六十六話:君でいいか
「お疲れ様でした。お父様がお待ちです」
僕を乗せたUFOがたどり着いたのは、タワーマンションの上空だった。
床に開いた出入口から下を覗き込むと……かなり高い。
目線を真下に広がる街並みに向けると、足元がちょっと頼りないような感じがした。
ここを降りるの?あのビームで?嫌だけど。
おっと、忘れてた。
変身を解除すると、魔法少女のフリフリ衣装が光に包まれ、普段着に戻る。
隣にいるリトルグレイが、わずかに首を傾けた。
表情の変化はよくわからないけど、『?』みたいな顔をしている気がする。
まぁ、ここまで来たら、多少怪しまれても関係ないだろう。
とはいえ正直、変身を解除するかどうかは迷った。
いざという時にすぐ魔法が使える方がいいとは思うんだけど、魔法少女の衣装はあまりにも派手すぎる。
宇宙人ならともかく、普通の人間が見たら、いくらなんでも異様に感じるだろう。
九条から話を聞き出すためには、なるべく警戒されない方がいいというのが結論だった。
「それでは、まいりましょう」
「はい」
リトルグレイと並んで、床の穴から足を踏み出すと、身体が光に包まれてふわふわと下に降下していく。
うっ……上った時よりも変な浮遊感を強く感じる。
なんともいえない気持ち悪さ。
これ、酔うな。
さっきのお菓子を食べなかったのは正解だったかもしれない。
降下しながら周囲を見回すと、遠くに見慣れた高い塔が見える。
つまりここが都内であることは間違いない。
自宅や咲の入院していた病院から、どの程度離れているのかまではわからないけど、少なくとも県外へ連れ出されたわけではなさそうだ。
それにしても、こんな昼間からタワーマンションの屋上にUFOで乗りつけて大丈夫なんだろうか。
下を歩く人が空を見上げたら、一発で大騒ぎになるんじゃないか?
いや。これも、普通の人間には見えないような仕掛けがあるのだろう。
そうじゃなければ、僕が車ごと連れ去られた時点でとっくに大騒ぎになっているはずだ。
宇宙の技術は便利だね。
その技術を使うのがよりにもよって誘拐というのは……いや、普通だな。
リトルグレイといえば人間を誘拐したり動物をキャトルミューティレーションするのが一般的なイメージなんだろうから。
地面が間近に迫ったところで、少し脚を伸ばす。
特に意味はないんだけど、少しでも早く地面に足をつけたかったのだ。
ふう……安定した床があるというのは素晴らしい。
――そこはタワーマンションの最上階に設けられた、広いテラスだった。
周囲には背の高い透明な壁が設置されていて、安全に街を見下ろすことができるようになっている。
これが高層階からの景色というわけですね。
UFOからの景色よりは少し低い位置だけれど、どっちにしても好きにはなれそうにない。
「こちらへどうぞ」
リトルグレイに案内されたのは、最上階の一室だった。
一室。そう呼んでいいのか、少し迷う。
玄関から続く廊下だけでも、僕の住んでいる部屋より明らかに広い。
全体的になんかこう、高そうな家具が並んでいて、まるで高級ホテルか社長室のようなおもむきだ。
足元の絨毯はふかふかどころじゃなくて、動物の背中に乗っているみたいだ。
正直歩きにくいから、これはなくてもいいな……
見上げると、大きな窓の向こうに都内の街並みが広がっている。
ここから見下ろすんだよねきっと。『愚民どもめ』とか言ってさ。
はー、愚民で悪かったですね。
奥の部屋に進むと、この空間には似つかわしくないものが並んでいる。
医療用のベッド。
点滴を吊るすための器具。
壁際には、病院で見たものよりも上等そうな医療機器が並べられている。
病院の一室を、そのまま高級ホテルの中へ移したような部屋だ。
咲のために用意したものだろう。
「しばらく、こちらでお待ちください」
「はい」
リトルグレイは丁寧に頭を下げると、部屋を出ていった。
ひとり残された僕は、改めて部屋の中を見回した。
念のため玄関へ近づき、取っ手に手をかけてみる。
動かない。
