきではありませんから」


月城さんの目が、先ほどまでよりもさらに鋭くなった。

どうやら、ここからが本当に大切な話らしい。


「私は昨日、新たに『人探し』の魔術を手に入れました。目的とする人物の魂を辿り、その居場所を探し出す魔術です」


「はぁ……なるほど?」


ピンとこない。

治療してくれたというのは、実際に痛みがなくなっている以上、なんとなくそういうものかと理解できなくもないけど、魂って……


「私はその魔術を、咲に使いました」


娘の名前が出た瞬間、ぼんやりしていた思考が急速に呼び戻される。

……咲に、なにをしたって?


月城さんは一度言葉を止める。

僕の反応を確かめるように、まっすぐにこちらを見つめていた。


「いいですか、日向さん」


嫌な予感が強くなる。


聞きたくない。


でも、聞かなければならない。咲の話だぞ。


「咲の魂は、この世界のどこにも存在しません」


「……は?」


言葉の意味が理解できなかった。


魂って、あの魂だよな。

それが、この世界にない。


それはつまり――


「ちょっと待ってくれ!」


黙っていられるわけがない。

自分でも驚くぐらいの声で、月城さんに詰め寄っていた。


「それって、咲がもう死んでるってことなのか!?」


「落ち着いてください。そうではありません」


「でも、魂がないって……!」


「そうではないと申し上げています」


月城さんの声にも、普段にはない切迫感があった。

僕を落ち着かせようとしているというより、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。


「……そうではないはずです。死者の魂は、この魔術では捉えることができません。ですが、咲の魂は確かに存在しています」


「存在している……?」


意味がわからない。

魂ってなんだよ。魔術ってなんだよ。


わからないよ。


月城さんが、わずかに唇を噛む。


……ああ、そうか。

この人にも、わからないんだな。


「『人探し』の魔術は、魂のありかを見つけるもの。魔術が示したのは、遥か遠く……私たちの手が届かない場所に、咲の魂が確かに存在しているということだけです」


「手の届かない場所……それって、別の世界にいるとか……宇宙の果てにいるとか……」


自分で口にしておきながら、あまりにも現実離れしていると思う。

でも、魔術なんてものが本当に存在するなら、どんな可能性だってあるのかもしれない。


昨日までなら笑い飛ばしていたような話なのに、今は否定できる材料が何もなかった。


「そうかもしれません。そうではないかもしれません」


「なら、どうしようもないじゃないですか……」


「いいえ、日向さん。これは咲を取り戻すための、確かな手がかりです」


「手がかり……?」


月城さんは、僕の間抜けな声には応えず、豪奢な部屋の窓際に歩みを進めた。

ガラス越しに差し込む夕暮れの光が、白銀の髪を鮮やかに縁取る。


「魔術とは、かつて世界を支配していた大いなる力の欠片だと、亡き母から教わったことがあります。その欠片を……より多くの魔術を集めることができれば……もしかすれば、咲の魂のありかまで、この手を伸ばせるかもしれません」


月城さんの表情が見えない。

彼女は僕ではなく、遠くの空を見ていたから。


「いいえ、伸ばしてみせます。それがどれほど遠い、那由他の彼方であったとしても。私は絶対に、咲を取り戻してみせますわ」


強い、強い言葉だ。

これまで聞いたことがないぐらいに。


娘と同じ年齢の少女の言葉とはとても思えなくて。


「月城さんは……どうしてそこまで咲のために……?」


ああ、これは愚問だ。

聞くまでもないことだ。


理由なんて、一つしかないじゃないか。

声にしたことが恥ずかしくなる。


だけど、月城さんは振り返ると、今まで一度も見たことのない柔らかな笑みを浮かべた。

一瞬だけ目に入った太陽の光が眩しくて、それまでどんな表情をしていたのかは見えなかったけれど。


「日向さんも、同じでしょう?」


その通りだ。


「……ああ、その通りだ。君の……言う通りだ」


言葉にすると、身体に自然と力が入る。

僕の中にある、見知らぬ力。


正体はわからない。わかるわけがない。

それでも、もし『それ』が咲を取り戻すために役立つのなら……


透き通るようなアイスブルーの瞳を見返して頷くと、月城さんも満足したようにほんの少しだけ頷いた。


「私たちは、共通の目的を持つ者同士です」


細く白い手が、僕の前にある。


「日向さん。私に協力していただけますわね?」


その手を握らない理由なんて、どこにもなかった。

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