六十三話:月城澪と『親友のお父様』
あの人は、どうして立っていられるんだろう。
私は咲が隣で笑っていないだけで、こんなにも寂しいのに。
あの人が失ってきたのは、咲だけではないはずなのに。
どうして、立っていられるんだろう。
それだけでも理解できないのに、あの人は他人の心配ばかりしている。
もっと自分勝手に、泣き叫んで誰かを責めてもいいはずだ。
世界を憎んでもいいはずだ。
ここは、誰もあの人を顧みなかった世界なのだから。
あの朝霧という男は、『日向さんに俺が叱られる』と言った。
私に危険が及ばないようにと、事前に伝えられていたのだろう。
いまだにそんなことを考えているあの人に、少しだけ腹が立った。
でも、本当に腹を立てているのは、自分自身に対してだ。
だって、あの人を顧みなかったのは、私だって同じなのだから。
あの人は、私にとって『咲のお父様』でしかなかったのだから。
なのに、今更になって、やっと気づいた。
あの人は『咲のお父様』なのだ、と。
あの子がくれたあの言葉も、あの子がくれたあの場所も。
あの人が、あの子に同じものを与えてくれたから。
だから、それを私が受け取ることができたのだと、今になって――今更になって。
魔術師の女が、ニヤニヤと笑いながら歩いてくるのが見えた。
同時に、私の数歩前の地面が切り裂かれる。
くだらない。
片山もそうだったけど、魔術師というのはどいつもこいつも、本当にものを知らない。
自分が特別に優秀で、選ばれた存在なのだと勘違いしている。
自分こそが世界の中心なのだとすら。
だから皆、同じような顔で笑うのだ。
傲慢に。自らを狩人だと確信して笑うのだ。
力を誇示し、自分が『奪う側』であることを疑いもしないで。
この女の保有する魔術は2つ。
『切断』と『分解』
どちらも、人間を殺すのに極めて適した能力だ。
特に『分解』は危険極まりない。
物質を分子単位にまで瞬時に分解し、塵にする恐るべき魔術。
犯行の手口は概ね決まっている。
まず『切断』で標的の一部を証拠として切り取り、『分解』でそれ以外を消し飛ばす。
「ね」
「『風圧』『爆破』」
射程距離に入った女がなにか言おうとしたので、2つの魔術を同時に発動させる。
『風圧』によって対象の周囲に不可視の疑似的な封鎖空間を作り出し、その密閉空間内で『爆破』の魔術を発動させる。
逃げ場を失った衝撃波が空間内で反響し、内部の存在を蹂躙する。
……という仕組みなのだけど。
よく考えると、相手は魔術を使う以外はただの人間だ。
少し冷静さを欠いていたかもしれない。
生きてるかしら。
「あ、が……ぁ……」
警戒しながら近づくと、地面に倒れた女が全身から血を流し、苦痛にうめいていた。
どうやって生き残ったのだろう?
『切断』か、『分解』か。
もしくは、奥の手として別の魔術を隠し持っていたのかもしれない。
いずれにしても、手に入れれば便利そうだ。
「ごきげんよう。橋爪響さん。私があなたのターゲットです」
「な……んで……くそ……」
なんでもなにもない。
名前まで知られていることの意味が、わからなかったのだろうか?
人間は脆い。
魔術をはじめとする超常能力の殺傷力と比較すれば、人間の肉体強度なんて紙と大差ない。
戦いになれば勝負は一撃で決まるのだから、手の内を知られている方が圧倒的に不利に決まっている。
力を誇示する余裕があるなら、私の首を落とす工夫でもしていればよかったのだ。
橋爪響
年齢は27歳。
表向きは夜職に従事していることになっているが、本業は見ての通りの『なんでも屋』だ。
能力を過信する傾向があり、犯行の証拠を残しがち。
短気な性格で、クライアントを殺害した過去も有る。
そのため裏社会でも信用が低く、仲間と呼べる存在は皆無。
『金額次第でどんな仕事でも引き受ける』ということは、裏を返せば『金でしか動かない、金でしか動けない人間』ということだ。
本当に恐ろしい超常存在は、意味不明で理解不能だ。
この程度の人間を雇っている時点で、あの九条という男の底も知れている。
いずれにせよ、この女の命はそう長くなかった。
情報が出回った時点で、足を洗うべきだったのだ。
毒づく余裕があるなら、命があるだけ感謝してほしいぐらいなのだけど。
「あなたには選択肢が2つあります。ここでこのまま苦しんで死ぬか、私に魔術を譲渡するかです」
「ふざっけ……」
「大人しく魔術を譲渡するなら、その傷を治療した上で、一生遊んで暮らせる程度の金銭も与えましょう。どうしますか?私はどちらでも構いません」
できれば、譲渡してほしいとは思うけど。
この人は、どちらを選ぶかしら。
そう思った瞬間――橋爪響の首が地面に落ちた。
ごとりと、嫌な音を立てて。