電子錠か、なにかだろうか。
いざという時に脱出する手段がないというのは少しばかり心細いけど、虎穴に入らずんばともいうし、もうなるようになれだ。
しばらく待つと、ドアの外に人の気配がした。
リトルグレイが歩くぺたぺたって感じじゃなくて、革靴が床を叩く音だ。
ガチャリと重厚な扉が開かれ、一人の男が室内に入ってくる。
いつもの嫌味なスーツ姿とは違う。
ネクタイを外し、シャツの一番上のボタンを開けた、やや着崩した格好をしている。
それでも、見間違えるわけがない。
九条だ。
そして僕の姿を見た瞬間、目を大きく見開き、口を半端に開いたまま動かなくなる。
「あ、雨宮……?」
信じられないものを見たというような、ひどく狼狽した表情で僕を見ている。
妻の旧姓――それが、九条の放った最初の言葉だった。
聞きたくなかった名前。
いや、妻が亡くなってからこれまで、僕が意識的に避けてきたその名前に、心臓が大きく跳ねた。
「雨宮は……母の旧姓です。あなたは……?」
事前に考えておいた設定を口にする。
でも、自然と声が震えていて、最後まではっきりとした言葉にできない。
妻の旧姓を聞いた動揺が、そのまま声に出てしまった。
でも、怯えている少女に見えるなら、むしろ好都合だ。
……好都合だ。
「あ、ああ……いや、そんなわけがないな。君は……?咲によく似ているが……」
「咲お姉ちゃんは、私の従姉妹です。今日、退院すると聞いていて……」
「従姉妹……?それにしたって……」
九条が、僕の顔を凝視する。
言うまでもなく、今話したことは完全な嘘だ。
そもそも亡くなった妻――旧姓『雨宮千歳』に姉妹はおらず、両親も亡くなっているから、でっち上げもいいところだ。
調べられればすぐに嘘だとわかってしまうことだけど、咲にそっくりな今のこの姿を説明するには、これぐらいしか思いつかなかった。
そもそも長く騙し続ける必要はないんだから、後で調べられたところで別に構わない。
「いや、それよりも、どうして君がここに?咲はどこにいる?」
「え……わかりません。私、なにもわからなくて……」
声を震わせながら、小さく首を横に振る。
何もわからず強引に連れてこられた、可哀想な少女の演技をする。
演技には普段から慣れている。
学校で、ずっと11歳の少女として振る舞っているのだから。
たぶん、上手くできている……と、思う。
「それにしても、雨宮……」
九条は呆然としたまま、僕を見つめている。
「君の叔母さんが、子供の頃によく似ているね」
「え……?はい。よく言われます。母よりも、叔母さんに似てるって」
咲は、子供の頃の妻にそっくりだ。
その咲にそっくりな今の僕も、同様に子供の頃の妻によく似ていることになるのだけど……九条は、子供の頃の妻と面識があるということだろうか?
いつから、知り合いだったのだろう。
そんな疑問が浮かんだところで、別のことが気になった。
九条の視線だ。
さっきから、じろじろと僕を見ている。
足元から、顔まで。
下から上へ。
何度も、何度も。
観察しているというより、品物を値踏みしているような視線。
気持ち悪い。
「……なら、君でいいか」
「はい?」
九条の口元が、わずかに緩み、表情が変わる。
さっきまでの、少なくとも表面的には紳士的だったものとは違う。
これは――なんだ?
「なに。君の方が雨宮によく似ているし、動かない咲よりもいいと思ってね」
「へ……?」
こいつ。
なにを言っているんだ?意味がわからない。
わからないけど……ふと、思い至る。
その瞬間。背筋を冷たいものが走った。
これ以上ないほどに――ぞっとした。
あの目。あの表情。
この男、九条。この男は――
僕を『いやらしい目』で見ている。
気づいた瞬間、身体が勝手に後ずさっていた。
正気か?
今の僕は、どう見ても11歳ぐらいの少女だ。
咲と同じ顔をした。
子供だ。
「君だって、ここから帰れるだなんて思っていないだろう?」
九条が、ゆっくりと僕へ近づいてくる。
だとしたら。
こいつの目的――
こいつを殺そう。




